[Diary 145]



Diary 


                                                                                      

                                                    VOL.146
★詳しいレポートは、
それぞれの日付のブログのページにあります★

 2007年 12月 ダイジェスト 後編          (12月31日)              
12月22日(冬至)

 神界では、冬至の日がお正月になっていると聞いたので、今年は太宰府にお参りへ。
 この日には、新しく式部稲荷神社とのご縁も頂いた。神気が降り注いでいた宝満山の麓は、私のお気に入りのスポット。竈戸神社に来たときは、いつもその場所に立って、山全体に光を送らせて頂いていた。そのすぐ後ろに奥の院があったのです。確かに目には入っていたのだけれど、ちゃんとお参りしないまま数年が経っていた。(^^; 
 いつも背後から、見ていてくださっていたのですね。天拝山の白瀧神社のように、気付くまでずっと・・・。この冬至の日に、感謝です☆

 そう、私の中では、現世的なことでまだ否定していたものがあった。今年に入って、稲荷神社の神さまたちと、次々にご縁を頂いたのは、そのことに気付く意味もあったのでしょう。そして、これからは全てを受け入れて行くのだと。三次元との統合をしっかりした上で、為すべきことを為していくために。それが、深い意味でのグラウンディングであり、地に足を付けることにもなるから。

 そうして、鬼門からお参りをし、天開神社から降りて、裏門から天満宮の本殿へ。神橋も、いつもと反対に通ることになり、この日は神界から現世へと降りたようになった。生まれてきた時のように、この世でしっかり役割を果たせよと、背中を押されて出てきた感じ。(は〜い) 神界のお正月ということで、ひと足先に新しい年を迎えた気分。 ありがとうございます♪

 12月23日(天皇誕生日)
 この日は、STS九州支局のメンバーでの忘年会。おいしいお食事に、思いがけずうれしいプレゼントまで頂いて、今年最後の締めが楽しく出来た。
 自分で使って流していくことで、運動に参加していることにはなるけれど、環境汚染が進んでいる状況を考えたら、それだけで満足してもいられない。その小さな一歩から意識を高めて、もっと伝えていくことが出来たら、いえそうして行こうと思うのでした。

 12月24日(満月)
 今年のクリスマスイヴは、満月と重なった。忘年会の後ということもあってか、明け方まで寝付けないでいた。その間、ある事柄に関することが浮かんでいた。

 夕方は、柾至と一緒に教会へ行くことにした。彼はその後、宣教師さん達から聖書のレッスンを受けて、安息日にも顔を出していたようだ。そして、この日の前日の夜、バプテスマの話を聞いた。どうやら一通りのレッスンが終わったらしい。

 私も、自分の時のことを思い出した。あの時は、受けても良いと思っていた。特に悩みがあったわけでもなかったし、今ほどイエス様を意識していたわけではなかったけれど、どこかで神との繋がりを取り戻したい、純粋なものと繋がっていたいという思いがあったのだと思う。
 私は、もし彼が心から受けたいと思っているのなら、反対するのは止めようと思った。彼には彼の人生があるし、それが彼の道に繋がるのなら、必要なのであれば、その邪魔はしたくないから。・・・でも、この日の段階では、彼もその必要は感じていなかったようだった。 そして、その夜から明け方にかけて、私の中でその意味が伝わってきたのです。

 宣教師さんたちは、以前より私に会いたいと話していたこともあり、イヴの夜にコンサートに誘われて、良い機会だと思って参加することにしたのです。柾至が行っていた場所とは別だったので、地図で確認していたけれど、見事に二人とも迷ってしまった。家からも比較的近かったし、プリントした地図まで持っていたにも関わらず。 途中で尋ねたりしていたけれど、違う教会だったりして、その内にすっかり日も暮れてしまった。コンサートには間に合いそうになかったから、そのまま帰っても良かったけれど、どうしてもこの日に行かなくてはと感じていた。そうして、ようやくその教会が出てきた。(!)
 本来なら20分以内には着くところを、一時間以上が経っていた。それも見事にコンサートが終わって、みんなが出てきたところだった。(ははは) ・・・それにしても、ピッタリ過ぎる!?

 思っていたよりも、大きくて立派な教会だった。小高い丘の上にあり、夜空に白く浮き上がって、そこだけが光り輝いてみえた。みなさんは、礼拝堂の下にある部屋に集まり、温かいココアやお菓子を頂きながら寛いでいた。そこで、宣教師さんたちを紹介され、ご挨拶。一緒に活動をしている、若い日本人の人たちもいて、みんな目がキラキラしていた。彼のことを一様に、「大人っぽくて、しっかりされていますね。」と言っていた。その後の”家族の夕べ”にも誘われたけれど、今日は失礼することに。

 帰ってから、ささやかにクリスマスのお祝いをしようとしたら、柾至がお祈りをしてくれることになった。そのお祈りの仕方は、彼らから教えてもらったもの。その日の出来事を振り返りながら感謝する。・・・私も思い出した。
 彼も、良い影響を受けていることは間違いなかった。また、私の時と同じように、彼らは良い友達にもなっていた。・・・。

 そして、確認出来た。彼にも、それ以上のことは必要がないということを。私も受けるつもりでいたにも関わらず、その後でカナダに行くことを決めて、流れが変わったことから、タイミングを逃した形になっていた。それでも、彼らとは別の形で、日本を出る寸前まで親しくしていた。

 過去生では、修道女を始めとする様々な形で、神と共に生きて、全てを捧げる人生を何度か送っている。でも、それはキリスト教に限ったものではなかった。いま思い出しているだけで、ヒンドゥー教や仏教、インカ、エジプト、ギリシャの神々にも・・・そして、ここ日の本の国で。

 だから今生では、一つの形に留める必要はないのだと。「これからは、宇宙創造神に意識を合わせるように。」と、ハイアーセルフから言われたように。そして名前の使命で確認させられたように、今生では世界の雛形であり、中心となる日本のために働きなさいと。そのために、この国に生まれていることがわかったから。

 それぞれに、それぞれの使命がある。どれが良いとか、どちらが優れているとかではなく、その与えられた環境の中で、それぞれの役割を果たしていくこと。だから、私も彼らのことは、とても尊敬している。私も彼らのように、イキイキと輝きながら、自分の役割を果たして行きたいと願っている。柾至にもきっと、そのことを気付かせてくれているのでしょうね。

 クリスマスイヴと重なった満月は、今年最後の完結版としてパワフルでした〜。そういえば、前の日の夜も、忘年会からの帰り道で迷って、ぐるぐる走っていたのです。(ははは ^^;) それも、満月のパワーを受け取るためだったのね。(ふふふ)

 12月26日 
 九州支局へは、23日を締めにするつもりだったけれど、また来ることに。(^^) お裾分けで頂いた雑誌の中に、生まれた日のことが書かれていた。

 「自己犠牲の価値を見直して・・・
 強烈な感情を持っています。この強さは、ほとんどの場合、自己表現を望む気持ちへとつながります。
 あなたは想像力が豊かで、直感力に優れ、寛大な心を持っています。愛する人のためなら何でもしようと思っているあなたは、とても献身的な親となり、教師となり、友となるでしょう。しかし、自分を上手にコントロールし、感情に流されたり、気分が大きく変動したり、欲求不満になったりしないように注意が必要。」
 は〜い、気をつけま〜す。(^^)

 愛宕神社での最後のおみくじでは・・・
 「吉・・・久しい間の苦しみも、時が来て自ずから去り、何事も春の花の咲くように、次第次第に栄えてゆく運です。安心してことにあたりなさい。」

 「神の教」には・・・
 「神様の尊い御慈しみの御光の中に生きて居る私。食べるも、着るも、ねるも、起きるも、ことごとく神様の御かげである。有難い、かたじけないと、感謝の気持ち一杯で、お役目大事と授けられた、その日その日のお仕事を、一心不乱に精出そう。」
 は〜い、心しておきま〜す。(^^)

 お仕事として浮かんできたことがある。13年ぐらい前のこと、教会に出入りするようになった後、カナダに旅行したことをきっかけに移住することを決めた。そのために、柾至を保育園に預けて仕事をすることにした。その目的は、お金を貯めるためだったこともあって、仕事の内容というよりは、ほとんど給料で選んだものだった。
 そのうち、それだけでは足りない状況になって、時間の都合が付きやすかったことから、もう一つバイトもすることになった。その時に必要にかられて、自動車免許も取ることになった。

 朝、保育園に連れて行って、夕方まで仕事をし、帰りに買い物などを済ませてから、保育園に引き取りに行き、夕食の準備をしてから、もう一つのバイトへ行って夜中に帰ってくる。休みの日には、普段出来ない家事などをしていた。そんな生活が、1年近く続いていた。時が来て、二人が先にカナダに行ってからも、私一人が残ってギリギリまで仕事をしていた。
 いま思い出すと、良くやっていたなと思う。お給料だけは良かったけれど、どちらの仕事も、私には向いていないと思えるものでもあった。でも選んだのは、自分だった。誰に強制されたわけではない。何かがそうさせていたかのように、当時の私は一心不乱に働いていた。私が何とかしなければ、という思いで。・・・その結果として、いろいろな人に出会い、人生が一転するような出来事も続いたけれど、それがきっかけで目覚めることもあったのでした。
 
 カナダに移住してからも、同じようなことになった。最初の一年は何も出来ずに、現状に任せるしかなかった。それが限界に達した2年目ぐらいから、ようやく動き出せるようになり、仕事を始めた。その一つが日本人向けのツアーガイドだった。人前で話すのが苦手だった私が、マイクを持って案内するというのは、ちょっとしたチャレンジで勇気がいった。
もう一つは、日本レストランのウエイトレス。どちらも初めてで慣れない内容だったけれど、英語が十分には話せなかったので、それぐらいしか選択肢がなかった。
 ただツアーガイドの仕事は、比較的給料が良かったのと、次第に慣れてくると楽しくなっていた。でもウエイトレスのほうは、最低賃金に設定されたものだった。お店の掃除から始まり、調理場とテーブルを行ったり来たりの仕事に、どこかで不満を持ちながらも、生活のために働いていた。独身時代に、商社のOLやエステの仕事をしていた時には、その何倍ももらっていて、それぞれに遣り甲斐があったからでしょう。その頃のことと比べて、どこかで惨めに思っている自分がいたのだと思う。だから、仕事そのものを楽しいとは思えなかったし、職場での人間関係もどこかでぎくしゃくしていた。

 それが変わったのが、REIKI を受けてからだった。受ける経緯については、「REIKIとの出会い」にある通り。そうして、エネルギーと共に意識も大きく変わり、さらに日本に帰る目標が出来てから、いろいろなことが変わった。同じ場所で、同じ仕事をしているのに、すごく楽しくなってきたのです。一緒に働いていた人が、自然と入れ替わることになり、みんなと仲良くなった。ちょっと噛み合わなかったオーナーからも、もっと評価されるようになり、お客さんも良い人ばかりでチップもたくさん貰えたりと、ラッキーなことも続いたり。 同じ職場だったにも関わらず、それ以前とは正反対なくらいに、変化したのでした。

 それらの経験から、全ては自分の意識のあり方次第なのだとわかったのです。何かのせいとかではなく、周りの環境も、起こっている出来事も、全ては自分が創り出していたものだと。そして、どんな仕事でも、生きがいを持って、与えられた事を一生懸命していたら、それに相応しいものがもたらされるということを・・・。

 そうして自分のやることを見い出して、日本に帰ってからのこと。目的があって意欲はあったものの、現実にぶつかることもあった。それで生活が安定するまで、どこかに働きに行こうと思った。でも、その寸前で止められたのです。何度も何度も・・・。 

 その頃は、自分でメッセージも受け取れるようになっていたので確認すると、「もう同じことをする必要はない。今は自分を信じる、信頼することを学んでいる。」と出たのでした。そう、もう今は生活の為だけに働くときではないと・・・。
 それでも、まだ幼かった柾至との現実に押し潰されそうになり、誰も頼れない状況の中で、その度に仕事情報に手が伸びたりして、何度も揺らぎそうになったり。(ははは ^^;)
 そして、ある時期が来たときに、待っていたかのように流れが変わることになったのです。

 今こうして、自分のハートが、魂が望むことをやりながら、この世で生きていけるということが、とても有難く幸せに感じている。その一つとして、三次元での仕事をやるだけやってきたからだと思っている。そうして、(お仕事に関しては)学び終えて、任期満了(!?)になったから、自分が本当にやるべきことのみをやるようにしてくれたのだと。
 その時期が来たから、いろいろな媒体のリーディングを通して、使命としてのメッセージが伝えられたのでしょう。

 一つを学び終えないと、次には進めないようになっている。だから、今目の前にあることから逃げないこと。それが消化(昇華)出来るまで、同じことを繰り返すことになる。
 どんな事も(家事や育児でも)、今していることは無駄にはなっていない。お仕事であれば、目的が何であっても、やると決めたなら、心を込めて最善を尽くす。そうすると、そのエネルギーは周りにも広がり、認められたり感謝されたりと、喜びとなって返ってくる。どれだけ受け取れるかではなく、どれだけ自分は貢献出来ているか。いい加減な気持ちで、中途半端なことをしていると、仕事自体もスムーズにはいかないし、心も満たされないはず。
 何事も、経験からしか本当には学べないのだから、時間を無駄にしないで、この一瞬を大切に過ごしていけるように。これからも、そうありたいと思っている。
 
 ・・・2007年を振り返ってみると、今年も次々にいろいろな事があって、中味の濃〜い一年だったなと思う。今では、もし何もなかったら(何も経験していないと)、何も進化出来ていないように感じてしまう私。(笑)

 年明けのDiaryを読み返すと、「地の完成」「心の中の弥勒を完成させる」「土台を見直して、足元からの基盤作り」・・・などと書いてあった。
 去年のセドナでのRAINBOW TOURから、ハワイへの旅に繋がり、そのレポートを書いていた2月に、「ゴールドとエメラルドの光の統合」が、RAINBOW AGE REIKI の10番目の光として降ろされることになった。

 3月の春分の日は、ネパールへ。ヒマラヤのゴールドの日の出と共に、「南のコンドルと北のイーグルの統合」の祈りを捧げた。
 そして、森羅万象の全てを見通すブッダの目と繋がり、女神さまからの「美と豊かさの融合」、金剛界五仏による金剛(ダイヤモンド)の悟りの境地を示され、宇宙の真理の元に一つに統合する曼荼羅を手にした。

 帰ってすぐに、「目が開いている」と言われた。まだ自分では、どう変わったのか自覚がなかったけれど、その後も「開く」がテーマとして続くことになった。

 4月には、愛と太陽の神であり、第三の目を持つ愛染明王さまと繋がった。そして、「心の眼に、すでに見えているものを信頼すること」と、「開く」というのは、掛けられている(または、自分で掛けている)術を解いていくことでもあると知らされた。
 
 5月のハイライトに入ったところで、突然PCをリカバリすることになり、エネルギーの転換が行われたことを教えてくれた。

 薔薇が、「繁栄と愛の象徴」であり、「神の美の象徴」であることを知り、アイリスクラブのもう一つのシンボルになっていた意味がわかった。(そのエネルギーは、コースのフラワーカードにアチューンしてお届けしています。^^)
 5日には、道真公の守護神であった、天拝山の白瀧大明神さまとのご縁に気付いた。それは、年明けからの稲荷神さま繋がりでもあった。

 夜明けのお散歩で、朝の太陽への礼拝をスタート。ハイライトが明けたところで、満を持して ライトボディコースが誕生。宇宙と同調して、細胞から光り輝くための具体的な方法を提供させて頂くことになった。・・・後になって、3つの光の柱を統合させたものだとわかった。(ゴールドコース)
 
 ゴールドとエメラルドの光を放つ、孔雀明王さま(金色孔雀王)との繋がりを感じ、私自身もライトボディを活性化させるべく、リビングフード(ローフード)を始めた。そのおかげで、エネルギーもより繊細になってきた。

 古いものを洗い流す浄化の6月。メッセージとサインによって示された通りに、大きな変容が起こった。観音さまに見守られる中で、両親との間に残っていた問題が解決されることに。
 夏至の日には、お大師さまと、龍馬ちゃん、観音さまの導きで高知へ行き、新しい扉をくぐり抜けた。

 満月のブルームーンに誕生日を迎え、どんな状況でも祝福されているのだと感じることが出来た。それを証明するように、7月に入ってすぐに、「神の目」を通して神の深い愛を感じ、「777」のハーモニックシフトを皮切りに、ゴールデンタイムに突入。

 続いて、17日のファイヤーザグリッドと、宇宙からはノンストップで、パワフルなエネルギーが降り注がれた。
 龍神さまから、アイリス(虹の女神)まで、たくさんのサポートのおかげで、心身共にエネルギーを注ぎ切るような日々を過ごしながらも、最後まで乗り切ることが出来た。
 そうして、プラスワンの日には一段落して、落ち着いた気持ちでマヤの新年を迎えることが出来た。

 マヤの新しい年からは、金星の逆行と共に、さらにゴールドのパワーがアップし、ゴールドラッシュに! その勢いで、今年のRAINBOW TOUR の準備が着々と進んだ。
 8月に入ったところで、神々さまからのメッセージを伝えて頂くことになり、皆既月食の日には、パンドラの箱を開けることが出来た。

 今こうして振り返ると、一人で切り盛りして大変なこともあったけれど、結果として最善の状態になっていたのだなと実感している。二人とも入院したことで、食事のことや身体のことを必要以上に心配することもなくなった。後は、じっくり時間を掛けて、それぞれがこの世で昇華出来るまで、静かに見守っていこうと思っている。

 9月に入ってから、RAINBOW TOUR に出発する寸前まで、お出掛けすることも続いて、盛りだくさん。(振り返ったばかりなので、これ以降は省略。^^) 

 帰ってきてから、気付くこともたくさん出てきた。この9年間のことを振り返させられて、一つ一つのことが点が線になるように繋がってきた。・・・手の平に出てきたダイヤモンドの形は、その象徴だったのかも。(^^)

 そうして、一つのサイクルが完結することになった。この9年の間にも、生死を彷徨うような体験をしたり、本当にいろいろなことがあったけれど、後悔することは何もない。未熟なりにも、私としては精一杯歩んできたので、それで良かったのだと思える。こうして満足して、一つの区切りを付けられることに感謝。それも、この世界で出会った人たちと、高次の世界の存在たちのおかげです。心から、感謝しています。

 新たな気持ちで2008年を迎えて、ここからまた一歩を踏み出していきます☆