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聖なる旅


沖縄編


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2002.5.25〜5,27

5月 27日   PART 3
 久高島から戻ったのは、11時半ごろ。あれだけ周ったのに、まだこんな時間。やっぱり、早起きは三文の得だ。(^^) 朝からフルに動いたので、すっかりお腹もペコペコ。Saemiさんは、今回のためにガイドブックまで用意してくれて、そこから素敵なお店に連れて行ってくれた。糸満にある「ちなー」という、明治24年築の古い民家を使ったお店。自然の木の香り、雰囲気のある佇まい。好き、好き、こんな感じ♪ SaemiさんとShinoさんは、沖縄そば。私は、沖縄そばをアレンジした皿そばで、柾至は野菜そばに挑戦。どちらも野菜が山盛りで、凄いボリュームだったけど残さず頂きました。v(^^)v 
 次なる場所は、沖縄平和祈念堂。昨日は塔の前まで行ったが、どうしても中に入りたかった。祈念堂の中には、平和祈念像が安置されている。この祈念像は、沖縄出身の山田真山画伯が、全戦没者の追悼と世界平和を願い、晩年の全生涯を捧げて制作されたもの。画伯自身も沖縄戦を体験し、二人の息子を失ったそうだ。この像には、もう二度と再び戦争を繰り返してはならないという、平和への悲願が込められている。私は、偶然ネットで見つけたのだが、地元のSaemiさんも像のことは知らなかったようだ。沖縄に来たら、この像の前で祈りたいと思っていた。像の前に立ち、両手を合わせただけで掌がカーッと熱くなり、全身がビリビリしてきた。高さが12m、幅が8m。漆で造られた像が金色に輝いて見える。蓮の上に座り、合掌している姿は、人間の祈りの姿を象徴している。宗教や思想、政治や人種、国を超えて全ての人が戦没者の慰霊と平和の一点に力を合わせていこうということを、10本の指を合わせた合掌の形に表現されているそうだ。像の頭上には、戦没者の御霊が宿る宇宙空間を象徴する群星(ムリブシ)が輝いている。像の周りには、世界の7つの海を表す7本の柱が建てられており、蓮の下の5つの龍が像を守っているように思えた。像の台座地階には、世界各地から寄贈された平和への祈念を込めた霊石が奉納されており、展示されていた。一つ一つ祈りを込めて作られた千羽鶴も、たくさん飾られていた。この堂の中には、山田画伯を始め、訪れた多くの人たちの平和への切なる思いが溢れていた。私もここで祈ることが出来て、良かった。
 祈念堂の外に出て、空を見上げると、大きな龍体の雲が太陽の周りを囲んでいた。私たちの祈りも通じたみたい。すぐ横には瞑想の森があり、沖縄戦で散った少年たちの死を悼み慰める、少年の像が設置されていた。さらに奥には龍の像もあった。ちゃんと守ってくれていますね。これからもよろしくお願いします☆





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群星(ムリブシ)から光りが・・・

 
 さて、最後に目指すは首里城。近づくにつれ、大きな龍体の雲がいくつも出てきた。その中に、先ほど森の中にいた龍とそっくりの雲も出てきた。早速、答えてくれている。それらが連なって、放射線状に広がっている。これまでにも見たことがないような雲。私たちは木曳門から入り、広福門にも出てみた。二人は、ここで一休みすることになり、ここから先は私と柾至で周ることになった。1時間後に待ち合わせ。パンフレットを片手に、行けるところまで行ってみよう〜。奉神門をくぐって、正殿の前へ。鮮やかな朱色が眩しい。両端には、阿吽(あうん)の大龍柱。壁には金龍。正殿には、国王の象徴である龍が33体棲んでいるという。そのほとんどが、阿吽の対になっているそうだ。確かにどこを見ても、龍ばかり。しかも金龍。一階には国王が座る玉座があり、二階には斎場御嶽と同じ大庫理(ウフグーイ)と呼ばれる催事場があった。その後方には、国王や女官たちが祈願した、おせんみこちゃ(名前が可愛い)。そして、金龍を従えたもう一つの立派な玉座があった。


 展示コーナーになっている北殿を出たあと、坂を一気に駆け下りて、天女橋の架かった弁財天堂に行ってみた。向かいには、龍潭(りゅうたん)という名の池。ここで空を見上げてみると、今度は太陽を真ん中にして、二頭の龍が向かい合っていた。とにかく空が凄い。さすが龍の棲む所。33体全部集まっているのかしら。この時間になると、さすがに暑い。汗がタラ〜と流れてくる。いえいえ、まだまだ大丈夫。あと、もうひと息。 歓会門をくぐり、王宮の飲料水に使われていたという湧水が、龍の口から出ている龍樋(りゅうひ)へ。その水を讃えた瑞泉門まで行き、戻ってから守礼門へ。普通は、ここから正殿へと向かう。順序が違うが、それでも一通り周れたから良いことにしよう。(^^) 石垣と美しい城門。龍に守られた古の琉球王朝の時代を、感じさせてくれた。まだ時間があったので、レストセンターで一休み。沖縄名物のぜんざいを食べた。行く先々で看板を見ていたが、私たちが思っていたぜんざいとは違い、氷あずきのようなものだった。ここでしばらく涼むことが出来た。フレッシュなシークァサーの生ジュースを飲みながら、最後に物見台になっている西のアザナから、城内外を見渡した。これで、ちょうど待ち合わせの時間になった。(完璧〜!) 
 





 余裕で空港に到着。ここで、Saemiさんともお別れ。家から市内まで1時間もかかるのに、朝早くから私たちに付き合ってくれた。地図を見て、間に合うように時間も考えてくれていた。私たちだけだったら、とてもここまで周れなかった。本当に感謝しています。沖縄セミナーの前に、ワークショップを受けに来たのが運のツキ!? いえいえ、それだけではなくて(笑)、Saemiさん自身にとっても意味があったと思っている。この間に、自分自身や家族のことについて、気づくことがあったようだから。アチューンメントも受けた後だったし、これからをお楽しみに♪ それに、Saemiさんの名前には、しっかり金の字も入ってます。(^^) 全てにおいて無駄がなく、意味のある3日間だった。梅雨の時期とは思えないほど、天気も良かったし、シーズン前だったので安いパックで、どこも空いていたし・・・。真夏だともっと暑くて、バテていたかも。ベストな時に来れて感謝・感謝。 後になって、この日周ったところには、他にも意味があったことがわかった。
 久高島と首里は、地図で見れば東の方角にあたり、斎場御嶽は西の方角にあり、大きく見ると、この3つはほぼ真っ直ぐに太陽の道に沿っている。ある風水師の方は、こうも言われていた。

 古代人は太陽を神様として崇拝していましたので、冬至に太陽の光が届く場所を、特別 な聖域としているところが少なくありません。冬至を神様の誕生日としている国もありました。琉球王朝では冬至の日に上る朝日は琉球国創世の神様「アマミキヨ・シネリキヨ」の降り立った島「久高島」をまず通 過し、次いで首里城の龍脈の源である「弁が嶽」を通り、「首里城正殿」に至るようになっています。この日、首里城正殿に向かってお辞儀をすると、弁が嶽や久高島を拝むことになるのです。すなわち、冬至の朝日を拝むために、これらの聖地が一直線上に並んでいるとも考えられます。琉球では東方位 を「あがり」と呼んで、昔から最も尊い方位と考えており、住宅を作る時も「東」に床の間を置く風習がありますが、その根底には太陽信仰があるようです。

 もう一つは、出雲と沖縄の関係。久高島では、イラブー(エラブウミヘビ)を捕獲するが、出雲ではセグロウミヘビが浜に打ち上げられるのを獲っている。種類は違っても、それらは瓜二つだそうで、久高島も出雲も、海からやって来る海蛇を迎えることでは同じ。そして、沖縄と出雲は、黒潮という海の大河で結ばれているということだった。出雲大社で、Yさんが青い光りのビジョンを見て、私が海を感じていたこと。それは、この沖縄のことを示してくれたのでは・・・。ここに来ることは、すでにその時には決められていた。そう思えてならない。
 じゃあ、次も決まっているのかな。 また、楽しみにしておきましょう〜♪