[Diary 133]

 



Diary 


                                 
                                                     

                                                       VOL.134

 2007年 6月 ダイジェスト  (8月31日)                 Part 2
 家に入ってみると、普段きちんとしている部屋が少し乱れていた。鍵は、お隣の方が預かってくれていた。この日の朝は、月に一度のお庭のお掃除の日。いつも時間通りに集まっていた父がいないので、部屋を訪ねてみると、玄関で倒れ掛かったとのこと。顔つきも様子も違っていたので、近所の人たちと相談して、救急車を呼ぶことにしたのだそうだ。

 何て有難いのでしょう。午後に訪ねる予定ではいたものの、この間にも何があったかわからなかったし、私一人ではどうしていたか・・・。
 
 一週間前に持ってきていた酵素玄米のご飯が、カチカチになって残っていた。ハーモニーウォーターもそのままで、飲んでいない。新聞も揃えているのは、その日まで。どうやら状態が変化したのは、翌日からのようだった。
 この頃には、母の目も悪くなっていたので、食事の用意は父がしていた。母も数日食べていない様子だったので、近所の人が心配して、おにぎりとお味噌汁を出してくれていた。普段なら、父よりも食欲がある母だったけれど、手をつけていなかった。
 声を掛けると、「今は腸の掃除をしているから、何も食べてはいけないと言われている。」と言った。 「誰に?」 「病院の先生から・・・」 (!?)

 20年前に、精神が不安定になった頃から、誰かと話しているような独り言を言うようになり、自分の世界に入ってしまっていた。
 さらに尋ねてみると、どうやら同じ日から食べなくなったようだ。「いつまで?」 「あともうちょっとみたい。」 何かを食べさせようとしても、先生に止められているから駄目だと言って、口にしない。 水分だけは取っていたようなので、ハーモニーウォーターを混ぜて飲ませた。
 身体は、いつもと変わらず、弱っている感じはない。むしろ、以前より顔色が良いくらいに見える。私も冷静になり、やはりこれは見えない力で起きていることなのだとわかってきた。

 近所の方たちが、時々様子を見てくれることになり、部屋をかたずけて病院に戻った。救急病院なのでかなり混んでいて、何をするにも時間が掛かっていた。搬送されてからは、すでに6時間ぐらい経っている。ようやく呼ばれて、今は脱水症状が激しいので、しばらく様子を見るということで、入院の手続きをすることに。 これでとりあえず、今日のところは一安心だった。
 家に帰ると、東京の空にソーラーレインボーが出ていたことを知った。そして、この日を境に、目の回るような日々が始まった。

 6月18日
 まず午前中は、自分の家のことや仕事をかたずけておき、介護センターへ連絡。消化の良い果物などを用意して、母のところへ。すぐ下の階の方がケアワーカーだったので、介護センターを紹介してもらい、午後に会うことにしていた。

 去年、介護保険の手続きをしたものの、病院の診査の段階で母が外に出るのを拒否したことから、そのまま保留になっていた。でも、このまま一人にしておくわけには行かない。新しく紹介してもらった人に、母の様子を見てもらった。
 その頃から、強い雨が降り始めていた。他人が家に入ること自体、抵抗を示していた。そこで、ほとんど食事を摂っていないことから、このままだと危ないということで、救急車で病院に運んでもらったらどうかと提案してくれた。
 その手があったのね! 突破口が見つかった気がした。その時に、空が割れるくらいの大きな雷鳴が轟き、さらに激しい雷雨になった。 間違いない、これだ! だったら早いほうが良いということで、明日を決行日にした。

 そのあと、父の入院の準備をして、そのまま病院へ。その時には、あの激しい雨も見事に上がっていた。(!)
 担当のドクターは、30代くらいの女性だった。これまでの検査の結果を聞いた。脳のレントゲンに、黒い影が数箇所写っているとのこと。これが脳梗塞によるものか、一時的な内臓機能の低下によるものか、明日詳しく検査するそうだ。父は、ナースステーションで車椅子に座っていた。昨日よりも落ち着いているみたいで、私も安心した。良かった・・・。

 父は、私の顔を見るなり、「待っていた」と言わんばかりの反応をした。ただ、ドクターとの話が長かったので、もう時間がなかった。二人の保険証がどこにあるのか探し出せなかったので、再発行のために区役所に行かないといけなかった。5時まで、あと15分。飛ばせば、何とかギリギリ間に合う時間だったので、私も焦っていた。
 それで、「明日も来るから・・・」と言うと、「ちょっと待って!」と自分で必死で車椅子を動かそうとしていた。そこへ看護師さんが、体重を計りましょうと呼びにきた。「じゃあ、また明日来るからね。」と出ようとする私に、不安気な顔をしていた。私も気になりながらも、頭の中は明日の母のことで一杯になっていた。
 この時の父の顔と言葉が、私の頭から離れなくなる事態になるとは、思いもせずに・・・。