[Diary 134]

 



Diary 


                                 
                                                     

                                                       VOL.135

 2007年 6月 ダイジェスト  (9月 5日)                 Part 3
 6月19日
 午前中に、準備万端状態に。このタイミングとチャンスは、逃せない。これまで何年も待っていたことが、一つ形になる。そのプレッシャーも大きかった。でも、昨日の雷雨を信じた。大丈夫、全ては宇宙のサポートの中でうまく行くはず。そう自分に言い聞かせながら、家を出た。

 母は普段通りだったが、病院の診察にも抵抗を示していたことからすると、おとなしく救急車に乗ってくれるかどうか・・・。でも、昨日の会話から希望はあった。
 ケアマネージャーさんが帰った後で、「もうすぐここを出ないといけない。」と言っていたのだ。 「どこに行くの?」と聞くと、「先生の病院に行く。」という。そのお迎えが、近い内に来るというのだ。(!?) それで、私もこの選択に間違いないと思っていた。

 深呼吸して、気持ちを落ち着けてから「119」へと電話した。この状態で来てくれるかどうかわからなかったので、もうドキドキだった。数分後に、大きなサイレンと共に到着。
 救急隊の人に、状況を説明した。三人の救急隊の人たちは、母に優しく声を掛けてくれたが、この人たちではないから行かないと言って抵抗した。その許可が出ていないと言うのだ。もう、その話に合わせている場合ではなかった。でも、救急隊の人たちからは、その母の様子から、生命に危険があるわけではないので、本人が抵抗しているのを無理に連れて行くことは出来ないと言われた。

 これまでの私たちの事情を話した。それで、父と同じ病院へ電話して尋ねてくれたが、病院側ではその状況では受け入れられないと言われてしまった。 昨日、主治医の先生には話していたのにと思い、ショックだった。これで駄目なら、一体どの方法が・・・。最後のチャンスだと思っていただけに、どうして良いか一瞬わからなくなった。
 救急隊の人たちは、とても良い人たちだった。でも、仕事上のルールがあった。これ以上、彼らにも迷惑を掛けられない。ほとんど諦めかけて途方に暮れていた。

 そこで、精神科専門の方が良いのではということで、連絡してみてくれることになった。そうして、三軒目にようやく受け入れてくれるところがあった。父と同じ病院としか考えていなかったので不安はあったが、とりあえず今はそれしかないのだと思った。
 そして、担架で運んでくれることになった。抵抗しているのは止むを得なかったけれど、何とか救急車まで乗せることが出来た。近所の人たちも集まって、見守ってくれていた。到着して、すでに一時間近くが経っていた。

 私はバイクで行きたかったけれど、一緒に乗って行かないといけなかった。そこで近所の人が、電話したら迎えに行ってあげると言ってくれた。思いがけない流れになり、私も一人で動揺していたので、うれしかった。救急隊の人たちにも、申し訳ない気持ちで一杯だったけれど、本当に有難かった。手を尽くしてくれて、心から感謝した。本当に、ありがとうございました。 

 病院に到着して、診察室へ。自分の決められた病院しか行かないと言っていたので、無理やり連れて来られて、どう反応するか心配だった。でも、その病院は専門だけあって、応対に慣れていた。そうして、部屋に入ってソファに横たわった母は、まるで魔法でも掛けられたかのように、気持ち良さそうにウトウトし始めたのだった。(!?) 

 ドクターと問診して、これまでの状況を説明した。家族環境から、かなり細かいところまで尋ねられた。さすがに、精神科の先生は話が早かった。しばらく様子をみるということで、入院させてくれることになった。今まで何の治療も受けていないので、かなり長期になりそうだと言っていた。おそらく、もう自立生活は無理だろうと。
 その病院は、父の病院とは反対方向の山の手になっていたが、ガルーダちゃんの足なら通えそうだった。そうして、この病院で良かったのだとわかった。父の病院は大きかったけれど、救急病院だったので精神科はなかったのだった。

 一通り終わって、今日のところはようやく帰れることになり、近所の人が迎えに来てくれた。ケアワーカーをされている人なので、とても面倒見の良い人だった。毎日忙しく働いているけれど、たまたま今日は休みで家に居たらしい。「一人で大変だろうから、出来ることがあったら何でも言って。」 その温かい言葉に癒され、励みになった。
 
 再び父の家に戻ったけれど、もう日が暮れようとしていたので、そのまま帰ることにした。大きな難関を突破した安堵感もあったけれど、その足で父の病院にまで行く気力はなかった。
 
 6月20日
 父の病院へ。眠っているのだろうか。口が開いて、目が半開きだった。しばらくして、看護師さんから、左手が動かなくなったことを聞いた。(!?) ドクターから説明があった。

 脳の検査の結果、脳梗塞だと判明した。それも思っていたよりも、かなり広がっていて重症だという。(!) その影響で、左半身が麻痺してしまっていた・・・。
 
 脳梗塞によって詰まった脳の部分は、もう回復することがない。そのための治療法というのはない。あとは、これ以上広がらないことを願うだけ。・・・ドクターの話を聞きながら、涙が溢れてきた。頭の中が真っ白になって、頷くのがやっとだった。

 言葉では表せないぐらいショックだった。入院したときは、そんな重病だとは思えなかった。その一週間前は、元気だったのに。その日は、夏休みになったら、久し振りに三人で阿蘇に行こうと話していたのに。 一昨日は車椅子に座って、自分で動かそうとしていたのに・・・。
 その姿が浮かんできた。私の顔を見るなり、病室へ戻ろうと必死で動こうとしていた。何かを言いたそうにしていた。でも私は・・・。まさか、あれが最後の会話になるというのだろうか・・・。

 その後はボーっとしながらも、買い物に行ったのを憶えている。母の入院のために、その日の内に準備するものがあった。こんな状態でも、私にはやらなければいけないことがあった。しっかりしないと・・・、そう自分に言い聞かせながら。
 お店に入って回りながら、また涙が溢れてきた。歩きながらも、全身の力が抜けてフラフラしていた。帰りのバイクでも同じだった。走りながら、ヘルメットの中でも涙がこぼれていた。
 
 柾至が帰ってきて夕食が終わる頃、やっと話すことが出来た。私の胸の内から、抑えていたものが堰を切ったように、溢れてきた。
 あのまま帰ってしまったこと、昨日来れなかったこと・・・。後悔して自分を責めていた。出来るなら、もう一度あの時間に戻りたいと・・・。 柾至は、私の手を握り締めて聞いてくれていた。
 ベッドに入って少し眠ったものの、目が覚めてから、またいろいろなことを思い出していた。私たち家族のこれまでのことを・・・。

 6月21日
 朝、洗濯物を干そうとしたら、網戸に赤い二つ星のてんとう虫を見つけた。そこで、17日に見た金色のてんとう虫のことを思い出した。
 ・・・表に現れていることだけに惑わされないように。その奥にある真実を見ること。

 満月のメッセージも思い出した。「驚くような形で、古い問題が解決される」・・・そうだった、これも全て、宇宙の最善のためのプランの一つなのだ。全ては、それぞれが進化するために起こっていること。
 自分を取り戻さなければ・・・。昨日の涙を最後にしよう。

 そう、私にはやることが山ほどあった。これからもっと忙しくなる。今まで以上に、まず自分の身体も整えてバランスを保っておかないと・・・。悩んだり心配したり、頭でいろいろ考えている時ではない。直感と集中力が落ちたら、乗り切れなくなる。時間とタイミングを大事にして、自分の与えられたことに最善を尽くして果たそう。
 気持ちを切り替えて、PCに向かってブログを書き上げた後、メールのレスや仕事の段取りをして、家事を済ませた。
 
 午後は、まず母の病院に行って、ソーシャルワーカーの人と手続きをした後、父の病院へ。もう言葉は出なくなっていた。私とも目の焦点が合わなくなっていた。その姿をみるのは辛かったけれど、私は気を取り直して受け入れるようにした。私が右手を握ると、強い力で握り返してきた。そして握った手の中で、指を動かしていた。
 持ってきたコスモWを、吸い飲みで少しずつ入れてみた。口を開けた状態だったけれど、何度か飲み込んだ。そして、父にとっての最善を祈りながら、頭にしばらく手を置いていた。

 帰りに区役所へ。母は精神科なので、書類上の手続きが複雑だったりする。番号札が「444」だった。
  「今のこの瞬間にも、たくさんの天使たちがあなたの周りを囲んで、愛でサポートしています。・・・何も心配することはありません。全てはうまく行っています。」
 
 この日の夜、病院から電話があった。私が帰った後、様態が急変したとのこと。夕食は、自分でパクパク食べるぐらいに食欲があった。その後しばらくして、突然ケイレンを起こし意識不明になり、40度の高い熱が出ているとのこと。(!)
 
 ケイレン、高い熱・・・!? 私はそれを聞いて、ドクターとは別のことが浮かんでいた。高熱は、細胞が原子転換をしようとしているはず。もしかしたら、今日エネルギーを送ったことで、そのためのスイッチが入ったのかも。

 私はまだ仕事があったので、柾至が様子を見に行ってくれることになった。ナースステーションのすぐ隣にある救急室に移され、酸素マスクを付けていた。息が荒い感じだった。そこで思いついて、私と同じように頭に手を置いて、全身にエネルギーが流れるように送ることにしたそうだ。すると、しばらくして大きくハアーっと深い息をして、その後で呼吸が落ち着いてきたのだという。(!) 
 帰ってきた彼から、その話を聞いて、一つ乗り越えたのだと感じた。(ありがとう、ご苦労さま。^^) それが、夏至を迎える前夜だった。