第7回 子供との関わり合い方

 子供との接し方について、「聖なる予言実践ガイド」の中で紹介されていることが、私自身の考え方に通じるものがありましたので、ここで紹介したいと思います。

 子供たちのためにそこにいる。常に質の高い1対1の注目を与えることができるだけの人数しか、子供を持たないようにする。これは、彼らに十分なエネルギーを与えて、健全で全体性を持つ大人に成長してゆけるようにするためである。
 
 それは大人は一度に一人の子供にしか、注意を向けられないからです。大人の数に較べて子供の数が多すぎると、大人はどうしてよいのかわからなくなって、十分にエネルギーを注ぐことができません。子供たちは大人の時間を得ようと競争し始めます。
 写本は、人間は血のつながりを超えて家族を拡大することを学ぶと、言っています。だから、誰か他の人が子供の面倒を見てもよいのです。全部のエネルギーが両親から来る必要はありません。実のところ、そうでない方がいいのです。しかし、誰が子供の面倒を見るにしろ、子供にはこの1対1の注目が与えられなくてはなりません。
 
 子供たちを、固有の運命を持つ霊的な存在として扱う。あなたは彼らに人生のスタートを切らせてあげることはできるが、彼らの運命をコントロールすることはできない。

 彼らを尊敬する。ハイヤーセルフを持った一人の人間として彼らに話しかける。

 子供も次のような権利を持っていることを認める。真実を知る権利、世話される権利、どのように大人になるか教えられる権利。

 子供たちの利益、健康、安全のために大切なことは、はっきりと教え、主張する。「シートベルトをしめなくてはいけません」というように。

 彼らがまだあなたの世話と監督下にある間は、明確な境界線を限定する。「もし何かおかしな事が起きたら、必ず電話して、私に知らせなさい。どんなことでもね」

 何か問題がある時は、あなたの立場を明確にする。「他の人たちは、私たちと違うように生きる権利を持っていると、私は思うのよ」という具合に。

 一人ひとりが自分の解決すべき問題を持って生まれているのを理解して、彼らのそれぞれの要求に耳をかたむける。親は子供に対して一番影響力を持っているものの、唯一の影響力を持つ存在ではない。

 子供の年齢に合わせて、できるだけ多く、あなた自身の霊的な日課を子供にも体験させる。「ママは今、15分だけとっても静かにしていたいの。目を閉じてすわって、静かに考えなければならないの」

 子供たちの成長のレベルに合わせて、あなたが決めたことについて説明する。「新しい町へ引っ越すことになったのよ。地図でどこか探してみましょうね」という具合に。

 子供たちによって、あなたの現実に対する認識は変わるかもしれない。心を広く持って、それを受け入れる。子供達から喜んで学ぶ。

 家族の中の問題について話し合う。問題を自分だけで抱え込むことは、真実と、そこから得られる知恵を子供から奪ってしまう。こうした話し合いをする時は、被害者になるのをさけ、子供の年齢に合わせたものにする。例えば「あなたが新しい靴を欲しいと言っているのは知っているわ。まだ買ってあげられないのは、これしかお金がなくて、ほとんど全部、家のことに使わなければならないからなの。一緒に、どうすれば靴を買うお金を貯金できるか、それにはどのくらいかかるか考えてみましょうね。どんな靴が欲しいの?」子供を巻き込み、問題解決に参加する機会を与える。

 子供たちに家の仕事を割り振る。彼らのために何でもやってあげてはいけない。重要な仕事を自分でもできるということを体験した子供は、より健康に、より早く成長する。

 すぐに手助けしない。勿論、生死の瀬戸際の話をここでしているわけではない。しかし、一般的に、子供は私たちが思っているよりもずっと何でもできるものである。自分をバカだ、価値がないと思わせずに、失敗から学ぶ機会を子供たちに与える。そこで何が起きたか、それについてどう思い、何を学んだか、次の時はどうすればいいと思うか聞いて、勇気づける。彼らのエネルギーを奪い取ったり、批判的な言葉を吐いてはいけない。人生とは危険を犯すことであり、失敗することだと認める。体験は、権威的な親の説教よりも、ずっといい先生である場合が多い。

 人々が新しいレベルへ進むことができるのは、応援してくれる環境にある時だけである。笑い者にしたり、侮辱したり、体罰を与えたりするのは、親の行為としては受け入れられない。

 子供が持つユーモアのセンスを大切にして伸ばす。ただし、他の人を馬鹿にするような冗談はいけない。

 いつもほめたり勇気づけたりする。

 子供は親の重要な鏡であることを忘れない。子供の行動が、あなた自身について、あなたが知らなければならない事を教えていることに気づく。

 自分や他人の子供に対してしてあげられる最大のことは、彼らの話を聞き、それを真剣に受けとめ、彼らの人としての価値を認めてあげることである。

 子供をありのままに見てあげるということも大切です。それは子供は私たち大人の所有物ではないからです。子供たちはそれぞれ固有の使命を持って生まれてきています。私たち大人ができることは、彼らに自分たちが果たせなかった夢を託すのではなく、常に十分なエネルギーを与えることだと思います。そうすれば、彼らは注目を得るためにわざとらしく振舞ったり、自分を良く見せたりする必要を感じないのです。そして彼らが成長し、エネルギーを得る対象が大人から宇宙へと変わる時も、その移行がずっと簡単に行くだろうと思います。

第8回 コントロールを手放す

 物事を起こらせるためには、自分ですべてをコントロールしなければならないという思い込みを手放しさえすれば、私たちの人生は奇跡のようにうまく展開し始めます。宇宙におまかせして、私たちを導いてもらうと、私たちの人生に神秘を呼び戻し、真に生きていると感じさせてくれます。
 シャクティ・ガワインは著書の中で、自分自身の旅についてこう語っています。

 ついに私は自分自身の人生をコントロールし、自分の思い通りに物事を運ばせるように努力することに興味を失いました。そして宇宙にゆだね、”それ”が私に何をするように欲しているか見つけ出す練習を始めました。長い目で見れば、結局は大した違いはない、ということもわかりました。宇宙は常に、私が欲しいものすべてを手に入れるように望んでいるようです。
 そして、どう導けば、私がそれを手に入れられるか、私が自分でやるよりもずっと良く知っているようです。しかし、焦点の合わせ方が違います。自分が何を欲しいのか頭で考え出して、ゴールを設定し、自分に起こってくることをコントロールするのではなく、私は自分の直感を受けとめ、たとえ、自分がなぜそうするのか理解できなくても、言われた通りに行動する練習をし始めました。それはコントロールを手放し、ゆだね、高次の力に物事をおまかせするような感じでした。

 社会や周囲から与えられた固定観念や古い信念は、一度手放してみることをお勧めします。頭の中で理屈や理論に囚われてあれこれ考えたり、周囲の意見に惑わされたりしないで、自分の本能、つまり直感を信じてまかせてみてはどうでしょう。
 ”こうでなければいけない”という思い込みを捨て、結果がどうなろうと今のこの状態がベストであると、受け入れてみるのです。例え、それが自分の予想した結果にならなかったにしても、その経験から学びそれを生かすことで、自信と喜びを持って次へのステップに行くことができます。そのためには、結果に執着しないで最善の努力を尽くしながら、その過程を楽しむことです。それが未来にも囚われない、今を生きるということです。そうすれば起こした行動についても後悔しなくなり、結局はすべてうまくいくようになります。

第9回 私たちの真の目的について

 「新しき流れの中へ」という著書の中から紹介します。

 生まれてくる前、向こう側の世界で導き役から説明を受けている自分を想像してみてください。その説明はこんな風に始まっているかもしれません。
 「さて、あなたはもう一度、肉体に入る準備ができたのですね。あなたが望んでいるレッスンを与えてくれそうな両親がいるかどうか、よく探してごらんなさい」
 「一度、肉体の中に宿ったら、様々なサインによく注意しなさい。手に負えないほど沢山のサインがあるはずだよ。できる限り沢山の愛のエネルギーを作り出しなさい。しかも、常に霊的な源とつながっていることを忘れないように。迷子になったり、苦しくなったりすることもあるだろう。しかし、そんな時に助けを求め、自分の内なる知恵に耳を傾けるのだよ。自分の霊的本質に目覚めているために、君には必要なものすべてが与えられている。道の途中で多くの人々に出会うだろう。でも楽しくするために、彼らは君の期待とは、まったく別の姿をとって現れるだろう。でも彼らこそ、君がいかに多くの愛を与えられているかを示してくれる人たちなのだ。時々、大変でつらい時もあるよ。しかし、君は決して一人きりではないのだ。私たちに連絡しなさい。手紙を書きなさい。必要なものがあれば頼みなさい。ではしばらくの間、さようなら。あっ、もう一つ言っておきたいことがある。いかに小さなものであれ、君のすべての行動に責任があるということを忘れてはいけないよ。また戻ってきた時、そうしたことは、もっとよくわかるようになるだろう」

 輪廻転生とは、私たちには何回もの人生を生き、人間の持つすべての可能性を経験する機会が与えられているということを意味しています。確かに短い人生もあります。それに、この人生は一回しかありません。新しい目的を達成するために、私たちは前世からのくせや才能を持ち越しています。この人生の目的を完成すると、この世を去ります。そして、さらにまた別の人生を生きるチャンスが与えられるのです。

 また、人類の究極の目的は、物質的世界と霊的な世界を統合することであるとも言われています。このような霊的―スピリチュアルな世界に気づくこと、それは自分の魂の本質を思い出すことでもあり、何も特別なことではありません。物質的世界に生きながら、毎日のごく普通の生活をする中で、いかに霊的に生き本来の目的を果たしていくか。それも現実の仕事をしながら、または家族の世話をしながらと、その人に合った好きな方法で表現していけばいいのであって、誰もが特別なことをしたり、特別な人になる必要はないのです。今の生活に活かして始めて意味を持つものだと思います。

第10回 行動に移す

 足立幸子さんは、波動をあげる為に大事なことの一つとして、”行動に移す”ということをあげられています。

 知識があって頭で考えているだけの方は、これからどんどん時代の流れに置いていかれます。とにかく「行動に移したり、表現する」ということが、大変大事になってきます。形に表したり、言葉に出すことも表現しているわけですね。 肉体の部分でエネルギーを流しますと、<おおもと>の部分からエネルギーが入ってくるのです。
 よく全然行動に移さないで「私にもエネルギーが入ってこないかなあ」と言っている人がおられますが、ただ待っているだけでは入ってきませんよ。古いエネルギーを肉体の部分に澱ましておいて「新しいエネルギーが入ってこい」と言っても無理ですから、どんどん行動に移して表現していって、常にカラッポにしておけば、<おおもと>からどんどんエネルギーが入ってくるのです。<おおもと>には無限にエネルギーがあるのですから、流せば流すほどいくらでも入ってきます。普通は「表現すれば疲れる」と思われるかもしれませんが、<おおもと>からエネルギーが入るようになれば全然疲れないですよね。 
 例えば、サイキック・パワーというのは自分の力をかなり使っているようですから限界があるみたいで、使えば疲れます。でも<おおもと>からのエネルギーは無限に入ってきますから、使えば使うほど、表現すればするほど、元気になってしまいます。

 ”行動に移す”というのは、ひらめいたら即行動に移してみるということです。ひらめきや直感というのは、自分の波動が引き寄せるのですから、それぞれに必要な情報として入ってくるわけです。ですから、そこで自分の直感を信じて、できるだけ早く行動に移してみてはどうでしょう。せっかく直感を与えられても、ただじっと待っているだけでは何も始まりません。確かに、まだ経験のない新しいことに対して行動を移すのには勇気が必要です。そこで、自分の内なる声を信頼して、行動に移すことが出来るかどうかで進化のスピードは変わってきます。足立さんはまた、「何だかわからないけど、やってみると、行動に移すと理由がわかる」「何だかわからない」というのは、「自分の深い部分」からの情報ですから、その時はベストタイミングだとおっしゃっています。どんな時でも、前向きで感謝の気持ちを忘れなければ、そのために必要なアドバイスやサポートも受けられるでしょう。
 また自分を常にエネルギーで満たしておくことも大事です。まずは、心や身体の中の不要なものをどんどん出して、新しいエネルギーを取り入れるスペースを作ることです。そして自分に合ったエネルギーの取り入れ方を学んでください。私の場合はREIKIによっていつでも必要な時に、ここで言う<おおもと>からエネルギーを取り入れることが出来るようになりました。その前から、時々ヨガは実践していましたが、それだけでは充分ではなかったようです。そのおかげで、手だけを使う1時間のリフレのセッションをしても、疲れることなく逆にどんどんエネルギーで満たされるようになっています。みなさんにもそれぞれに合った方法が、必ず示されるはずです。常に心のアンテナを張っておいてください。エネルギーで満たされると、直感力も冴え、自分に今何が必要かも自然とわかってきます。宇宙は常に私たちの味方です。私たちが受け入れる気もちさえあれば、必要なものは全て与えられます。信頼してみて、機会を与えられた時はそれに応えるためにも行動に移してみましょう。

第11回 自分で決めるということ

 まずは、前回の補足をしておきましょう。
宇宙の法則で良く言われている「あるがままを受け入れる」「必要なものは与えられる」ということだけを聞いて、このまま何もしなくてもいいんだ、来るのを待っていればいいんだとは、思わないでください。今の自分をよく見つめてみて、全てを受け入れてあげたなら、自分には今何が足りないのか、何をするべきなのか、自然と気づいてくるはずです。そのために、まずはありのままをいったん受け入れる必要があるのです。そして、そこで気がつき、そのための機会が与えられたなら、それが行動を起こす時です。その際に、頭で全てを理解する必要はありません。頭だけで考えようとすると、今までの知識や経験がじゃまをして行動に移すことが出来なくなることがあるからです。
 私がREIKIを受けた時のことを例にあげると、
”REIKIとの出会い”にも書いていたように、その時の私は本を読んだわけでもなく、体験者の話を聞いたわけでもありませんでした。情報を集めようとしても、その時はなぜか入らなかったということもあります。それでも、自分の中には、「これだ!」というものがあり、いつのまにかその声に従っていたのです。それまで優柔不断で行動力もなかった私にとっては、信じられないようなことです。何か見えない力に動かされているといった感じでした。またそうやって、良くわからない状態で受けたあとでも、不思議と不安に思ったり、疑いを持つようなことも一切なくここまで来ました。そして今では、REIKIの素晴らしさを充分に実感し、あの時の自分の起こした行動とその決断に誇りを持っています。そのためには、自分で決めるということが大事だと思っています。あの時、もし周りの人に相談していたら、逆に迷っていたのかもしれません。誰かに相談してアドバイスをもらった時でも、最後に判断するのは自分です。こう言われたからその通りにするのではなく、自分で決めることです。迷う時は、あせらず自分のハートやガイド達に尋ねて見てください。必ず、そのためのサインを何らかの形で与えてくれるはずです。そうやって、何をするにも常に自分で選んで、自分で決めることが大切だと思います。また、それに対して起こった結果については、何が起こっても他の人や環境のせいにしたりしないで、自分で責任を取るつもりでいることです。(このことについては、第8回をもう一度見てみてください) そのように毎日を生きることで、そのために必要な情報やサポートが自然に与えられるようになるのです。そして受け取ったあとは、いつも感謝の気持ちを忘れないでいてください。

 第12回 エネルギーについて

みなさんは、「聖なる予言」を読んだことがありますか?

1994年に出版され、世界中で大ベストセラーになった本です。
これは著者ジェームズ・レッドフィールドが、自分の自己発見の過程を振り返って、それを九つのinsight (知恵)を発見し、悟ってゆく冒険小説の形で著したものです。

 私がこの本を読んだのは、日本への一時帰国から戻ってしばらくのことでした。(1998年)この本のことは、東京に住んでいた頃から知っていましたが、その時はまだ手に入れて読むほどの気持ちはありませんでした。
 偶然とは言えない偶然の一致に気づく第一の知恵から始まり、様々な出来事を通して、自己発見していく主人公の物語は、当時の私とオーバーラップするものがあり、そのひとつひとつの知恵は、まるで私に語りかけているようでした。
このコーナーでは、その九つの知恵の中から、抜粋して紹介して行きます

 第1の知恵
 偶然がもたらす事の重要性に気づくことで、その人の人生を変える不思議な出来事が起こり、何か大きな力が働いていると感じ取ることから、本当の自己改革が始まります。

 第2の知恵
 次に私たちの新しい気づきは、必然的なものだとわからせるために、その気づきを現実のものにします。自分たちが物質的なものだけに心を奪われ、身の安全のために自分のまわりの状況を支配しようと一生懸命だったことに我々は気がつくのです。そして、心を開くということは、何が本当に起こっているかに目覚めることだと悟ります。

 第3の知恵
 宇宙全体が純粋なエネルギーから成っていて、私たちが生きているこの物質世界は大きなエネルギーシステムだということを示しています。そして、人間はいつかこの宇宙が一つの動的なエネルギー、つまり私たちを生かし、私たちの期待に反応するエネルギーから成り立っていることを理解するようになります。しかも、自分たちがこのエネルギーの大いなる源から切り離されていたこと、そのために、か弱くて不安で何か欠けていると感じ続けていたことも、理解するようになります。

 第4の知恵
 エネルギーの不足感に直面すると、私たちは常に、自分の個人的なエネルギーを増やそうと、心理的に他人からエネルギーを盗もうとします。人間の闘争は、常にこのエネルギーをめぐる争いでした。家族間のささいな争いから、雇用関係から国家間の争いまで、すべてのレベルにあてはまります。他人を支配することで支配者は自分が強力で有能だと感じるが、それは、被支配者から、大切なエネルギーを吸い取っている。相手の幸せのためにそうしているとか、自分の子供なんだから、いつも支配すべきだなどと自分に言い聞かせても、何ら違いはない。被害は起こるのです。


 私はここで、今までの自分を振り返らされました。”私がしっかりしないといけない”とか、”私が頑張らなければいけない”と言い聞かせながらやってきたことが、実は無意識の内に相手をコントロールしようとしていた。そうすることで自分の不足感を満たそうとし、それが結果、相手のエネルギーまで奪っていたということです。そうして奪われた相手は、今度はそれを取り返そうとするため、お互いがエネルギーの奪い合いをしていくことになる。そのことに気づいたことは、最初はショックでもありました。お互いが良いと思ってしていたことが、実はそうではなかった。それを認めるには勇気も必要でしたが、気がついて良かったと思いました。そうすれば、もう二度と同じ過ちを繰り返さなくてすむからです。

 ではそのような状態を防ぐためには、どのようにすれば良いのでしょうか。第5の知恵がそれを教えてくれています。

 
第5の知恵
 まず、自分が他人をコントロールするために使う特別なやり方に気がつき、それをやめなければなりません。しかしこのくせを断ち切るのは容易なことではありません。最初はいつも無意識だからです。その鍵は、そのくせを完全に認識することです。他人をコントロールする型とは、私たちが子供の頃、人の注意を引き、エネルギーを自分に引き寄せようとして学び取ったもので、私たちはそこから抜け出せなくなっています。その事実を見ることによって、私たちは自分のくせに完全に気づくことができるのです。
 
 そして、エネルギーをより高い次元、高次の源から受け取ることによって、私たちはこの闘争を終わらせることができるのです。あなたが十分にエネルギーを得ると、あなたは準備が整って、進化に意識的に取り組み、流れ始め、あなたを前へと導いてゆく偶然の一致を起こすようになります。あなたは自分自身の進化に、特別の方法で取り組みます。まず第一に、あなたは十分なエネルギーを蓄積します。すると、あなたは自分の基本的な人生の課題、あなたの両親が与えた課題に気がつきます。この課題が、あなたの進化のための全体的な背景となっているからです。次に、あなたが直面している差し迫った小さな問題を発見することによって、あなたは自分の道の中心に進みます。こうした問題は必ず大きな問題へとつながってゆき、あなたが今、一生の探求のどのあたりにいるか、教えてくれます。
 今直面している問題に気がつきさえすえば、あなたはどうすべきか、どこへ行くべきか、一種の直感的な指示を必ず得ることができます。つまり、次のステップについて勘が働くようになります。これが起きない唯一の場合は、あなたが誤った問題を心に持っている時です。― 中略 ― 次に何が起こるか直感を得たあと、遅かれ早かれ偶然の一致が起こり、直感が示した方向へあなたを動かしてゆきます。


 これを読んだあと、やっとパズルが解けたような気分でした。REIKIを受けてから、私の周りに突然起こり始めた一連の出来事。そして、それによるたくさんの気づき。自分としては、不可思議とも思えたことが、本当はごく自然で、宇宙の法則では当たり前のことだったということです。
 何よりもうれしかったのは、もうこれからは誰ともエネルギーの奪い合いをする心配がなくなったことです。いつでも必要なときは、高次からエネルギーをもらえるからです。それだけではなく、他の人にも与えることができる。こんなに素晴らしいことはないと思いました。この素晴らしい宇宙のエネルギーを自由に、いつでも与えたり受け取ったりできる。目には見えないものだけに、その分、身体でハートで魂で感じることができるのです。この感動をみんなに伝えたい。そして一人でも多くの人にその喜びを体験してほしいとも思いました。この感覚―充足感―は、いくらことばを連ねてもうまく説明することが出来ないからです。
              
 最後に、第8の知恵の中から、子供とのかかわり方について紹介します。

 
第8の知恵
 子供は、進化を学ぶために、常に無条件に、私たちのエネルギーを必要とします。子供にとって最悪なことは、子供を矯正しようとして、子供のエネルギーを奪い取ることです。どんな情況でも、大人がすべての必要なエネルギーを注ぎ込みさえすれば、子供はエネルギー争奪のドラマを学ばずにすみます。


 今、悲しいことに、無意識のうちに子供のエネルギーを奪っている大人が多いような気がします。私もその一人でしたからよくわかります。親であれば、誰でもそんなことはしたくないはずです。魂のレベルでは、いつでも子供に有り余るほどの愛―エネルギーをあげたいと思っているはずですから。


 この本は、セカンドまで受けたお客様にしばらくお貸ししていました。それが、これを書いていた昨日返してもらい、久し振りに私の手元に戻って、パラパラと目を通していたら、急に思うことが次々に出てきてこのページに書くことになりました。もしこの本を読むのが、ずっと前だったなら、ただおもしろい小説だったで終わっていたかもしれませんね。