からだとこころのLesson
このコーナーでは、私たちがもっともっと楽しく, 健康でイキイキした人生を送るために、 私なりに考えていることをお話しています。 以降は、Diary のページで、 日々の出来事の中から気付いたことをシェアしたいと思います。 |
第1回 病気について 第2回 病気と細胞について 第3回 波動について 第4回 偶然の受けとめ方 第5回 直観とは 第6回 偶然の一致について 第7回 子供との関わり合い方 第8回 コントロールを手放す 第9回 私たちの真の目的について 第10回 行動に移す 第11回 自分で決めるということ 第12回 エネルギーについて |
第1回 病気について |
「病気になっても、正しい状態に戻すことができる。病気は,私たちを襲って苦しめるような冷酷な存在ではない。むしろ病気は、私たちの魂が自らの欠点に気づくようにさせてくれる。私たちがさらに大きな過ちを犯して自分を害することがないようにさせ、見失ってはならない真実の光の道へ引き戻してくれる。」 これは、1930年代にイギリス人の医師エドワードバッチ博士によって書かれたものです。 つまり病気は、今までの生活習慣や食習慣などを含めた自己管理のあり方や、自分の人生における現在の状態、また自分にとって、最も大切なこととは何かといったことを、もう一度考えざるをえないという状況を創り出すということです。 これをエネルギーのレベルで言うならば、病気はエネルギーの収縮から生まれます。その収縮は、自分に愛情がないときに起こります。 例えば,カゼを引いたら、それは自分に対して十分に愛情がないという合図かもしれません。ですから、カゼを引きそうな感じがしたり、万が一カゼを引いた場合には、「ちょっと待って、そう言えば最近寝不足が続いてたなあ。」とか、「ちゃんと食事摂ってなかったなあ。」とか、いろいろ思い当たることが出てくるはずです。そしてそのあとは、じゃあ自分のために、今どんなことが出来るかな、と一度考えてみます。休養をとったり、感じているストレスを解放したり・・・と何かできますよね。早く気がついて行動にうつせば、症状も軽く済むと思います。 また、私たちが病気を作り出すのは、崩れてしまったバランスを回復させ、古いエネルギーを解放し、新しいレベルに対する機会を自分に提供するためでもあります。肉体の発するメッセージに謙虚に耳を傾けることが出来るようになると、あなたに愛され受け入れられた肉体は、加速度をつけて健康になっていきます。それは、肉体には本来治ろうとする力、自然治癒力が備わっているからです。肉体は意識を反映しています。 ここで気をつけてほしいのは、すでに病気になってしまったとしても、決して自分を責めたり、痛みを憎んだりしないで下さい。そうならざるをえなかった自分を認めてあげて、気がついた時点で出来ることを始めてください。 忘れないで、からだはいつでもあなたの味方です。 |
第2回 病気と細胞について |
今回は、病気と細胞の関係について、お話したいと思います。 西洋医学では、いろんな有害な細菌、ウイルスに人間が冒されると、抗生物質などを、飲んだり注射して治療します。しかし、最初は効果を現しますが、細菌はだんだん抗生物質に負けないようになってきます。細菌、ウイルスは人間の身体に入ってきて、様々な薬を使われると、このままでは自分が危ないということで、進化していくのです。最初と違う細菌、違うウイルスになっていくのです。 それでも人間は懲りずに、薬でどんどん細菌を殺していこうとしていきます。次から次へと新しい薬を作っていっても、細菌は人間にいじめられる分だけ、どんどん進化していきます。もっと悲しいことにそして、新しい薬が使われる度に、人間の細胞はその副作用で生命力をますます失い、細菌に対する抵抗力をさらに失っていきます。 細菌はどのようにして進化していくのでしょう?要するに、細菌は高度な意識はなにもな く、薬や抗生物質を使われて、自分の存在をおびやかされるから、非常に単純に、それに打ち勝とう、生き延びようと反応して進化するだけなのです。 すでにご存知のように、風邪のときの発熱の場合も同じです。熱が出るのは、身体がウイルスと闘っているためです。解熱剤を飲めばたしかに熱は下がりますが、そればかりをやっていると、身体が病気と闘う能力を見につけるチャンスを失ってしまいます。 人間の細胞は、だいたい半年位で全部入れ替わります。つまり、本来の身体の働きが正常に行われていれば、病気の人も半年たてば、新しい細胞になって、病気が治っているはずだということです。では、どうしたらそのような身体に戻れるのでしょうか?もう今さら遅いなんてあきらめないでください。少しでも早く取り戻せるように、まずは、意識を変えていくことが大切です。そしてその具体的な方法を、これから少しずつ紹介していきたいと思います。 |
第3回 波動について |
ここ数年の間に、波動ということばがよく使われるようになりました。波動にもいろいろありますが、ここでは、こころの波動についてお話します。 まずは、こころがもたらす影響について、足立育朗さんの「波動の法則」から、 全ての現象は、自分の発振した振動数と同調して起きてくる。自分の周りに起きている結果は、どんなにいいことも悪いことも自分に責任がある。自分が無意識のうちに出している振動波は、そこで同調してその現象を起こしている。− 略 −そうでない限りは、その現象は起きないわけだ。しかも起きている現象は、その人がそれを体験し、そこから何かを学ぶ必要があるから起きている。つまり、調和のとれた振動波を出していれば、常に調和のとれた現象しか起きない。身の回りに調和のとれたことしか起きなくなる。自分に大変きつい現象が起きているのは、自分にとってスタディが必要でその振動波を出しているから。「体質」がスタディをしていく顕在意識に「気づいてくださいよ。」という強力なメッセージを送っている。病原菌もそのひとつである。自分たちの意識を調和のとれた方向に変換すれば、その結果は必ず出るのである。 つまり、誰かが何かを思うと、それは波動となって外に放出されます。何かを言ったり、やったりしたのと同じように、思いも波動を出すわけです。そしてその波動が自分の周囲を変化させていき、そうして、変化した波動が、また自分に返ってきます。私たちの言ったことや、行ったことだけではなく、気持ちや意識や意思、ときには無意識すらもが、周囲を変えていくと言われています。 では、もう少し具体的に見てみるとどうでしょう。「なまけもののさとりかた」の中で、著者のタデウス・ゴラスは、バイブレーションということばに置き換えて、次のように書いています。 この世の中があなたの目にどう映るかで、あなたのバイブレーションのレベルがどれ位か、はっきりとわかります。もし、この世界が美しく安全な場所に見えるとすれば、あなたのバイブレーションはとても細かいのです。もし、世界が陰気で退屈で恐ろしいところのように思えるならば、あなたのバイブレーションはあらいのです。ですから、あなたはバイブレーションのあらい自分を、もっと愛してあげる必要があるというわけです。 バイブレーションが細かければ細かいほど、まわりから沢山の情報が入り、物事がゆっくりと起こるように見え、あなたは物事をコントロールできるように感じるのです。そして、あなたが愛を大きくすればするほど、バイブレーションは細かくなります。そして、物事をコントロールする必要も感じなくなって変化や多様性を恐れなくなるのです。すべての物事をもっと深くゆったりと、いとおしい気持ちで体験できるようになります。 あなたの意識が広がれば広がるほど、あなたの愛は大きく豊かになり、バイブレーションは細かくなってゆきます。 いい波動を出せば出すほど、さらにもっといい波動となって自分に返ってくるのです。それをぜひ、毎日の生活に生かしてみてください。 |
第4回 偶然の受けとめ方 |
人生とは、すべて法則に基づいて成り立っている以上は、偶然などありえない。私たちは言葉で説明が付かないことがあると、すぐ「偶然」とか運とかで表現したがるのだが、現実はそうではない。すべて、法則どおりになにひとつ違わずに動いているのが人生なのである。 だから、私たちの出会いにしても偶然のようで偶然ではない。出会いこそ、すべて法則に忠実に基づいているものなのである。 実は出会いはいまのあなたの状態を知るバロメーターのようなものである。観いが常にプラスを刻め、喜びがこんこんと源き上がる生活を続けている人には、喜びをもたらす人が引き寄せられてくる。苦ばかり刻む人には苦を刻む人が、最高を常に刻んでいる人には最高の人との出会いが待っているのである。 これまでの人生の中で、偶然とは言えないような不思議な出来事や出会いに遭ったことが、誰でも一度や二度はあると思います。例えば、目の前に突然現れた人から人生を左右するほどの影響を与えられたり、あるいは、過去に出会って別れた人と、ある日思いがけないところで再会し、お互い以前とは違う形で関わりあうようになったり。 それをただの偶然だと流してしまうか、それともそこで気づいて受け入れることができるかどうかで、その後の生き方が大きく変わってきます。 つまり、病気にしても出会いにしても、その人に必要だからその現象が目の前に現れているのであり、決して偶然とか運が悪かったということではありません。大切なことは、そこから自分が何を学ぶかということです。 その出来事と共にいることが大切です。何か嫌なことがあると、自分の部屋に閉じこもったり、町を逃げ出したりするものですが、嫌なことから急に逃げようとすると、あなたは低いバイブレーションにつかまってしまいます。そして、ひとつ嫌なことから慌てて逃げ出すと、次々に同じような嫌な目に会うものです。嫌なことは次々と起こり、あなたを悩ませつづけます。そして、あなたがそれに耐え、さらには愛することができるようになると、あなたのバイブレーションが上がり、嫌なことは起こらなくなります。 「なまけもののさとりかた」 どのような人にでも、人生上のどこかで自分たちの人生を振り返らせるきっかけが必ず準備されています。そのことに早く気がつけば、それだけ残りの人生をイキイキと送ることができるのです。 まずは、今、目の前にあるものをよく見つめて、それを受けとめてあげることから始めてみましょう。 |
第5回 直観とは |
私たちが健康であり続けるためには、自分の直観を信じ、従う必要があります。H・ケーディー博士の本には、「直観とは開かれたものであり、個人の中にありながら神とつながる目に見えないチャネルになる。」とあります。つまり、直観とは内なる神からの声で、いつも私たちを方向づけしてくれるものです。 シャクティ・ガワインはこうも言っています。 直観を信じ、従うことで、宇宙があなたを通して働くがままに任せれば、あなたは元気になり、身体には健康や美や生命力が反映されるでしょう。自分を信じず、内なる真実に従わなければ、そのたびに生気は失われ、それは身体の上に活力の減退、無力感、痛み、ひいては病気という形で反映されます。病気は身体からのメッセージであり、それは私たちが真のエネルギーに従わず、感情をサポートしていないと言ってきているのです。身体は比較的ささいな感覚、つまり疲労感や不快感をはじめとする多くのシグナルを出します。そうした合図に注意して適切な変化を起こさなければ、肉体は痛みや軽い病気などの、より強いサインを送ってきます。それでも何も変えようとしなければ、生命にかかわる深刻な病気や事故に見舞われるかもしれません。 直観に耳を貸さず、信用もしないというのは、流れに逆らって泳ぐようなものです。それは内面の抵抗を引き起こし、私たちのエネルギーを大いにすり減らします。 病気になった場合は、自分を落ち着かせ、この静かで優しい声に心を向けてガイダンスを求めることが必要です。そうすれば、不必要な痛みや出費を課されずにすみます。自分が何をすべきかは、必ず示されます。 まずは、この今という瞬間から、あの内なる声に耳を傾けようと意識することから始めてみましょう。その後のステップについては、徐々に紹介していきたいと思います。 |
第6回 偶然の一致について |
ここでは、第4回に補足する意味で「聖なる予言実践ガイド」を参照してお話します。 偶然の一致に気づくことは、目覚めの第一歩でもあります。まずは、偶然の一致があなたにもたらすメッセージに常に注意してみましょう。そして、その意味を探る練習をしてみることです。最初は、毎日の生活を忙しく過ごしながら、そうした”偶然の一致”を見過ごしてしまうかもしれません。しかし、そこで立ち止まり、そうした出来事をもっと良く見つめ、注意深くなることによって、次の共時的な出来事に気づくようになります。それは、時として次々に起こってくるかと思えば、しばらく何事も起こらぬ静かな時もあります。 本の中では次のようにアドバイスしています。 より多くのメッセージを引き寄せるためには、今、起こりたがっていることは何か発見するために、広い心でいてください。そして、他の人々にエネルギーを与え、今、この人に会ったのは何か理由があると思ってください。もし、偶然の一致が生じたら、しばらくの間、次のように問いかけてみて下さい。「今、何が起きているのだろうか? これは、今の自分の疑問にどう関係しているのだろうか? この出会いから、私は何を学ぶ必要があるのだろうか?」 そして、そこから何かポジティブな意味を見つけてみてください。すべての出来事には目的があります。特に人との出会いには意識をしてみましょう。すべての人は理由があって私達の人生に登場し、私たちへのメッセージを持っています。常に誰と話をすべきか注意してください。 写本では、他人とふと目があったり、何となく親しみを感じたら、注意するようにと教えています。もし、自分の知り合いに似ている人がいたら、それはその人とのつながりが何を意味するか探りなさいという合図です。その人は一体、あなたに何を教えてくれるのでしょうか? 私たちの道を横切った人と会話をかわしてみたものの、自分の疑問に対するメッセージが見つけられなかったとしても、メッセージが一つもないという意味ではありません。ただ、その時はまだメッセージが見分けられなかっただけです。誰かと何回も出会う場合には、その偶然の背後にある理由を見つけ出す必要があります。 日記に、共時的な出来事を書きとめておくのも良いと思います。また、過去に起こったことに注意を向けることは、これから先に、高次の意識がより多くの偶然の一致を生み出すだめの刺激にもなるかもしれません。 |