[Diary 52]


Diary 





                          VOL.53

1月 ダイジェスト   Part 3
 1月 7日
 今日は、二人で「ブルース オールマイティ」の映画を観た。最後は、また感動で涙が止まらなかった。(お薦めですよ〜^^) 今の私には、感じることがあった。私は、自分の生命に対して執着がなかった。この世を去ることに怖れもなかった。なぜなら、肉体を離れたら、自分がもとにいた光の世界に帰れるから・・・。そのことについては、以前受けたリーディングで指摘されていたものの、まだその思いが残っていたみたい。そんな自分に情けなく思いつつも(^^;、ここでもう一度はっきりと決意することにした。
 この肉体があるときに、この世で生きている内に、悔いのないように出来ることを精一杯やっておこう。瞬間瞬間を大切にして、今の環境で出来ることを真剣に取り組み、今この世で出会っている人たちに、もっともっと多くの愛を送れるように・・・☆

 夜は、久留米の大善寺玉垂宮の火祭りに行くことにした。「鬼夜」と名付けられた火祭りは、日本三大火祭りで国指定重要無形民俗文化財になっている。駅に飾られていた写真を見て、鳥肌が立ちそうになり、例によって「行かなくっちゃ!」で決定。(^^)
 電車で約一時間。境内には、カメラマンから参拝客でたくさんの人達。私が着いたときは、裸の氏子たちが、社前の川に飛び込んで清め、汐井汲みを終えたところだった。初めてなので、どこで観たらいいのかわからなかったものの、間をすり抜けながら、参道の前に出てきた。そこに気勢をあげる汐井かきが始まった。 小松明を振りかざした数百人の締め込み姿の若衆たちが、社殿と川を凄い勢いで往復し始め、長い参道が火の波のようになった。(写真下) 目の前で見ると、すごい迫力! 胸がドキドキしてくる〜。 
 

それが終わったところで、参拝客は一斉に社殿の前に出て、参拝し始めた。神仏習合の大善寺の祭神は、玉垂命、八幡大神、住吉大神だった。(八幡大神が呼んでくれたのかな。^^) 
 奥に移動し、午後9時になって一番鐘を合図に境内全域の灯りが一斉に消された。空には、明日満月を向かえる月が、雲の間から煌々と光っていた。その神秘的な輝きに、しばらく目が離せず、うっとりと眺めていた。(写真左・天から光が繋がっているでしょ) この夜は、風一つなかった。目の前には6本の大松明が並べられている。この日本一の大松明は、長さ13m、直径1m、重さ1200キロ。竹で作られ、365の締目で締め上げられているという。そこに、神殿から高く掲げあげられた鬼火が出てくる。お〜!! 歓声が沸きあがる。この鬼火は、大晦日にひうち石でとった種火を神殿に灯し、禊をした神官が七日七夜守り続けて神事を行った神火からとったもの。その火が、一挙に6本の大松明に灯される。息を呑んでその瞬間を見守る参拝客たち。


 闇の中で炎が立ち昇り、火花と爆竹音がはじけて、祭典が始まった! 燃えさかる炎の前で、鐘や太鼓が乱打され、祭りは最高潮! 燃えさかる大松明の上に乗る若衆たちに歓声があがる。夜空に真っ赤に燃え上がる炎を目の前にして、私はほとんど恍惚状態。時折、飛び散る火の粉に怖れもなく、出来るだけ火に近づこうとしていた。ふと月を見上げると、周囲の雲は取り払われ、この祭りを見守るように、一層強い光を放っていた。同じ光景を、昔どこかで見ていた気がする。
 この赤く燃える炎を、私の内にも燃やし続けたい・・・。


 鬼夜の火を浴びると、無病息災、開運招福と伝えられている。神事に用いられた鉾紙は、幸運のお札として珍重されているそうだ。その鉾紙を手に家路に着いた。

 ここで、お正月気分もお仕舞い。今年は、日本のお正月を堪能出来て、とっても満足。ちゃんと、七草粥も作って食べたし・・・。(^^) 改めて、日本の伝統の素晴らしさも実感出来て感謝です。

 1月 9日
 今年最初の食の瞑想会。瀬田先生たちは、元旦の朝を天拝山に登って迎えたそうだ。(それも素敵ですね♪)

 ” 今は、白龍や青龍だけでなく、黒龍までもが動いている。それに、霊鳥類の親王である鳳凰(火の鳥、フェニックス)たちが、龍神界と一緒になってサポートしてくれている。龍神界に最初にお祈りが行き、そこから神の世界に繋がる。他にも、地を固め、山や海を守り、水の流れを調整し、水を守る働きがある。(有難いですね)

 地球の新陳代謝が活発になり、地表に向かって、水脈が上がってきているので、温泉がどんどん出ている。レイラインが枝を出し、活性化させている。
 DNAが光に変わろうとしている。そのため、ホルモン系や神経系にも変化が起こっている。その転換期に来ている。これまで精霊が細胞に入っていた(サポートとして)のをキャンセルして、光だけでいいようになってくる。(光の細胞へと変身させちゃいましょう〜♪)
 マスターの時代に入り、ますます二極性がはっきりとしてくる。マスターとは、宇宙意識に目覚めている人であり、助けを求めている人に、手を差し伸べて引っ張りあげている。人の進化を助けていく。お金や物をあげることが、本当の助けではない。目覚めをサポートする形を取っていくこと。
 この先は、転生がなくなるレベルに入ってくる。全てがエネルギーのやりとりで動いていることを、インプットしていないと取り残される。(全くその通りです!) 想念と言霊が全部影響する。
 自然破壊するものや、化学薬品を使ったりして、自然に逆らわないこと。それは、宇宙の法則に抵抗していることになる。これからは、自分なりに自立した形で、フラフラした状態ではやれない。20%地に足を付け、80%を高い意識に保つようにする。・・・ ”

 エネルギーと繋がり、高次の意識を取り戻すこと、自然界と共存すること、一人一人がマスター性に目覚め、自分の周りの人や関わりのある人たちをサポートしていくことが、これからの生き方ですね。

 1月 11日
 佐賀での山田耕栄さんの講演会に参加。数年前に、長崎の生田さんの紹介で、一度だけお話を聞いたことがあった。去年の東京でのSTSセミナーに参加したとき、偶然にもホテルのエレベーターで一緒になったことがあった。後から乗ってきて、私の前に立った耕栄さんが、ぱっと振り向いて、何かを確かめるように私を見ていた。その時は、一度お会いしただけで、言葉を交わしたこともなかったので、そのまま・・・。でも、何か言いたかったのかしらと、ちょっと気になっていた。
 先日のミクロウエーブさんの5周年記念で、参加者に耕栄さんの新刊がプレゼントされた時に、この日の講演会のことを知った。そこで、生田さんとの再会もあったので、これは行くべきだと思った。それに、今年最初の数並びの日だから、ますます感じるものもあった。

  では、内容の一部をまとめて紹介します。

 ” 「そのまま このまま あるがまま」
 自分だけの幸せを追求していてはいけない。人も自分も信じる。全てにありがたいと感謝する。愛に委ね、任せる。愛の実践を通していく。

 同じ苦しみの体験をして、豊かになる人と貧しくなる人がいる。また同じ歓びの体験をしても、この二つに分かれる。この差は、どこにあるのか・・・。 それは、その体験の中に、その人が愛と共にいたのか、いなかったのか。愛の理解力の差で分かれる。 条件付けなしで人を愛せる人と条件を付けないと愛せない人、その人が本当に愛に取り組んでいるのかどうか。行動出来ていない人は、出てきた言葉でわかる。 「なるほど」と思った人は、真剣に前向きに生きている人。

 愛と共にいる人は、苦の体験をしても自分を信じれる人。他力、執着を終わらせることが出来る。「ありがたい」と素直に謙虚になる。苦が歓びに変わっていく。 逆に、愛と共にいなかった人は、どんどん感情的になって、怒りや不平不満がどんどん出てくる。そうして自己拡大させるのは、自分さえ良ければいいという偽善者。一枚一枚剥いで軽くなり、縮小させることが出来る人は成長し、愛を与える人。
 愛と共に生きる人は、愛の表現者。外も内もなく、本物の味方だけが周りに集まる。全てが一つになり、全てが意味のあるものになり、全てが協力してくれるようになり、全てがありがたいものになる。
 自分の本質を知らないときは、愛を知らない。愛を実践出来ない。混乱のエネルギーで生きている人である。考えすぎで、恐怖、不安を生み、怒りや憎しみでいっぱい。いつのまにか自分も環境も全部破壊する。調和のエネルギーで生きていれば、そうはならない。自分のことよりも母船を守ること。一人一人が真剣にならないと、環境は守れない。お互いが協力しあってやらないといけない。
 言うだけ見せるだけで、行動していないと油断する。油断とは油がとぎれていること。それは炎にならない。愛を実践している人は、愛の炎がいつも燃えている。共生とは、愛と共に生きていること。世界の平和、自由を願う気持ちがあれば、愛の炎は燃えている。この地球に光の玉を送れるように・・・。

 精神面も物質面も富めないと、偽りのウソになる。物質世界を否定して、偏った精神世界だけに存在しているのは、自己満足の世界でバランスが悪い人。質量のある物質とエネルギーが、離れて存在するものはない。片方だけではなく、両方が一緒でないと駄目。両方が分離していると、実在ではない。お金は使わないと流れないで、四角い形のまま。流れると丸になる。溜めたままだと、ただの紙くずになる。愛のあるお金を流していく。

 良いことも悪いことも、全てが自分の思い通りになる。思い通りにならない人、何か不可能がある人は、自分のことを個人意識と思っているから。結果ばかり気にしている人であり、表面だけの偽善者で口先だけの愛の人。全てが愛であれば、全て思い通りになる。

 どんなことがあっても、良い悪いの判断をしない。もっと気楽にやる。必要なものに、優劣、良い悪いはない。全てを分けないこと。自分のことしか考えていない人は、自律神経が侵される。愛と感謝の気持ちを持てば良くなる。

 輪廻転生をしない。2005年は愛の年になるから、この一年で今を生きる、愛を生きるようにする。人に任せない。自分がやるべきことは自分でやる。自分で責任を取る力があることが愛。
 神心とは、神が決心した、迷いがないということ。決心すれば、全てが思うまま。腹を決めること。神の表現体として、私たちの形になっている。迷いもなく、自信を持ってやること。新年の最初の場所が、ここ鳥栖(トス)になったのも偶然ではない。もうトスされて、一番アタックされやすい場所に、用意されているということ。誰でも出来るように、目の前に用意されている。後は自分自身の問題。後は自力でやるとき。 みんなで、真剣にやって行きましょう! ”

 どのお話も、頷くことばかり・・・。この一並びの日に、もう一度確認して原点に戻る。そして、心新たにこれからの一年を真剣に生きていく。この機会を与えて頂いたことに感謝です。今のこの思いを忘れないように・・・☆