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Diary

                                                 Vol.2

Since 1999.8.9

                                   

11月23日

 
今日で日本に帰ってちょうど一年がたった。もう一年という気持ちとまだたった一年という気持ちが入り混じっている。
 一年前、柾至と二人でたくさんのスーツケースを抱えて、夜明け前にMariaの家を出発した。空港で主人にも別れを告げた。そのあとシカゴの空港から電話を入れた時、彼は泣いていた。福岡に着いた時は、まだどこに住むかも決まっていなかった。カナダからいくつかの不動産にFAXで問い合わせをしたが、そのうち返事が来たのは一軒だけだった。いくつかの条件を出してその中からまずひとつは選んでいた。
 着いた翌日、早速見に行った。思っていたより建物は古かったが、駅から近いことと風通しの良いのが気に入り、その場ですぐに決めた。これも優柔不断だった昔の私からは考えられないことだった。一週間後にすぐ入居。こんなに簡単に決めていいのかとも思ったが、あとになってこの時の決断が正しかったことを知った。すぐ真上の階には、このビルの管理人のTさんがいた。柾至と同じ年の男の子がいるという。早速うちに呼んでくれて二人で遊び、柾至も喜んだ。それからは、上へ下へとお互いに行ったり来たりして、学校のことや地域のことも教えてもらい、私も心強かったしとても助かった。Tさんはとても料理上手な人で、おすそ分けもよく頂いた。私もお返しにお菓子を焼いて持っていったりもした。
 少し緊張しながら行った学校の面談。日本語がほとんどわからないのでどのように受け入れてくれるか不安だった。でもそれも見事に吹き飛んだ。普通通り2年生から入ることもできるし、おまけにTくんのことを話したら、特別に同じクラスに入れてくれた。そのおかげで、一日目から毎日一緒に学校に行くクラスの友達も出来たのだ。私もほっとした。何しろ柾至のことは一番心配だったから。そのうえ教頭先生は、教育委員会にお願いして、日本語の先生もつけてくれたのだ。その先生もたまたま近くに住んでいて、柾至のことをとても可愛がってくれ、約3ヶ月余り学校の授業の中で、週に2〜3回ほど教えて頂いた。柾至もその授業をとても楽しんだ。そうして日本の学校にもスムーズに溶け込むことが出来たのだった。
 私のほうはと言うと、カナダから送った荷物が遅れて、しばらく不自由なことはあったけれど、かたずけながらすぐに仕事の準備をした。この一年にもたくさんの方達と出会い、この仕事を通してまた素晴らしい体験も出来た。それらのことを考えるとまだ一年しか経っていないことが信じられない。図書館に近かったのもここに住んで良かったと思うことのひとつ。親子でヒマさえあれば通っていた。そして本からもたくさんのことを学ぶことが出来た。途中不安になることも何度かあったけれど、いつもその時に必要なものや、そのための情報は与えられていた。その中のひとつはパソコンのこと。友人から要らなくなったパソコンの処分に困っていると電話があった。私はカナダからノートパソコンを持ってきていたので、捨てるくらいならと柾至用にもらった。それがいざ使おうとすると、持って来たノート型のモデムがどうしても作動せず役に立たなかったのだ。それでもらったパソコンが大いに活躍し、それを使って自分でチラシや書類を作ったり、その後こうしてホームページまで作るようになり、今ではなくてはならないものになったのである。またカナダの柾至の父親は、マックを使っていたのだが、仕事で急にWindowsが必要になり、ノート型を送って彼も新しく買わずに済んだ。モデムも何の問題もなく動いたという。
 この一年は、こうして信頼することの大切さを学んだ。どんな状況に置かれても、それはそこから何かを学ぶ必要があるということであり、起こる事全てには意味があるのだから、その全てをプラスに受けとめる。つまり喜んで受け入れる。そうすれば、その状況にふさわしい物事や人々が自然と引き寄せられてくる。REIKIに出会ってから学んだ宇宙の法則を、さらに身をもって感じることの出来た一年だった。 
11月16日

 今日やっと小倉充倭子さんの「天才とキンピラゴボウの作り方」を読んだ。
去年の春に一時帰国した時に、山川夫妻の講演会のついで(失礼!)のような気持ちで小倉さんの講演会に行った。その頃は、小倉さんのことは全く知らなかった。それは、ちょうど私が玄米に興味を持ち始めた頃でもあった。
 彼女の本が出ていることを知り、帰国したらすぐに読もうと思いながら、他にも次々読む本があって、今日になってしまった。もう一気に読みあげた。玄米菜食についてもそうだけど、子育てにはとても感銘を受けた。私自身も子育てには、いつまでたっても”これでいい”という確信は持てないでいる。自分の考えていることと、社会や周囲の見方に違いがあることが多いから。でも、小倉さんの本を読んで考え方に共通点があったからうれしかった。彼女は病弱だったころにマクロと出会い、生き方が変わり、自然と宇宙の秩序を悟っていた。
 小倉さんの子育てというのは、徹底した玄米菜食から始まり、自然分娩で産み、母乳で育て、充分な睡眠を取らせ、15歳までは知的教育はさせず、とにかく外で遊ばせる。そして決して怒らずほめて育て、たくさんの愛情をあげることだった。その愛とは、自分の時間を全部与えることだと言っている。これらを続けるには、相当の強い意志が必要だったに違いない。周囲の反対に合いながら、悩みながらも続けてきた。そして3人の子がそれぞれ15歳になった頃、状況が一転した。それまでオール1だった長男が、ローマの国立音楽院に国費留学したのを始め、次男は史上最年少で大学受験資格を取ったりして、それぞれが素晴らしい才能を発揮しているのだ。早期教育が持てはやされる現代と全く逆の方法で立派に育てあげたのである。
 私自身については、とてもそこまでやり通すことは出来ないけれど、私なりに出来るだけの努力はしているつもり。例えば、今流行のファミコン。カナダでも人気で持っている子供たちも多かった。柾至も一時欲しがったことがあり、父親は買ってやろうともしたけれど、私は頑固に反対し続けた。日本に帰るとその誘惑はもっとすごかった。外で遊ばせたくても周りの友達はみんな家の中でファミコンで遊んでいる。柾至は、私が絶対に買わないのは知っていたので、ねだることはしなかったけれど、外で遊ぶ相手がいなくて退屈していて、それを見るのが辛い時もあった。そんな頃、カナダにいる父親がゲームボーイを送ってきた。最初はそれさえも渡すのを止めようと思った位だったが、時間を決めてそれが守れるならいいことにした。一日15分、土日は30分。柾至は喜んで自分でタイマーを回しながら毎日していた。私もそういいながら、友達のところでする時やうちに遊びに来たときは、大目に見ることにしていた。それもプールに行き始めたころから、だんだんするのが減ってきて、最近ではめったにしなくなった。この前までは、クリスマスに新しく出たゲームのカセットが欲しいと言っていたのに、それももういらないと言った。そう、オモチャもクリスマスと誕生日以外は買わないようにしている。その代わり、本だけは出来るだけ与えるようにしていた。
 またテレビもそうだった。日本に帰ったときは、いい機会だから買うのを止めようかとも思っていた。でも、それは学校の日本語の先生から、テレビもいい番組なら日本語の勉強や文化の勉強にもなると言われ納得し、決まった番組だけ見せることにした。確かに「サザエさん」などは、わかりやすくて柾至も毎週楽しみにしている。自分で始まる前につけて、終わったらちゃんと消してくれるし、また一緒に見ると喜んでくれるのでこれはこれでいいと思っている。
  勉強は、自分の意志に任せている。少なくても小学校の間は、私も遊びのほうが大事だと思っていたので、成績やテストの結果は気にしないことにした。それでも、帰ったら自分ですぐに宿題を始めているから、そのままにして私は口を出さない。これも本当はちゃんと見てあげたほうが良いのではと、時々思うけれど、見るとどうしても一言言ってしまいそうだから今はあえてしないようにしている。
 あとは、睡眠。昔から”寝る子は育つ”と言われるように、子供にとって睡眠はとても大事だと思っている。少し前までは8時就寝にしていたが、プールに行ったり、宿題が多くなったりして難しくなり、今では8:30〜9:00の間になった。夜しっかり寝ると、朝は起こさなくても自分でちゃんと起きてくる。私が6:00に起きると、隣の部屋からは「おはよう!」と元気な声が聞こえてくる。そして、朝からテンションが高くて、早く学校に行きたいと時計をみながらウズウズしている。休みの日さえもそう。私がたまにはゆっくりしようと思っても、ゴソゴソ動き始めて一人で遊んでいる。
 子供は、本当に授かりものだと思っている。その子の天分を生かしたり、与えられた使命を果たせるように環境を整えてあげることが親の役目だと思う。そして時期が来たら宇宙に返す、つまり一人立ちをさせてあげること。これを自分にいつも言い聞かせている。かわいいとつい手放したくなくなってしまう。親はいくつになっても子供のことが心配で気になる。でもその心配を信頼に替えることが出来るようになりたいと思っている。日本に来てますます周りに流されそうになったけれど、敢えてそんな中でも、その時その時に必要な気づきを与えてくれる宇宙を信頼することが私にも必要だったのだと思う。小倉さんの本は、それをもう一度気づかせてくれた。そのことにとても感謝している。
11月11日

 映画はいいなあ。感性をとても豊かにしてくれる気がする。
小学校4年の頃、テレビで「サウンドオブミュージック」を見た時の感動は、今でも良く憶えている。それ以来、映画は大好きになった。中学生の時は、テレビで放映される映画はほとんど見たと思う。西部劇から白黒まで、ホラーとバイオレンス以外は何でも。その時の友達に映画フアンの子がいたから、学校に行くといつも二人で映画の話ばかりしていた。今ではめったに見ないフランス映画も良く見ていた。そのほとんどが、ハッピーエンドではなくて悲劇に終わってしまう重い映画ばかりだったけど。その頃の私は、映画を見るとき、第三者的に見るのではなくて、いつも映画の中に自分が一緒に入っていた。心の中で、本当はこんな風にも生きてみたい、あんな風にもなってみたいと思うことを映画の中で見せてくれるから。たとえば「風と共に去りぬ」のスカーレットには、わがままさや思いやりのなさに反感を持ちながらも、自分にはなかった彼女の自信と強さ・行動力に憧れた。そして主人公と同じように楽しんだり、悩んだり泣いたりしていた。だから悲劇で終わる映画を見てしまうと、そこから抜けるのに何日もかかってしまっていた。その代わりにハッピーエンドで終わってくれると、うれしくてたまらなかった。映画を見ることで、自分の抑えていた感情を出そうとしていたのかもしれない。それでも家族には泣いているところを見られるのがイヤで、声を抑えたり、顔を隠したりしていた。
 時と共に映画の楽しみ方も変わってきた。特に私の場合、ヒーリングに出会ってから自分の感情を素直に表現することが出来るようになったので、前よりももっと感受性が強くなった。具体的に言うと、もっと涙もろくなってしまった。いい意味で敏感になった。でももうそのことを否定したり、抑えたり隠したりする必要もなく、その感情をすべて受け入れて心から楽しむことが出来るようになった。「アルマゲドン」を見に行った時は、思いっきり泣いてすっきりしたし、「シックスセンス」を見た時は、ヒーリングをしている時と同じように、始まってすぐから両手がビリビリと熱くなっていた。そうやって身体が反応していろいろ教えてくれる。これからも機会があれば、いい映画をたくさん見て、自分の心や魂を感動でいっぱいにしてあげたい。
10月19日

 この最近、頭の中にいろんな考えが次々に浮かんでくる。昼間もそうだけど、困るのは夜。夜中にいったん目が覚めると、次から次へと涌き出てくる感じ。それも大体いつも同じ時間。2時から3時にかけてと、明け方5時前後。
 同じようなことが前にもあった。日本に帰って2,3ヶ月頃で、オープンの準備をしていた頃。やたらと夜中に頭が冴えてしまい、そのくせ朝も早くから目が覚めていた。それがしばらく続いていた。
 今回は、その内容のいくつかをHPの中に書いていっているが、まだなかなか追いつかない。「ちょっと待ってよ。」「少しは休ませて。」って言いたい気分。そういえば、今月のメッセージには、ハードコントロールが必要と出ていた。それは闘いの意味もあり、ギブアップしないで今やっていることを最後まで続けることで、勝利が持たらされるというもの。そう言われれば、これはまさに自分との闘いかな。
 そのページを書くために、前の日記を出してもう一度読んでいる。それまでは、もう過去に生きるのをやめるために、もう読むことはないと思っていたのに。こうして読み返していると、その当時の思いが、だんだん甦ってきた。あの頃・・・様々な体験を通して、いろいろなことに気づかされた頃のことを振り返ることで、今また自分の中に同じ思いが込みあがる。それも今の私に必要だったのかもしれない。それは過去に生きるためではなく、今をこれからを生きるために。
 こうして、それらをHPに書いていくことで、今自分の頭の中にあるものもすっきり整理されるのかしれない。
10月14日

 今、読んでいるのは、渋谷直樹さんの「すべての存在へ」という本。彼は、脳神経外科医で医学博士でもある。彼のことは、飯田史彦さんの「生きがいの創造」の中で、S医師として紹介されていた。
 彼は、人間の身体を物質や機械のように取り扱う現代の医療 ― 悪いところは手術で切り取る・悪い部品は取り替える ― という考え方に疑問を持っていた。そしてその治療に限界を感じ、欠けているのは”心の癒し”として、宇宙エネルギーを取り入れるイメージ療法やサウンドエナジーという療法を彼の病院で取り入れているという。
 本の中から、

 私は、肉体的な病気というものにはあまり興味がありません。私が興味があるのは、その病気を通して、あなた自身の生活や人生をもっと楽しくする、幸せにすることです。それが私の治療なので、ここが痛い、あっちが悪い、という話は興味がないのです。だってあなたは、あなた自身の病気だけを治したとしても、それだけで本当に幸せになれますか?
 私は、病気を通して、その人の人生がより豊かになるという形の治療を心がけています。病気を通して、患者さんとそのほかの人々の人生を豊かにするというチャンスを差し上げる、そういう治療を目指しているのです。
 肉体的な病気治しは本当に通過点にすぎないのです

 彼のような素晴らしいお医者様が増えてくれればいいなと思う。残念ながら、私は医師ではないので”治す”とか”治療する”ということはできないけれど、気持ちの中では同じ願いを持っている。
 ”治療”ではなく、ほんとうの意味での”治癒”ができるように・・・。
10月3日

 昨日は、またひとつうれしいことがあった♪
6月から来ていたあるお客さんのこと。最初、彼女は肌アレがひどかったことから、リフレクソロジーを受けにきていた。内臓もかなり疲れていて、ホルモンのバランスも崩れており、それが肌に出ていた。でもいろいろ話しているうちに、彼女には他にも悩みがあることがわかった。そしてリーディングを受けた。
 今年に入ってからずっと、仕事・恋愛・金銭上と全般にわたって、トラブルが続いている。彼女にしてみれば、なぜこんなことになっているのか、理由がわからなかった。それに対してのリーディングのメッセージは、今までの価値観を変える必要があるということだった。今、起こっている様々な出来事はそのためのこと。そしてそれは、9月から10月にかけてがピークとなり、11月には、今まで求めてきたものが何の価値もなかったことに気づき、正しい答えを見つけることができる。そうして12月には受けるにふさわしいものを受け取ることができるようになる。 このことを伝えても、この時点ではまだ納得が行かない様子だった。その当時からすると、あと4ヶ月以上も今の状態が続くわけだから、すぐに受け入れるのは確かに難しいかもしれない。でもそれは、これからの彼女には必要なプロセス。年運でみれば、さらに飛躍するチャンスの年でもあった。そのためには、古いものを手放さなければいけない。
 その日から数週間後、彼女のほうからヒーリングを受けてみたいと言ってきた。私はいつも、アドバイスまではさせてもらっても、無理にすすめることはしない。受けるタイミングも、来るペースも本人の自由意志にまかせている。それは、本人が今の自分を何とかしたい、変わりたい!という気持ちが一番大切だと思っているから。
 彼女にとっても初めてだったので、最初は半信半疑だったけど、私が言うまでもなく1週間おきにちゃんと通っていた。そうして5回のセッションが終わる頃には、精神的にも随分と落ち着いてきていた。身体のほうも、3回目位から溜まっていた老廃物が出始めていた。でも、まだまだ・・・という感じだった。それで、自分で毎日できるセルフヒーリングを受けることになった。ファーストを受けたあと、彼女としては、早く上のレベルを受けたかったようだが、最初の21日間は浄化期間として大事な時期なので、待ってもらうことにした。
 そしてちょうど21日目、電話があり、セカンドレベルを受けたいといってきた。ただ給料日が1週間後なので、支払いはその時でもいいですかと聞かれ、私は快く承諾した。
 それから約束の1週間が過ぎ、気がつくと一ヶ月が過ぎていた。その間連絡が全然なかった。リーディングからも彼女の大変な様子はわかっていたので私は待つことにしていた。ただ彼女にも、何とか今のこの時期を乗り越えてほしいと思った。昨日の朝、ふと思いついて彼女に手紙を書いた。そこには、今の状態が続くわけではないので、あせったり、不安にならないように。またお金のことを気にして連絡ができないなら、まだ大丈夫だから・・・。そんなようなことを書いたあと、その手紙にしばらくエネルギーを送った。すると、1時間位してから、彼女から電話が入った! うれしかった。
 私が自分で仕事を始めることについて、何人かの人たちから、”どんな人が来るかわからないし、中には利用しようとする人もいるかもしれないから、気をつけたほうがいいよ。”って心配して、忠告して頂いたことがある。でも私の中では、不思議とそういうことに対しては不安を抱いたことがなかった。現に、今までそういう人達に出会うことがなくなっていたから。(私が”本当の自分”に気がついてからは・・・。)だから、彼女の件に関しても自信があったんだと思う。
 そして昨夜、ちゃんと支払ってくれたあと、久し振りにヒーリングのセッションも受けた。一ヶ月振りに会った彼女。以前と少し違う。外見上は変わっていないけれど、初めて会った時に感じていた、何かピリピリとしたものがなくなってきて、柔らかいものを感じた。セッションをしている間も、その違いが出ていた。最初に頭に手を置いた途端、すっと眠りに入った。その表情もとても穏やかだった。私より年上にもかかわらず、見ていると、いとおしい気持ちにさえなった。彼女は女性ながら、東京ではある有名人スターのマネージャーも務めていたこともあり、その後も営業の第一線でバリバリやってきた人だった。今まで、ただひたすら突っ走って、時には無理してやってきたんだなあって、その強さの影に、彼女の本質にふれたような気がした。昔の自分の姿とオーバーラップしたからかもしれない。私に対する話し方も変わっていた。「おっしゃっていた通りいろいろありましたが、わかっていて良かったと思います。」と言ってくれた。そして彼女もリフレクソロジーに興味を持ちはじめたようで、いつか自分でも習って、こういう仕事をしたいとも言った。
 今夜、サードレベルを受けることになった。これからは、もう彼女も一人ではない。彼女のハイアーセルフがちゃんとリードしてくれるはず。私はいつもこんな時、自立していく子供を見守っている親のような気持ちになる。縁があってセッションに来てくれた人たち、彼らがここで何かを見つけて、笑顔で帰っていく。それを見るのは、とてもうれしい。この仕事にめぐり会えたことに感謝し、身体の奥から来るワクワクした気持ちを感じるこの瞬間。生きてる!って実感する。今のこの気持ちをずっとこれからも大事にしたい。

10月1日


 私がMariaにメールを出してから、また私たちの交流が始まった。

毎日のように、彼女は長いメールを送ってくれる。その一部を昨夜、Guestroomに送ってくれていた。私も彼女にメールを書き始めて、また気づいたことがたくさんあった。私の中にまだ、release(解放)されていなかったものが、次々と出てきた。自分の中ではすでに癒され、消化したと思っていたことまで・・・。意外だった。
 自分自身について、完全に知ることはむずかしい。本当の答えは、全て自分の中にあるにもかかわらず。わかっていても、それを自分で認めるには勇気もいる。でもいつまでも、目を閉じているわけにはいかない。自分がますます苦しくなるだけ。
 私は、小さい頃から何でも自分ひとりの中に感情を押しこめていたように思う。でもそれを、少しずつ解き放っていくにつれ、からだもこころもどんどん軽くなっていくのがよくわかった。つまらないプライドやエゴは捨てて・・・。すると、とってもラクになれた。最初のひとつのきっかけがつかめると、それに続いて次々と自然にやってくる。あとはただ、それを受けとめてあげるだけ。
 昨日、私たちは時間を合わせて、遠隔ヒーリングでエネルギーを送りあった。まず私から20分、続いて彼女から送ってもらった。Workshopを受けた人からは、いつも最後にエネルギーの流れを確認するために、直接してもらうけれど、遠隔で受けるのは久し振り。足のつま先から、手の先まで全身にビリビリくるこの感覚は、何度受けても気持ちがいい!終わったあとも、しばらく続いている。Mariaから今朝届いたメールに、やはり同じようなことが書いてあった。受けているときだけではなく、送っている間も、すごくpeacefulな気持ちになれたって・・・。そうエネルギーは、送っている間も同時に受け取ることができる。セルフヒーリングに加えて、こうして他の人から送ってもらうと、またさらに自分のこころもからだも喜んでいるのがわかる。私たちは、これから毎日送りあうことになった。またひとつ楽しみがふえて、ワクワクしてきた♪