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聖なる旅


奈良・伊勢 編

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2002.10.4〜10.7


10月 6日 後編
 玉置神社を目指して、山道をひたすら走る。天気も良くて気持ちいいな。山も色付き始めていた。どんどん山を登って行くと、その奥にようやく表れた。やっと来れた! 去年は、土砂崩れであきらめていた。でもその後に、玉置神社のほうから何かの手違いか、お札が送られてきたことがあった。(普通は崇敬会の会員に送るものらしく、私は電話して地図を送ってもらっただけだった。) すでに繋がっている。だったら、きっと行く時が来る。 今回行こうと決めたとき、それを知っているかのように、タイミング良く玉置神社から案内が届いて驚いた。BSテレビで玉置から熊野の特集を放映するとのこと。(ちょうど出発する前の週に) その説明の中に、”玉置山は、生死の人生観などと、「蘇生」の出発点として、太古から信仰された霊峰である”とあった。蘇生!?・・・は〜い、わかりました。伺いま〜す!(^^) 去年ではなく、今だからこそ行くべきなのだとわかった。この1年で気づいたことだから。(おまけに宮司さんの名前が、”まさし”だった。^^)
 標高1000mの玉置山のほぼ頂上に鎮座している。熊野三山の奥の宮とも呼ばれ、神武天皇東征の際に(ここにも登場!)、八咫烏(ヤタガラス)に先導されて兵を休め、神宝を置いて勝利を祈ったと伝えられる神体山でもある。また、修験道の開祖とされる役の行者(えんのぎょうじゃ)や弘法大師 、智証大師 もこの地で修行されている。

 参道を歩いて、約15分ぐらい歩いたところに境内がある。杉の巨木に囲まれた参道を歩いているだけで、浄化されてくるのを感じた。玉置神社神域の杉の巨樹群は奈良県の天然記念物に指定されているそうだ。古くて趣のある本殿(写真左)の祭神は、国常立尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊・天照大神・神日本磐余彦尊(かむいわれひこのみこと)。本殿の周囲には、夫婦杉、磐余杉(ゆわれすぎ)、常立杉(とこたちすぎ)と名の付けられた巨木があり、中でもひときわ迫力があるのは、樹齢3000年(!)の神代杉。五十鈴を振ると、たまかぜが吹いてきて、上空でゴォーッという音が響いた。(天河と同じ〜!) 
 国の重要文化財に指定されている社務所の中には、襖絵(ふすまえ)がある。樹齢600年前後の杉の一枚板に描かれている。鯉や川蟹や鶴が描かれていて、どれもリアルでその壮麗さには目を奪われる。(写真右) 中には孔雀の絵もあってうれしかった。(アモラのセッションで、アカシックキーパーから孔雀は私のシンボルと言われた。^^)こんなに素晴らしい襖絵を見たのは初めて。(滅多にお目にかかれるものではないので、必見です♪) 奥には、弁財天さまも祀られている。私たち二人だけだったので、しばらく絵の前で座っていたら、すぐ隣の部屋でご祈祷が始まった。「また始まった〜」と兄。そう、いつものパターン。二人で正座して一緒に祝詞を頂戴し、その後でお茶にお菓子まで頂いてしまった。(^^) (いつもありがとうございます。)



エネルギーに酔っちゃいそう〜。

 最後に、玉置神社の奥の院とも言われている玉石社へ。空が曇り始めた。山頂へと向かう山道を登って行くと(フーッ)、周囲を垣で囲まれた杉の木があるところ。白い玉砂利が敷き詰められ、その中にある丸い石が御神体。この石が玉置の名に由来するという説もあるそうだ。五十鈴を振ると、突然強い風が吹き始めた。(写真左)汗が一気に引いた。さらに、曇っていた空が急に明るくなり、太陽の光りが射してきた。歓迎してくれているのを感じて、うれしかった。(ここまで来た甲斐があります。^^) 「私も蘇生のお手伝いをさせて下さいね。」 
 途中ですれ違った人が、そのまま戻らないで山道を抜ける道があると教えてくれていた。そうと聞いたら行くしかないですね。(これも導きだから。^^) 急な坂道を登って行くと(今朝体操しておいて良かった・・・)、玉置山の山頂に出た。(写真右) 標高1076m。吊るしてあった小さな鐘を鳴らすと、霧が出始めて、あっというまに包まれた。霧丸さんから、玉置で霧が出ると最高!と聞いていたが、着いた時は良く晴れていたのだ。最後に出るなんて、素晴らしい!!(見事な演出です♪) これで、玉置も思い残すことなし。v(^^)v  霧の木立の中を降りて行く。そこへ雨がポツポツ。まだ早いよ〜。降りるまで待ってて〜。すると雨がパッと止まって、また太陽が顔を出した。(わがまま言って、いつもすみませ〜ん。^^) 


降りてますね〜

 さあ、お次は熊野大社。山道をぐんぐん降りて、熊野本宮大社に到着。目の前の階段を見ると思わずゾッとしそうだったが、玉置の後なので 「まだまだだね!(リョーマくん風に ^^)」と自分に言い聞かせる。(笑) 「甦る日本! 人生を癒す、熊野本宮」と大きく書かれていて、思わずおぉ〜っ。拝殿も独特の雰囲気があって、出雲大社にどことなく似ている気がした。シンボルの八咫鳥(やたがらす)は神の使者で、神武天皇の東征の際に熊野の地を道案内したカラスだとか。(また登場!) 御祭神は、まず「伊邪那伎日真名子」。国生みを始めて生きとし生けるものを生かし、その主宰の神をもお生みに なられ、伊邪那岐尊・伊邪那美尊の可愛がられる御子の意。(私も可愛がってもらえるように頑張りま〜す♪) 「加夫呂伎熊野大神」は、神聖なる祖の神様。「熊野大神櫛御気野命」は、の別神名で(お〜、こちらにも!)ご神徳である 智・仁・勇、又は、天・地・人をあらわしている。  
 以下、大社の解説書より抜粋・・・

 ご神名は神格の本質を表しますことから、ご祭神の本質は人々の食して生くべき食物に霊威をみちびき、 農耕生産の豊穣を約束して、人々の営む万般の生業の発展を保障され、人の世の繁栄と平和、人々の 幸福をみちびかれる深厚高大な霊威を発顕具現されるところにあります。
 スサノオノミコトは不思議な霊威をあらわして成りと成り出づるものが豊富であるようにと世の人々を 導かれたのであります。 これは、人間社会につきまとう人間であるが為逃れられない不安と苦悩を取除いて、人間の営む社会 生活の繁栄と平和をもたらされたということを意味しています。
 スサノオノミコトは人間の幸福を約束される愛の神 ・スサノオノミコトは人間の願望期待に応えられる救いの神 ・スサノオノミコトは身を犠牲にして他を救われる愛の神 ・スサノオノミコトは人の世の幸栄のムスビの神

 他にも素戔嗚尊には、この世に太陽のエネルギーを繋ぐ役割があり、地球全体を輝かせ、美しく保っている。地球全体が抱えている汚染や問題、諸事の大開運のけじめをつける働き、統率者としての圧倒的なパワーの御加護があるという。子供の頃、遊んでいた神社の主祭神だった須佐之男尊(素戔嗚尊)。こんなに素晴らしい働きをされていたとは・・・。(気軽に”スサちゃん”と呼んだりして、失礼しました〜。^^;) 兄共々、改めて神縁に感謝。そして、これからもよろしくお願いしますね☆ 

 しばらく走って、ようやく今日のランチタイム。気がつくと、午後4時前。さすがにお腹ペコペコ。道の駅の隣にあったお店で、めはり定食(郷土料理の高菜で巻いた寿司飯)を食べ、ひと息ついて出発。
 熊野川沿いを走っていた。熊野川の水は、深い深いエメラルドグリーン。周囲には三角に尖った山が連なって見え、これこそ熊野だと感じさせてくれる。私はその景色を見つめながら、遠い昔のことを思っていた。
 

 お次は、熊野速玉大社へ。緑に朱色の社殿が鮮やかで、本宮とは異なって華やかな雰囲気がする。久しぶりにキンモクセイの香りが漂ってきた。ご神木の「なぎの大樹」は、日本一のなぎの樹で国の天然記念物に指定されている。熊野権現の象徴で、平和の木となっているそうだ。(写真右) 日本第一の大霊験所で、熊野神社の総本宮。御祭神は、第一本社 熊野結大神で伊邪那美尊の御神名で、万物を生み育てる神徳をたたえている。第二本社は、熊野速玉大神で伊邪那岐尊の映え輝く広大な御神徳をたたえている。伊邪那美尊と言えば、「ヤマタイカ」では卑弥呼・・・。キンモクセイの香りが知らせてくれていた。
 

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 境内を出ようとしたところで、午後5時のサイレン。「ご苦労さま」と、終了のサイン。熊野は、もう一つ那智大社が残っていた。那智は、もっと奥にあるようだった。この後でも頑張れば行けないことはない。でも、今回はここまでにしようと思った。明日は伊勢があるから、無理をしたくなかった。日が暮れると雨が振り出した。伊勢に向かって、出来るだけ走ってから、宿を探すつもりだった。次第に雨が激しくなった。早めに宿に入ったほうが良さそうだ。道の駅や食事をしたお店で聞いたりして探したが、最後にはいい旅館を見つけることが出来た。午後9時すぎに到着。玉置での散策が効いたのか、さすがに今日は疲れていた。(日頃の運動不足が・・・) 兄も長いドライブ(しかも山道ばかり)で、疲れているはず。明日も早いので、ゆっくりお風呂に入って、身体を休めておこう。
 いよいよ、明日は伊勢だ! 激しく降っている雨が感じさせる・・・。(ちょっぴり、ドキドキ☆)