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聖なる旅


奈良 ・ 伊勢 編

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2002.10.4〜10.7

10月 5日
 朝起きて、3人で平城京跡へ。朝のお祀りが終わると、再びたまかぜ(霊風)と共にキンモクセイの香りが漂ってきた。朝もやの跡地は、清らかで幻想的な雰囲気がする。昨日初めて訪れたときとは、違う不思議な感覚がした。柔らかい朝日に包まれて歩いていると、その時代のことが浮かんでくるようだった。実はシャスタで、ある聖地を訪れていた時に、ふと映像が浮かんだことがある。この時代にもいたことがあるのだろうか ・・・!?
 
 毎朝、天皇がお立ちになっていたという大極殿跡に(写真左)、私たちもその気になって立つ。(笑) いい気持ち♪ 霧丸さんのお母さん(霧ママ)は、ここで雲海を見たことがあるそうだ。ここでもお祀りをした。霧丸さんは毎朝跡地のゴミも拾っている。それは、ネガティブなものを取り去るというよりは、エネルギーを植えて行くようなものと言っていた。私がシャスタに行っていた頃、霧丸さんは神道家の日垣宮主さんの指示で、家の中に火と水の神座を作られ、その時に”平城京の霊界を新生させ、現代に蘇らせて、 日本再生のエネルギーとする”というお祀りもされたそうだ。霧丸さんのお家は1250年前から皇居の神域だったそうで、平城京の霊界がみずからの鎮魂祭を実現するためにそこに住まわせ、 家を建てさせるついでに神座を作らせ、 宮主さんの祭祀を実現させたとか。その結果、新生した平城京霊界を祀るための斎場になり、霧丸さんは斎主を務めることになった。私と兄は、その火と水の神座のお祀りにも一緒に参加した。(シャスタでパワーアップした五十鈴ちゃんは、ここでも大活躍で喜んでいました^^) 私たちは皆、それぞれに相応しい大切な使命を持って生まれて来ている。それが今この時になって、気づかされたり、表に大きく顕れ始めた人達が、私の周りにも増えてきている。シャスタでの出来事に続いて、私自身も改めて考える時が来ているようだ・・・。
 平城京は、これから着工して8年後には復元されるという。その前にこうして来れたことに感謝。霧丸さんの家には、魂の修行をしている人々が訪れると言われたらしく、最初に来るのは誰だろうと思っていたら、私と兄になったとか。(恐れ入ります ^^;) きっと、同じ志を持った人々や同じ魂のグループが、これからも訪れるようになるのでしょうね。

 10時の東大寺での催事に合わせて出発。今年は大仏開眼1250年祭にあたり、その一つとして、この日「宇佐神宮若宮神輿東大寺神幸」と呼ばれる記念行事が行われることになった。これは大仏の守護神として宇佐八幡をみこしに乗せて勧請したときの、 都入りの行列を再現するものだった。転害門の前には、たくさんの人が集まっていた。紫色の美しい古代の正装をした女性と(一瞬卑弥呼かと思った^^)、巫女姿の女性たちもいて、華やかさを添えていた。(巫女の衣装も一度着てみたいな・・・) この日の奈良は、夏を思わせるような強い陽射しに照らされ、蒸し暑かった。金色に光る神輿が転害門を出発した。その昔、宇佐八幡は東大寺の大仏造立に協力し、大仏の完成と同時にはるばる都まで出かけて参拝した。この時に神輿が使われ、わが国の神輿の第一号として「続日本紀」にも記載されている。この日は、その八幡神の上京、東大寺大仏参拝という歴史的出来事を再現したのだ。その前に、大分の宇佐八幡大社にもお参り出来たし、宇佐の神様は一度愛媛に流されたこともあると聞き、ますますご縁を感じてうれしくなった。(^^) 午後からの行列開始と式典までの間、境内を散策することにした。この時、奈良のKazukoさんから連絡があり、2週間ほど前にREIKIを受けにきた大阪のNorikoさんと、お友達の弧舟さん達と、ご一緒することになった♪


 東大寺は国家鎮護を祈願する道場であるとともに、華厳をはじめとする奈良時代の六宗と平安時代の天台・真言の両宗を加えた八宗の教えを勉強する総合大学のような寺で、明治以降は華厳宗の大本山として今日に至っている。
 華厳宗とは、さまざまな煩悩に満ちた汚れた行いを清め、真実を求めて心を高めるように修行をする道、つまり菩薩道とはいかなるものか、ありとあらゆる角度から説くのが華厳道の教え。さまざまな修行が「華」となって、この世が花園のように美しく飾られる、つまり仏の世界を花で荘厳する。(素敵♪) これが、華厳の由来。牡丹や菊のような立派な花だけが花ではなく、道端の名もない花も花である。(そうそう!) 各自がそれぞれの身の丈にあった花を咲かせるべく修行することが大事だという。(素晴らしい!)

 奈良に向かう数日前に歯医者さんに行くと、そこに「芸術新潮」の雑誌があり、大きく大仏様の写真が載っていて「東大寺という宇宙」というタイトルで特集が組まれていた。東大寺と言えば大仏様ぐらいしか浮かばない私に、わざわざ用意してくれたようです。(いつもながら、ガイド達にはお世話かけます ^^:) 
 二月堂に向かう道に、キンモクセイの香りが漂い、黄色い蝶々が飛んでいた。そこに可愛い沢蟹も登場。蟹さんと言えば、霧丸さんに兄と私で蟹座が揃っていた。占星術でも、蟹座は去年から大きく動くと言われていたが、少し前にメールを頂いた愛媛のMasafumiさんに寄ると(彼も蟹座)、蟹座のパワーは普通の人の倍はあるということで、その分社会に貢献するようになっているとか。(・・・はい、わかりました。頑張りま〜す ^^) 
 お水取りで有名な二月堂。ご本尊は秘仏の十一面観音が祀られている。 ここから眺める景色は素晴らしく、清水寺を思い出した。心地良い風が、暑さを凌がせてくれた。 みんなでお茶屋さんに入って、ひと息。そこの冷やしぜんざいは、つぶつぶ小豆に大きなわらび餅が入って、甘さ控えめでおいしかった〜! (Miyukiちゃんの幸せなひとときなのでした〜♪) 大仏殿の手前には、鹿公園。小さい頃、家族で訪れたのを思い出した。せんべいを手にすると、すぐに寄ってきて、「こんにちは〜」と頭を下げる。クリクリときれいな目をした小鹿たち。(バンビちゃん人形持っていたな〜) シャスタで野生の鹿に何度か出会っていた。そのことを思い出すと、飼い慣らされた姿が少し哀しく思えた。


 いよいよ大仏様にも再会。高さ14.98メートル、重さ380トン。正式には、盧舎那仏(るしゃなぶつ)、または毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)とも呼ばれ、この名は釈迦如来の別名で、世界を照らす仏・光り輝く仏の意味がある。台座蓮弁には1弁ごとにひとつの仏世界が線刻され華厳経の壮大な世界観がそのまま造形されている。華厳の世界とは、光りの世界。宇宙の知恵と慈悲の光明を遍く照らし出されている仏さま。私たちに向けた右手は、畏怖を取り除いて安心させ、膝の上に置かれた左手は願いを与えてくれるという。2度の兵火を浴びながらも、不死鳥のように蘇らせてきた。そのパワーが、今の日本に必要なのかもしれない。私は大仏さまに光りを送りながら、この日本のために、その力を蘇らせてほしいと祈った。そう、私の今回の旅は、この東大寺の祭式がきっかけとなったのだから、言うなれば大仏様と宇佐の神様が声を掛けてくれたようなものだった。(感謝します。 ^^)
 大仏様の中には宇佐の神様が鎮まっているという説もあるそうだが、何と「ヤマタイカ」の物語では、祭器である銅鐸は、宇佐から溶かされて運ばれ、この大仏の中に鎮められていたことになっていた!(まるで、この旅のガイドブック!?)  そして激しい戦いの末、その銅鐸のパワーは蘇り、火の民族が復活する・・・。 古代から現代までを直結させてしまうのが火の民族仮説だという。縄文以来の血を受け継いでいる日本人。つまり、火の民族とは日本人全てである・・・。

 大仏様の左脇(正面からは右側)には、如意輪観音菩薩坐像があり、煩悩を打ち砕く法輪を持つものとされ、衆生に利益を与える菩薩であると言われている。観音様と聞いて私はまたうれしくなり、感謝を伝えて、しばらくお話していた。写真を撮ると、ちゃんと応えてくれていたのがわかった。(写真右)


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 いよいよ行列が入ってきた。宇佐からは総勢約700人が参加し、古代を再現した煌びやかな衣装で現れ、最後に神輿も入ってきた。祭式は、華厳宗、天台宗、真言宗三派によるもので、神式・仏式を習合しての式典になった。 1250年前を彷彿とさせる豪華な儀式で感動的だった。この日の思いがけない暑さは、古代日本人の熱気が蘇ったからかもしれない。
  
 みんなで遅いランチをした後、Kazukoさん達ともお別れ。(この時のご縁で、三人は霧丸さんとも集まることになったとか。) 私たちとも、またご一緒することがあるでしょうね。(^^)

 その後、三輪山へと向かった。その途中で、霧丸さんお薦めの石上神宮にも寄ってみることに。 ここには建御雷神の剣が祀られている。御祭神は、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)・布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)・布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)。この神社にも、いずれ繋がることがありそう。 ・・・・・ そうして、8年後に繋がりました。(岡山編 Page2

 山道を抜けて、桧原神社へ。その手前に箸墓(はしはか)古墳があった。ここは卑弥呼の墓という説もあるとか。驚いたのは、その古墳に向かい合わせになっていた小高い丘。それが巨大なキンモクセイの山のようになって、強い香りを放っていた。やはり、この香りが好きなのかな。悲願寺の雰囲気からも、卑弥呼はパワーがあっただけでなく、本当は繊細で情感豊かな女性らしい存在だったのではと思えた。
 古墳から、さらに奥に入ったところに桧原神社があった。ここは、天照大御神が最初にお鎮まりになったところで、元伊勢とも呼ばれている。その話を聞いて、去年の夏に寄ってみたいと思ったが、その時は時間がなかった。すると帰ってから読んだ「アマテラス」の中に、この神社のことが書かれてあって驚いた。今回も来れるかどうかわからなかったが、その前に霧丸さんと霧ママが道に迷いながらも、ここまで参拝に来ていたので、私たちも案内してもらうことが出来た。(大神神社からは歩いて来る道があるが、車ではわかりづらいところにある。) 
 境内に足を踏み入れようとして、思わず立ち止まった。 なんて清らかな! 小さな境内は、きれいに清掃されていて、一切の穢れもないほどに澄んでいた。本殿も拝殿もなく三ツ鳥居があるだけの神社。ここも周りの自然と溶け合って、ひっそりと清楚に佇んでいる。やっぱり悲願寺と似ている。オレンジ色に染まりかけた太陽が、優しい光りを降ろしていた。あまりの美しさに感動して、胸までドキドキ。(又しても狂喜乱舞! ^^) 品があって落ち着きがあり、奥ゆかしい。(好き好き!) 一緒に参拝していた霧ママが、立て続けにゲップを出し始めた。神霊が降りて来ると、ゲップが止まらなくなるそうだ。今まで一緒だったのに、この時が初めて。(神社を離れると、ピタっと止まった) 霧ママが、私たちに伝えてくれていた。桧原の神様は温かく迎えてくれた。「ありがとうございます。」 霧丸さんの祝詞と一緒に、五十鈴を振って私も応えた。(どうか、この清らかさが守られますように・・・)
 そして、最後の大神神社へ。去年は時間ギリギリで、挨拶に来るのがやっとだった。その時に約束して帰った。必ず戻って来ますから・・・。そして、ようやく果たせた。ご神木の前に立って、手を合わせているとジリジリと足元から熱くなってきた。霧ママのゲップが始まった。(わかりやすい・・・ずっと一緒に周りたいくらい ^^) 禁足地だった三輪山への登拝口の前で、五十鈴を振った。ここには、天下国家の平安と皇室の弥栄を守護される御神霊が宿っていて、八次元神界が開かれるところだとも言われている。火と水が融合する中に、八次元神界が降りてくる。(写真左)
 ひと周りしていると、夕日が次第に濃いオレンジ色になっていた。展望台に上がると、そこには大和の国が一望出来た。まるで古代にタイムスリップしたみたい。石碑には、「この地域は、まさに聖地であり、古代大和の中心地であった。」と記されていた。ここで、また霧ママのゲップが始まった。後ろには、御神体の三輪山。阿蘇から奈良へ、私もようやく辿り着いた。夕日に照らされた大和は美しかった。この大和の国を守りたい。心からそう思った。私に出来ることをさせて下さい。そして、そのためのお力をお貸し下さい。


すごい神域になっていますね
大和の記憶を呼び覚ます

 霧丸さん親子とも、お別れ。この2日間、本当にお世話になりました。お役目大変だと思いますが、どうか奈良の都を守ってくださいね。私たちも最善を尽くし、自分たちで出来ることを最大限にして行くつもりです。
 
 そして、私と兄は天河へと向かった。