[聖なる旅]


聖なる旅 



 秋の宮島 弥山 編



2008.11.23〜11.24
                         
Page 2 

 11月24日
 昨夜も、途中で汗をかいて目が覚めた。そのまま起きて、しばらくした後で再び眠った。朝食も、和定食でおいしそうだったけれど、とろろに寄せ豆腐と、ヨーグルトぐらいにしておいた。
 夜半から雨が降り続いていた。その予想はあったので、雨の用意はしていた。どうやら、今回も下からは登らなくても良いみたい。やはり、シナイ山の予行編になっているのね。・・・シナイ山では、途中までラクダさんに乗る予定なので。(へへへ)

 これが普段どおりに元気モリモリで、お天気も良かったなら、早朝から出発して、るんるんと登るつもりでいたのだけれど、この状況ならどちらにしても無理みたい。柾至も心配して、「ここに来ただけでも充分だから、これ以上無理しないで、後はゆっくりしたら?」と言った。確かにそれもあるけれど、とにかく弥山に入って、行けるところまでは行こうと思った。

 有難いことに、ロープウエイ乗り場までの無料送迎バスが、このホテルの前から出ていた。乗り場まで、普通の足で15分以上は歩くことになっていたので、これは大助かり。
 荷物を預けてチェックアウト。このホテルには、もう一つワガママを聞いてもらっていた。ただ、それも「他のお客様には・・・」と言うことだったので、ここでは言えないけれど、本当にサービスが良いホテル(錦水館の別館)だった。この時の私たちには、何もかもピッタリで感謝なのでした。(金と水の名前も良いし。^^)

 紅葉谷公園に入った。まさに、今が見頃の見事な紅葉。バスから降りたところでは、雨にも関わらず、テレビ撮影もしていた。落ちたばかりの葉っぱが、ツヤツヤと光っていてきれいなこと。その美しさに、しばらく見入っていた。
 

 ゆっくり休みながら乗り場まで上り、ロープウエイへ。山全体も、見事に色付いていた。やっぱり、ここまで来て良かった。
 降りたところでは、雨風が強くなり、霧に覆われていた。 ヒュ〜ヒュ〜。あら〜、これは大変! まずは、休憩室に入って一時避難なり。(ふ〜っ)

 ビデオで、宮島と弥山が紹介されていた。前回で登った頂上が映し出され、その時のことを思い出してウルウル。(宮島 弥山編) ここで、今日の行くべきルートがわかった。
 ロープウエイで上がってきた人たちは、そのまま次の便で降りて戻ったようで、いつのまにか私たちだけになっていた。外は、強い風と雨。霧に覆われて、景色も良く見えない。普通なら、そのまま帰るでしょう。でも、私たちはそういう訳には行かなかった。気合を入れて、GO!

 勇気を出して外に出たら、いきなり強い風で傘がひっくり返った。ひえ〜っ! ひるみそうになったけれど、一歩踏み出したら、もう後には引けない。覚悟を決めて行くしかない。最初は下りだからラクラクと思っていたら、落ち葉と石で滑りそうになるから、ゆっくりしか歩けない。途中で、何度も足を滑らしそうになった。そして、例の登りになった。


 高熱を出した影響で、また胸が苦しくなってくるので、休みながら登っていたけれど、濡れているので、前回のように座ることも難しいし、長く立ち止まると却って寒くなる。また一時間ぐらい掛かりながら、ようやく本堂に辿り着いた。

 私にとっては、このわずかな道も長く感じたけれど、雨の中の原始林の幻想的な美しさが励みになり、前回よりもさらに神気に満ちているのも感じられた。


 とにかく、少しでも暖かいところに入りたかった。弥山本堂に上がり、黄金色に輝く虚空蔵菩薩さまのお姿を見たときは、抑えきれなくなって、思わず声を上げて泣いてしまった。(周りに誰もいなくて良かった〜。^^;) 湧き上がってくるのは、ただ感謝の思いだった。そう、ここは「88番札所」になっていたのでした。
 

 息が落ち着いたところで、霊火堂へ。こんな雨の中でも、他にも来る人たちがいて、火の周りで暖をとっていた。 この前は煙モクモクで気付かなかったけれど、ちゃんと座るところもあった。
 1200年以上も燃えているという「消えずの火」。あ〜、この燃える火が有難い。少しでも乾くようにと、濡れた靴と上着も脱いだ。さらには、掛けている大きな土瓶にはお茶が入っていて、飲めるようになっていた。まあ・・・何から何まで有難いこと。祀られている不動明王さまにも感謝。 ・・・これも後でわかったこと。 この火で焚かれている大茶釜の霊水を飲むと、万病に効くといわれ、そのご利益を求めて弥山に登って来る人が多いとのことでした。(^^)


 ずっと、こうしていたかったけれど、そうも行かない。柾至は元に来た道を戻って、ロープウエイで降りることを勧めたけれど、もう同じ道を戻りたくははない。今回のもう一つの目的は、大聖院に行くことだった。そう、弥山の頂上ではなかった。・・・後で聞いたら、この時の頂上は強風に煽られて立っていられないくらいだったとか。
 
 大聖院のルートは、2005年の台風で土砂崩れが起きて以来、通行止めになっていた。それが、今年の10月1日に復旧したのだという。(!) そう、三年間封印されていたものが、ようやく復活して開かれたのです。 だから今、行くことになったのですね。 夏に来たときは、そのことも知らなかったけれど、どちらにしても時間がなかったので、ここで仏足のお守りだけを買っていた。

 ・・・やはり行くしかない。下りだから、ゆっくり降りて行けば大丈夫。冷たい雨風の中、再び出発。水掛地蔵さんたち、行ってきま〜す。御山神社への道は、霧に覆われて真っ白。向かって御挨拶だけして、大きな鯨の形をした鯨岩の間を通り、仁王門跡の分岐点へ。
 

 下りは、早いと思ったら大間違い。雨のおかげで、シナイ山の時のように駆け下りることが出来ず、水が溜まったところを避けながら、滑らないように一歩ずつ降りるしかない状態。大小の石を敷き詰めた石畳の道が続く・・・。
  

 途中で、また滑って転びそうになった。身体がどんどん冷えてくる。体力が落ちてきているのがわかる。座って休みたい。時々、立ち止まって息を調えていたけれど、長く休むと余計に身体が冷えてくる。
 柾至が、自分に寄りかかるように言ってくれた。彼の腕と肩にしっかりしがみついて、支えてもらいながら降りていく。・・・シナイ山の登りのときに、ガイドくんに支えてもらった時と同じ感じ。(エジプト編 Page 5
 彼のパワーと一緒になったおかげで、二人三脚のようにリズムに乗って、降りるときのスピードが上がってきた。彼は、私の気持ちをリフトアップさせるかのように、楽しそうに歌を口ずさんだり、クイズをしたり、また彼の将来の夢についても話してくれていた。

 大きな一枚岩の上を、水が流れているところに出た。新しく造られた、防堰提もあった。番号の書かれた町石が目に付くようになり、あともう少し、あともう少しと思いながら、降りた。こんな雨の中でも、鳥の声が響いていた。


 そうして、里見茶屋跡地まで来た。海も見える! 山の下からは、ゆっくりと雲が上って来た。マチュピチュでの光景を思い出した。地図をみると、ここからラストスパートだ。


 白糸の滝まできて、お寺の屋根らしきものが見えた。やった! 鐘の音も響いている。その音を聴きながら、最後の力を振り絞って降りていく。石段の上に落ちている葉が、鮮やかできれい。・・・周囲は、まだ土砂崩れの後が生々しく残っていた。


 そして、その全景が見えてきた。紅葉した木々と緑の中に立つ大本山。 何て美しく厳かなのだろう。この光景は、この時期、この場所からしか見れない。途中で、もう雨は勘弁してくださいと、何度も心で訴えたくなっていたけれど(^^;、その雨のおかげで最も美しい光景を見せて頂けたのだと気付いた。
 普通なら、最悪の天気と条件だと思えるようでも、自然界は私にとって、このアセンションのために、必要な最善の状態で用意してくれていたのだと知った。 そのことに胸が一杯になり、しばらく佇んで眺めていた。


 その大聖院の横を降りながら、ようやく麓へ。やった、やっと辿り着いた。真っ赤な紅葉と、金色に輝いた銀杏の葉が、迎えてくれていた。
 弥山本堂から降り始めて、ここまで約2時間掛かっている。下りなら、普通は半分の時間ぐらいだけれど、登りと同じくらい掛かっていた。(^^; それも、こうして写真を見ると、それだけの時間を掛けることで、その分の弥山の神気をシャワーのように浴びていたことになっていたのですね。改めて感謝です☆  ・・・写真撮影は、全て柾至なり。

 仁王門の前へ。その先に、長い石段があるのを目にしたときは、思わずクラクラした。・・・まだ、最後の砦があったのね。ようやく終わったと思って喜んでいただけに、さすがにガクッと来た。(ははは) その前に、山門横のお地蔵さんと下大師堂に御挨拶しながら、また息を調えた。


 石段の真ん中には、三蔵法師がインドより持ち帰ったお経で、無量の福が得られるという、金色の大般若経筒があった。そのお経を触りながら、柾至に支えてもらって上った。そして、御成門に到着。(ふ〜っ)  美しい観音さまの像が、優しく微笑みながら迎えてくれた。びんずる尊の身体も撫で撫でして、五体に感謝。
 濡れた靴を脱いで、観音堂の中へ。ご本尊は、厳島神社の御本地仏である十一面観世音菩薩さま。そのお姿を前にして、また泣いてしまった。ここまで来れたことに感謝をして・・・。


 お堂の中には、迫力ある龍や曼荼羅の絵もあった。また、境内内で開催されていた、辻村寿三郎さんの人形展のグッズが並べられていた。・・・寿三郎さんは、NHK「新八犬伝」の人形を製作されているそうです。
 その他に、寿三郎さんの作品の一つである、「花うさぎ」グッズがあった。頭にお花を飾り、着物を身に纏ったうさぎちゃん。その姿は、高貴なお姫様のよう。何とも可愛いいのと、その品の良さに心が惹かれた。いろいろな種類がある中で、ストラップと九谷焼のマグカップ(金色よ〜)を買うことにした。これは、自分へのご褒美として。(えへっ)
 それを選んでいる間、寒さと冷えでガタガタ震えていた私を見かねて、スタッフの人が持っていた手袋を貸してくれていたなんてことも。おかげで、心は暖まった。(^^)


 弥山三鬼大権現を祀っている摩尼殿の前へ。力強い姿で立っている、からす天狗さんに合掌。写真の通りに、すごい存在感とパワーを感じた。
 そのすぐ前には、釈迦の涅槃像。黄金色にキラキラ光っている。足元には仏足があり、その上に立ってお参り出来るようになっていた。靴を脱いで立ったら、足が冷え切っていたので、その冷たさにまた凍りそうになったけど。(ほほほ)
 

 最後に、大師堂に向かって参拝。大本山大聖院は、弥山で修行された弘法大師さまによって、開かれていた。・・・いつもありがとうございます☆
 弥山本堂から、大聖院へ。前回の登りと下りで、一つ完成したのを感じた。


 納経所には、お大師さまの絵が入った薬膳羊羹というのがあったので、お土産に。(^^) これで、今回やるべきことは終わった。ここから、ホテルまでは20分ぐらい。早く戻りたかったけれど、その前に途中でゆっくり休みたかった。何より、暖かいところへと入りたかった。
 今回も、神社のすぐ横にある「水羽」さんへ。もう3時前ぐらいになっていた。何も言わなかったけれど、柾至はお腹ペコペコだったはず。彼は釜飯膳を食べることにして、私はぜんざいを注文。
 座敷に上がって、すぐに濡れてしまった靴下を脱いだ。暖房は入っていたものの、芯から冷え切っているので、なかなか震えは止まらなかったけれど、ゆっくり座って足を伸ばせてほっとした。まだ食欲はなかったので、お餅までは食べれなかったけれど、甘く暖かい小豆がおいしかった。

 商店街で、柾至がKちゃん家にお土産を買っていた。招福の文字が入った宮島杓子に、もみじ饅頭もお忘れなく。(^^) そろそろ次の限界に達してきたところで、ホテルに到着。ウエルカムコーナーで、ゆっくり一息。濡れた靴下を履き替えようかとも思ったけれど、靴自体が中まで濡れていたので意味がないと思ったし、全身の震えで履き替えることさえ億劫になっていた。日が暮れてきたので、寒さも増していた。

 昨日であれば、この時間は長蛇の列だったけれど、有難いことに大丈夫だった。フェリーに乗って弥山を出発。こんな状態だったけれど、迎えてくれた神々や精霊たちに感謝☆
 宮島口からは列車へ。寒いホームで20分余り待っている間も、柾至に寄り掛かっていた。そうして、広島駅から新幹線へ。帰りはかなり混んでいたけれど、何とか座ることも出来た。

 そうして、ようやく家に辿り着いた。やっと帰って来れたよ〜。待ってましたとばかりに、お風呂へドボン! HWのお風呂が、どれだけ有難く感じたことか。コスモWにバージョンアップさせておいて良かったと、つくづく実感。(お風呂で、そのパワーの違いがわかるのです。^^)
 暖房で外側だけ温めても、濡れた足元からどんどん冷えてくるので、どうしても震えを止めることが出来ないでいた。ようやく、この時になって芯から温めることが出来て、震えが治まった。

 こうして振り返ってみると、出発前に高熱が出て、ゆっくり歩くのがやっとだったにしては、最後まで何とか帰れたものだと思う。(^^) 日向・高千穂のレポートを書いている時に、過去のレポートを読んでいた。そこには、S先生が言っていたこととして、このようなことが書かれていた。(高千穂編 Part2

 ”一度動きが始まったら、もう止めることが出来ない。自分で止めてしまったら、そこでおしまい。魂が上がって行くものと、そうでないものと分かれるとき。今まだ手を差し伸べている人は、まだ救われる。腕組みをしてしまっている人を無理やりに引き上げることは出来ない。辛く苦しい修行の時代は終わり、みんなで楽しみながら修行する時。そうして、みんなで繋ぎあって上がって行く”

 そうなのです、それがわかっているから、私には止めることが出来ない。今回もこのような体調であれば、延期するなどして、お家で暖かくしてゆっくり休んで過ごしても良かった。そうして逃げるために、言い訳出来るだけの条件も揃っていた。

 でも、今だからこそ呼ばれている、そのために身体が合わせているのだとわかっていたから、キツいのは承知で、前に進むことを選んだ。同じ機会は二度とない。この流れを止めたら、別の方向へと瞬時に変わってしまうことのほうが、嫌だったから。
 そして、終わったときには、一歩進んだ次の道に立っている自分の姿も見えていたし、実際に実感することも出来ていたから。

 >このレポートを書き始めたところで、ある媒体を通して教えてもらったこと。・・・内にある火の力を使うことによって高熱を出して、極限までエネルギーを高めながら、細胞を原子転換させていく。出すものを出し切ったところで、水の力へと移行。急激に、極限まで冷やすだけ冷やして、下げていく。その温度差が激しければ激しいほど、細胞が強い振動を始めるようになる。その全身の振動によって、バイブレーションが上がり、さらに活性化して、細胞がより進化して行くことになる。火と水の力が一つになって完成し、新しい力が生まれていく。・・・

 それで納得でした。最初に(熱によって)上げるだけ上げておいて、一気に(冷たい雨の寒さによって)下げるところまで下げる。これも谷底アセンションと同じ極意ですね〜。あれだけの長い時間、全身の強い震えが止まらなかったのは初めてだったので、「ガタガタブルブル アセンション」と名付けようかと思ったけれど。(笑) ・・・いつも終わってからしか、その意味を教えてくれないのよね〜。
 今回は、ライトボディのためのプロセスだったようです。何とか終えることが出来て、一歩前進したということで、とりあえず今回は良しとしておきましょう。(^^)

 夏に訪れたときは、一人で超えるようになっていたけれど、今回は柾至と二人だった。そのことが示されたとき、次のRAINBOW TOURに参加する柾至も、事前に準備として登る必要があるからだと思っていた。でも、それだけでもなかったのですね。
 彼が一緒でなかったなら、今回は達成することが出来なかったかもしれない。宇宙(内なる神)も、必要以上に無理なことはさせない。どんなことでも、必ず可能性があるから、出来るとわかっているから、差し出してくれている。それに、悪天候のようであっても、自然界は美しい景色で励ましてくれていた。


 彼も大変だったと思う。あの冷たい雨の中を、二人分の荷物を持って、私の身体を支えていたのだから、かなりのエネルギーを使っていたはず。それに、彼の靴もすっかり中まで濡れていたから、同じように寒かったと思う。それでも、愚痴や文句を一切口にすることがなく、最後まで私を励ましてフォローしてくれていた。彼の存在が、大きく感じられた旅でもあった。そのことも、母親としてうれしく感じた。

 神々の島 宮島弥山。私にとっては、シナイ山でもある。これで、来年の春分の日に、シナイ山に登る準備は出来た。再びここに戻ってくる日も、誰と来るかも教えられている。その時は、また違った形で楽しめることでしょう。この時のことを思い出しながら・・・☆