般若心経
 
現代語訳より

                                                          


 
 聖なる観音菩薩は、この世にあるすべてのものがどのようにして存在しているのかを知ろうと、観察と瞑想による深遠な智慧の完成の修行をして、ついにそれを極めました。そして、人間を構成する五つの要素である、身体、感覚、意識、意志、認識は、すべてみな『空(くう)』という本質を持っているという真理を見抜いたため、この世のすべての苦しみから解放されました。

 『空』とは、すべてのものは常に移り変わり、永遠に同じ状態では存在できないという真実と、すべてのものはお互いに関連しあいながら存在しており、他との関連性なくして存在できないという真実をあわせた、存在に関する真理です。
 観音菩薩は、この『空』の真理について、釈迦十大弟子の中で知恵第一といわれる舎利子(しゃりし)に説法されます。
   


★ 「般若心経」 現代語訳
 舎利子よ、この世に存在する形あるものはすべて、『空』という本質を持ち、また、『空』の原理に基いてこの世に存在しているのです。つまり、存在する事と『空』とは異質ではないのです。この世に存在するとは『空』であるという事であり、『空』だからこそ存在可能なわけなのです。

 この真理は、私たちの心の作用にもあてはまり、感覚も、意識も、意志も、認識も、すべて『空』という本質を持つのです。

 舎利子よ。この世において存在するすべてのものが『空』の現われた相(すがた)であり、『空』の特性は、生まれるものでも死ぬものでもなく、汚れたものでも清浄なものでもなく、減るものでも増えるものでもないのです。

 だから『空』という真理の立場から見れば、物質的現象もなく、感覚・意識・意志・認識という心の作用もなく、眼・耳・鼻・舌・体・心という感覚器官もなく、その感覚器官の対象である形・音・香り・味・感触・意識もなく、感覚器官の対象の領域も、見える形の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのです。

 さらには“無知”もなく、“無知”が消えることもないのです。そしてついには老いと死の苦しみもなく、老いと死の苦しみが消えることもないのです。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみをなくすことも、苦しみをなくす道もないのです。何一つ所有するものがないので、知ることもなく、得ることもないのです。

 悟りを求める人はこの真理を拠り所とするので、心に何のこだわりも持たずにいられます。心にこだわりがないから恐れるものは何もないのです。一切の相対的な囚われの妄想から遠く離れて、永遠の平和な境地に安住していられるのです。過去・現在・未来のすべての仏たちも、この智慧の完成によって、この上ない真実の悟りを得たのです。

 それゆえに人は知るべきです。大いなる真言、明らかな真言、この上ない真言、比べるものがない真言は、一切の苦しみを取り除いてくれる、虚しくない真実なのだと。智慧の完成においてその真言は次のように説かれました。
   
 渡ろう、渡ろう、彼岸に渡ろう、すべてを越えて彼岸に渡ろう、そこにある無上の目覚めに幸あれ!
   

 以上で智慧の完成した心の教えを終わります。