[聖なる旅] [2007セドナ編] [Page 1]


聖なる旅 




エジプト 2008 編


2008.3.17〜3.31
                                                                                

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 3月20日(春分の日 前編)
 お部屋に戻って、シャワーを浴びて準備。出発まで、まだ数時間はあるので、少しでも眠っておこうとベッドへ。熟睡は出来なかったけれど、横になってアポロちゃんで調整していた。 

 2時にべハーくんと集まって、車で移動。そこでべハーくんから、ラクダ乗りはあまり奨めないという話を聞いた。(!) 乗っている時は良いけど、降りたときに太腿が痛くなっていることがあるから、それよりも歩いて登ったほうが良いということで。
 え〜っ、そうなの〜!?  私は最初からラクダに乗る気満々だったので、寸前になってそんな話を聞かされて、どうしようかと思った。ともちんは、元々歩いて登るつもりだったようで、ストックも用意していたけれど。う〜ん、どうしようかな〜。私にはラクダに乗っている構図しか浮かんでいなかったので、しばらく迷ったけれど、ここはアドバイスに従うことにした。

 この後はベドウィンガイドが付いてくれるので、べハーくんはここまでだったけれど、私たちの頼りない様子をみてか、一緒に登ってくれることになった。(^^; 修道院を過ぎた頃から、少しずつ坂になり、ゴロゴロした石も出てきた。気が付くと、ともちんとも距離が。
 それ以上に、他の人たちのペースが早く、後ろからどんどん追い抜かれている状態。自分のペースでゆっくり登りたくても、ラクダさんと同じ道なので、よけながら登らないといけないから、余計にペースが保てない。そんな私たちを見て、ベドウィンガイドくんはラクダに乗ることを奨めた。私の心の声も、ラクダに乗りた〜いと何度も叫んでいた。そこで、ともちんと相談して、ラクダに乗ることに決めた。やったね! v(^^)v

 その後も、べハーくんは歩いて付いて来てくれると言ったけれど、さすがにそれは申し訳ないと思ったので、契約通りに明日の朝、迎えに来てもらうことにした。
 さあ、いよいよラクダ乗り。ラクダさんは高さがあるので、乗ってから立ち上がる時が怖いと良く聞く。でも、いざ乗ってみると、どうってことはなかった。前後に支える棒もあるし、ラクダ引きのガイドさんもしっかり横に付いているので、そう簡単に落ちるようにもなっていない。
 そう言えば、べハーくんが話してくれていた。ラクダさんは、とても健康的な動物で、病気になった時点で、すぐに天国に帰るようになっているのだとか。つまり、病気になったまま苦しんだり、周りに影響を与えたりということがないそうです。&砂漠では、馬よりも走るのが速く、何日も水や食べ物がなくても生きられる、とても強い動物とのこと。乗る前に、その話を聞いていたので、ラクダさんにますます親しみが湧いていた。・・・私も、ラクダさんみたいになりたいものです。(^^)

 何しろ真っ暗なので、道がどうなっているのか良くわからないけれど、途中で何度も、ラクダのガイド(モハメッド)さんが「大丈夫?」と声を掛けてくれる。ベドウィンガイドさん(名前が覚えられなかった。^^;)も、その横を歩いて付いてくれているので、安心してお任せ。

 身体の力を抜くようにして、ラクダさんのゆっくりした揺れに合わせた。そうすると、まず太腿の筋肉に効いているのがわかる。それが、流行の乗馬エクササイズ状態になっていて、女性にとっては特に大事なリンパやホルモンの刺激に。
 さらには、チャクラで言えば第一チャクラから第二チャクラへと響き、仙骨の辺りに刺激が来るので、自然とクンダリーニを活性化している状態になっているのです〜。(一石三鳥なり〜♪)



 おまけに、この場所は聖地のシナイ山。写真を見てもわかるように、たくさんの神々や精霊たちの素晴らしいエネルギーに満ちている。(赤い光は!?) 澄み渡った空は、満天の星で満月を迎えるお月さま(ISISさま・・・)もくっきり。 
 ここで浮かんでくるのは、もちろんこの歌・・・

  月の砂漠を はるばると 旅のらくだが 行きました
  金と銀との くら置いて  二つ並んで 行きました  

  金のくらには 銀のかめ  銀のくらには 金のかめ
  二つのかめは それぞれに 紐で結んで ありました

  先のくらには 王子さま 後のくらには お姫さま
  乗った二人は おそろいの 白い上着を 着てました

  ひろい砂漠を ひとすじに  二人はどこへ行くのでしょう
  おぼろにけぶる 月の夜を 対のらくだで とぼとぼと
  砂丘を越えて 行きました  だまって越えて 行きました

 次第に風が冷たくなってきたので、ジャケットを着て、手袋や帽子を被って温かくした。後ろを振り向くと、登る人たちが持っているライトで、光の道が出来ていた。それが、また幻想的で素敵〜♪ 
 もし、あのまま歩いて登っていたら、私たちにはこんな風に楽しむ余裕はなかったかも。(ふふふ) やはり、自分の内なる声には従うべきだと思った。何が必要で最善なのかは、一人ひとり違うこともあるから。最初からラクダに乗っていれば良かったかもしれないけれど、それも体験してから良くわかったことなのでした。(へへへ)

 そうして終点に到着して、ラクダ乗りもおしまいに。降りる前に、写真もパチリ。ラクダさんて、ちょっととぼけたお顔のようだけど、お目目がキラキラしている。砂漠では、なくてはならない大切な役割を果たしてくれているのよね。 どうもご苦労さま〜、おかげで楽しかったよ〜♪ (よしよし撫で撫で) 
 確かに、降りたときは足がガクガクしているけれど、しばらくしたら自然と戻ってくる。それよりも、荷物も持たなくて良いし、ここまでの距離を歩いて登ることと比べたら、とってもラクチンだったのです。(^^)

 
 さあ、ここからは自力で登るよ〜。その前に、休憩所になっているお店で一休み。温かい紅茶も飲めるようになっている。そこで、しばらくガイドさんと世間話。薄暗かったので良くわからなかったけれど、彼はまだ24歳の青年だった。(ほ〜っ) 

 頂上までは、約750段の石段になっていて、あと30分ぐらいとガイドくん。そうして石段を登り始めたものの、足が思うように上がらない。おまけに胸が苦しくて、息が切れる。少し登っては立ち止まるを繰り返していたけれど、道がどんどん狭くなって、後ろから登って来る人たちの邪魔になりそう。
 その内、意識がモウロウとしてきた。リュックはガイドくんが持っていてくれたけれど、足元もフラついている。道から離れて、座れるところに案内してくれた。目の前を、次々に列を為して登って来る。その勢いというか、流れに付いていけない。目にしているだけで、頭がクラクラして回りそうな感じ。ついさっきまで、ラクダに乗ってノリノリ気分だったのに、一体どうしちゃったのか。・・・その感覚は、アヤワスカに入った時に似ている気がした。

 ともちんは、いつのまにか別のベドウィンガイドさんと一緒にいた。途中で声を掛けられて、お願いしたようだった。(良かった。) その辺りから、記憶が途切れている。ガイドくんに抱えてもらうように、登っていたのは憶えているけれど、その先は意識と肉体が離れているような感じで・・・。

 そうして気が付いた時は、空の色が変わってきていた。濃いゴールデンオレンジに染まっている。私の意識も、少しずつ戻ってきた。もうすぐ日が昇るのね。でも、ここはどこだろう、あと頂上までどれくらいあるのかな・・・。それにしても、ここはさらに凄いエネルギーになっているみたい。


 「もう少しだから、こっちへ・・・」と、ガイドくんは登り道から離れたところに案内した。途中で、置いてあった貸し毛布を手に抱え、岩に登らせてくれた。そして、その岩を降りたところには、数人が入れるくらいのスペースがあり、その先は山々が連なっていた。


 そのスペースに横になれるように、毛布を敷いてくれた。どうやら、ここからも日の出が見れるらしい。横になって一緒に休んでしばらくしてから、「すぐに戻ってくるから」と、どこかに行った。空がどんどん明るくなってきた。太陽はどこから昇るのだろう・・・。

 すると、何と真正面から、太陽が姿を現し始めた。わ〜わ〜! 急いでカメラと五十鈴を取り出した。周りに遠慮することもなく、五十鈴を大きく振って鳴らした。シナイ山全体に、響いたように感じた。そうして、太陽神に、モーゼに、自然界の神々たちに祈りを捧げた。


 まるで、巨大な映画のスクリーンで観ているようだった。静かで、周りには誰一人いない。全く私一人の貸切状態。このシナイ山においては、もうこれ以上は望めないのではと思えるほど、完璧なセッティングでの御来光だった。その輝きは、言葉では表現出来ないほどに、美しく、力強く、そして神の深い慈愛に満ちていた。


 > 春分の日は、数年前から意識するようになり、そのきっかけになったのは 5年前の出来事だったことを思い出した。あの時も急に体調が変わって、そこから大事なメッセージを伝えられることになっていた。(Diary 28) 
 そして、ペルーのワイナピチュに登ったときに、やはり同じように突然身体が重くなり、後になってその意味を知らされたことも。(2005年ペルー編 Page11

 一年前の春分の日は、ネパールでヒマラヤの山に浮かぶ日の出に祈っていた。(ネパール編 Page4 ) そうだった、あの朝日はブッダの目になっていた。「森羅万象の全てを見通す」・・・そう、ホルス神のウジャトの眼と同じ。 それで、登る前にホルス神のキーホルダーをもらうことになったみたい。

 「天地大神祭」には、このようなことが書かれていた。要約して・・・

 日本の神々は、冬至に正月を迎えている。その日から日に日に太陽が高く昇るようになるのだから、一年の始まりにするにはもってこいの日だ。しかし、南半球では夏至を迎え、太陽の昇る方向も北半球と南半球ではバラバラだ。
 ところが春分を基準にもってくると、その日は全世界で太陽が真東から昇り、昼の長さと夜の長さが同じ、正確にいえばほぼ同じになる。ワールドスタンダード、世界基準とするのに最適である。
 ・・・初日の出に特別な思いを寄せ、「御来光」を拝むんであれば、冬至か春分でないと意味ない。


 また、少し前から読んでいる本には、このようなことも・・・。

 私たちが太陽を見つめるとき、私たちが気づかなくても私たちの魂は、太陽と同じ形をとり、光り輝く白熱の球体になります。・・・もしあなたが太陽のようになりたいのなら、大いなる愛と信頼をもって太陽を見つめなければなりません。こうすることで、あなたはより暖かく、より光り輝く存在になり、ほかに生命を注ぎ込むことができるようになります。他人にとって、あなたの存在が光と暖かさと命を放射する太陽のようになるのです。・・・

 私たちが宇宙の中心である太陽に焦点を合わせるとき、私たちは自分自身の中心、高次の自己、内なる太陽に近づき、その中にどんどん溶けていきます。
 しかし太陽に意識を集中させることは、私たちの思考、欲求、エネルギーのすべてを結集して最高次の理想のための奉仕の仕事に用いる方法を学ぶことも意味しています。・・・
 世界はこの太陽とのワークに貢献できる人々をより多く必要としています。愛と光だけが人類を変容させることができるからです。・・・

 
 これまでの「聖なる旅」や、去年一昨年のRAINBOW TOUR でも、到るところで朝日と夕日を眺めることをしていましたが、こうした意味もあったのですね。そのことを大いなる自己(ハイアーセルフ)は良くわかっていて、無意識のようでも、その声に従っていたのでしょう。

 そして、この日に、ここで、この瞬間から私はまた生まれ変わる。太陽神からの光を全身に浴びながら、そう宣言していたのでした。

 ガイドくんも戻ってきた。私が崖っぷちに座っているのを見て、「気をつけて〜!」とビビっていたけど。(笑) 改めて崖の下を見下ろすと、見事な谷底だった。(^^)


 ここは、彼しか知らない秘密の場所だったらしい。頂上まで行くと、たくさんの人で写真を撮るのも難しいみたい。そのために早くから登って、日の出の一時間ぐらい前までには着くようにして、場所を取って待機しているのだとか。私の場合は、その時間もなくなっていたのだけれど、何よりここは私たちだけだった。
 また、頂上は吹きさらしになっているので、かなり寒いと聞いていた。それで、予備のトレーナーやカイロ、非常用の折り畳みブランケットなども用意していた。それも、周りを岩で囲まれていたので、冷たい風からも守られて、使う必要もなかった。(外部とは、遮断してくれているような感じで)本当に、何から何まで有難いことでした☆