[Diary 189]

  

Diary 
                                                                                                                      

                                                               VOL.190

★詳しいレポートは、それぞれの日付からリンクさせたブログや、
別レポートのページにあります★

 2010年 1月 (前編)                
 2010年が明けました〜。今年はどのような年になるか、その年明けから元旦の過ごし方で、その一年が見えてくる。・・・ということで、ここでもう一度振り返って確認。

 12月31日
 前の日に東京に着いて一泊し、朝から浅草寺へ向かった。思いがけず、巨大な金龍さんに迎えてもらい、おみくじを通して、来年に向けてのうれしいメッセージまで伝えて頂いた。(詳しくは、この後のカナダレポートで。^^) 2009年の締めくくりに、浅草寺で祈らせて頂けて感謝。

 夕方前に帰着。2週間閉め切ったままのお部屋だったけれど、クリスタルセラ(STS空気蘇生器)ちゃんのおかげで、マイナスイオンがたっぷり満たされていて、と〜っても気持ち良い♪ 
 荷物は二日後に届くので、まず最初にしたのがオメガW作り。たっぷりと、ゴクゴク飲んで生き返る。(ふ〜っ) 飛行機の中で、ほとんど眠らなかったとはいえ、カナダではゆっくりも出来たので体調もバッチリ。紅白も観ながら、次々にやることを済ませた。
 
 マイケルスペシャルが終わったところで、テラちゃんたちが迎えに来てくれた。今年の年越しは、妙見神社で迎えることにしたのだ。12月にカナダに行くことを決めたとき、二人からも1ヶ月ぐらいゆっくりしたらと言われていたので、最初は柾至の誕生日ぐらいまで過ごすことも考えた。でもその一方で、年明けは日本で迎えるというビジョンが、頭から離れなかった。特別にどこかに行くという考えが出たわけではないけれど、とにかく自分の土地で迎えるということで。
 冬至は日本でなくても良いのかと思ったところ、それは後になって意味がわかることになったし(Diary189にて)、いずれにしても1月以降の帰国だと、チケットも取れない状態になり、必然的にギリギリ年内に帰国することになった。そこで、大晦日の夜は妙見神社で過ごすようになっていると感じたのでした。

 公園内に入るところで、すぐ前に「999」の車が! 山田の父上だった。(^^) 先に走っていたので、車から降りてポールまで移動してくれたり。(すみませ〜ん。^^)  ・・・・ 「進む道は、全て開かれている。」

 入り口から、灯りも灯してくれていた。(ありがとうございます。) 冷え込んだ寒い夜にも関わらず、すでにたくさんの人が集まっていた。時間になって、厳かに大祓いの儀が始まった。祝詞と玉串が奉上され、それぞれが用意した人形(ひとがた)を、一つひとつ名前を挙げながら、炎の中で清め祓って頂いた。夏の大祓いもそうだったけれど、こうして目の前で丁寧に祓って頂けるというのは、とても有難いことなのでした。 お空を見上げると、松の木の間から輝く満月が見守ってくれていた。
  
   

 去り行く2009年に感謝を込めて、弥栄の乾杯! この一年も、充実した素晴らしい年でした。何の悔いもなく感謝の心で、こうして締めを迎えることが出来て幸せだった。その流れを、新しい年へと繋いで行きます☆

 直会のスタート。この日のふみさんの五穀の甘酒は、いつものように作っても、色が紅と白に分かれて出来上がったとのこと。おめでたい祝福用になったようですね。(^^) アツアツの年越しうどんを、みんなで頂いた。炭火を囲んで頂いている写真を見ると、一昔前にタイムスリップしたような光景になってますね。(ふふふ) ここでは、いつもそんな雰囲気になる。手作りの社に、手作りの集会所の中で、私たちの原点に戻っていた。

   

 新年を迎える時間になり、みんなで「明けまして、おめでとう〜!」 遠くで花火が上がっているのが見えていた。お空を見上げると、満月の光が、さらに強くなっていた。煌々ときらめき、神秘的に映し出されている。 ・・・ また目の中に入った! (写真右)

   

 しばらくして、年明けの神事が始まり、新年の祝詞を挙げて頂いた。その後で、御神木になっている松の木に集まり、2010年最初の弥栄の乾杯! 今年も、ますます弥栄に!

   

 Sくんのアフリカンドラム(ジャンベ)で、祝いの太鼓も叩かれた。この日は幣立神社の龍神さまと、金龍さまも来られていたという。(!) 幣立の龍神さま(八大龍王)は、真っ直ぐに立たれていて、金龍さまは横たわり、その間に青龍さまと三体が並んでいたそうだ。やはり、金龍さまも来ていたのですね。浅草寺での力強い目の光が、ずっと浮かんでいた・・・。 他にも、稲妻が三回続けて走るのを見た人もいた。(お〜っ!) それも、神さま降臨の合図になっていた。

 すっかりシャーマンのような風貌になっているHくん(ふみさんの息子さん)が、独自に学んでワークしている数秘術から伝えてくれたことがあった。それによると・・・ 一言でいうなら「気は優しくて、力持ち」。(笑) その力というのは、持っているパワー全体のことで、普通の人の三倍はあるはず。そのパワーは、限られた範囲ではなく、多種多様な文化や人々など、多くのものと触れ合うという、広く大きなものになっている。 道を開いて示しながら、背中を押して上げるだけで良い。その後で、どうするかはその人の責任になる。気をつけたい点としては、優しいがゆえに、つい過剰にやり過ぎてしまいそうになること。それが結果的に、自分に無理を掛けることになる。・・・

 ・・・ そうなのですね。振り返ると心当たりがあります。(^^; ここまでというラインを引くのが難しく、ついついあともう少しと手を出しそうになる。そのことは、これまでにも気付くことがあり、ある時期からは自分の思いだけではなく、誰かに対して何かをするときは、自分のハイアーセルフと相手のハイアーセルフに、充分に確認をしてからするようにした。そのことを意識し始めてからは、その人にとって必要なときに必要なことだけというのが、もっとわかるようになってきた。それでも、ついプラスアルファを加えたくなる気持ちが、まだ残っていたのだけれど。(おいおい)
 
 人の三倍ということでは、別の意味でY氏からも伝えられていた。振動数が高いので、普通の人の何倍ものスピードで処理して行くようになっていると・・・。言い換えると、それだけの仕事をしなさいと言われているようなもので、これからも増えて行く一方なので、覚悟して受け入れるようにと、何気に示唆されているのを感じたのでした。(ははは)

 そして今年は、もっと自分のペースで積極的に進んで、どんどん発信しながら表現していく時だと言われた。それがカナダにいる間、ちょうど冬至が明けた頃に具体的に示されていた。その時に受け取ったのは、これからはもっと範囲を拡げて、グローバルな世界へエネルギーを向けていくようにと。 それは、世界平和と地球の蘇生のための「和」の光を放って行くという目的で。・・・そして、もうその方法を始めていたのでした。

 この時の段階では、その方法しか浮かばなかったので、これでも良いのかなと思っていたけれど、この場所で、この年が明けたタイミングで伝えてもらったことで、確認させてもらえたのだと思った。それどころか、遠慮している場合ではなく、もっと積極的にやれやれ〜!という感じで。(笑) ありがとうございます。 これで安心して、取り掛かれます。v(^^)v 

 午前2時近くまで過ごしてから、私たちは帰ることにした。そこで、「888」ド〜ン! お家まで送ってもらって車を降りてから、テラちゃんたちの車が「13−33」だったことに気付いた。「天と地を繋ぐ聖数」に、「イシスナンバー」だ〜! (ちゃんちゃん) ・・・ 送ってくれて、ありがとうね♪

 1月 1日(満月)
 帰ってから、久しぶりのオメガWのお風呂へ直行。あ〜待ってました〜。ゆ〜ったり入って、細胞の奥から入れ替えてリフレッシュ。お風呂から上がって、一休みしようと思ったのは午前4時頃。ちょうど部分月食が始まる時間になっていた。今年は、年明けが満月の部分月食になり、それも蟹座で起こることになった。(!) そのためか占星術では、蟹座にとっては大きな変動を起こす年になるとも。 さらに、最初の新月は15日で金環日食。そして、30日には再び満月になる。(ブルームーン) それだけでも、今年は何か特別な流れというか、押し寄せるほどの勢いで何かが来ることを感じる。 そこで浮かんできたことは・・・

 「今までの枠や限界を、大きく超えていく。」 お〜、それはそれは。アセンションの時は、いつもそうなっているはずだけれど、そのスケールがこれまでとは違うようです。今までなら、とても無理だと思って諦めていたことでさえも、この流れに乗れば可能になる。達成出来るときが来たということ。 それも2012年に向けてのことで、そのための本格的な準備に入っていくということでした。
 楽しみですね〜♪ そうと分かれば、本当に遠慮している場合ではないですね。今やらないで、いつ始めるの!という時に来ていますから。(ふふふ) 

 そんなことを感じながら、少し眠ってから7時過ぎには起きて準備。浅草の雷おこしのお土産を持って、再び妙見神社へ。昨日の夜、今年の方向性も明確になったところで、元旦の神事でお祈りをし、はっきりと宣言していた。昨日の昼間は、雪が降っていたそうだけれど、この日は朝から青空が広がっていた。 清々しく、気持ちの良い元旦を迎えることが出来て感謝。
 またまた弥栄の乾杯もして、昨日から「弥栄」尽くし。(うふふ) 久々に、みんなで記念写真もパチリ。直会では、ぜんざいや雑炊に、御餅もこんがり焼いて頂いたり、さらには鯛を丸ごと炭火で焼いて、みんなでほぐしながら食べるなんてことも。(めでたい、めでたい) 元旦から、みんなで豊かさを満喫して、楽しいスタート。

   

 頂いた玉串を持ち帰り、入れ替えようとしたところで、ようやく気付いた。この留守にしていた2週間余りの間、入れっぱなしにしていた榊が、全然枯れていない。(!) 当然入れていた水は一滴も残っていなくて、カラカラ状態。それなのに、葉っぱ一枚落ちていなくて、色さえも変わらず、青々と茂ったままになっている!! 毎日、水を取り替えていても、ある時期が来ると変色してきたり、枯れてきたりするもの。確かに、この妙見の玉串は、普通のものよりも枯れにくく、オメガWを入れていたので、何ヶ月も持つということはあった。でも水がなくなっても、イキイキしているとは・・・。(!?) それも、今のエネルギー状態と、今年へのメッセージを象徴的に示しているように感じた。

 これまでも、いろいろなミラクルを見せてもらったけれど、それらも軽く超えてしまうぐらいのことが、これから起こってくる。そのスケールが、何倍も大きくなってくる。ようやく、待っていた時が来たと・・・。 そう心に響いてきた。昨夜浮かんでいたことと繋がって、思わず鳥肌ビンビン。もちろん、それはエキサイティングということで。(^^) 一体何があるのだろう、ちょっとドキドキするけど、ネガティブなイメージは全く出て来ないので、これはワクワクして楽しむしかないみたい。(うふふ)

 カレンダーも、新しく入れ替え。一つは、イタリアで買ったバチカン美術館のもので、1月は「天地創造」になっていた。それと、今年もプラチナ入りの干支のカレンダーが届いていた。金色に光っている二頭のタイガー。目力ビンビンで迫力がある。宮司さんからは、「今年は虎のように力強く、感謝や感動する力を付けていく。」という話があった。そう、「力」にもいろいろあるのですよね。私も、奥深〜くに眠っている力を、どんどん目覚めさせて、もっと発揮出来るようにしていきたいと思います。(イエイ!)

 1月 3日
 この日の午後、父の見送りをすることになった。・・・ そう、父は時期を迎えて、この世を旅立ち、光の世界へと還っていきました。11月(13日の金曜日)に病院に行ったときが、最後でした。(Diary188) その後、出発する二日前にも、病院から連絡があった。その時の話で、もしかしたらあの日が最後だったのかもしれない・・・。 そう強く感じてしまったのでした。あの日、手を置いて光を送っていた私の目をみて、声を上げたときの父の表情。はっきりと私の脳裏に焼きついていた。言葉にはならない父の魂からの声も、伝わってきていた。もう、わかっていたのですね。だから、あの日に私を呼んだのです。・・・

 病状としては回復したのですが、出発する二日前になって、また不安定な状態になり連絡が入った。その時に、予感が起こった。カナダに行くことは、もう止めることが出来なかった。そこで、やるべきことがあったから。 そして、心に響いてきた。「もう、その時が来ました。その覚悟をしてから行きなさい。・・・」 
その日、急遽兄に手紙を書いて送った。電話やメールではなく、手紙で読んでほしいと思ったから。その手紙を翌日に書留で送ってから、出発した。

 カナダにいるときに、父が亡くなった夢をみた。あまりに鮮明だったので目が覚めてから、しばらくベッドから動けなかった。それが、冬至が明けた翌朝だった。31日の夕方に帰ると、留守電が入っていた。遺体を安置してもらっていた葬儀社からだった。出発前に病院から連絡があったとき、この間に何かあった場合ということで、具体的な話がされ、そのもしもの時の手配もお願いしておくようになったのです。全ては決まっていたかのように・・・。そのことがわかったから、私の中では覚悟が出来ていた。

 そこで、亡くなった時刻を知って唖然とした。12月30日 午後5時過ぎだった。(!) まさにその時間に、日本に着いたのです。到着予定時間は午後5時30分だったけれど、予定より30分早く着いたというアナウンスが入ったから、よく憶えていた。(カナダ編 Page13
 私が日本に帰るまで、待っていた・・・。会えないのは、父の魂もわかっていたけれど、全て完全な状態で旅立つことを示すために、その時間に合わせたのだと。それがわかって、心で合掌をした。そして、見守ってくれていた多くの存在たちにも、心から感謝した。

 年末年始に入っていたので、すぐに埋葬することが出来ず、この日まで棺の中で安置してもらうことになった。31日の妙見神社での大祓いの儀のときに、人形に父の名前も書いていた。そこで私も一緒に祈りながら、父の最後の大祓いを神々さまにして頂いたのでした。満月の輝きが、父の旅立ちも示してくれていると感じながら。

 この地からは、私一人で見送ることにした。父も、それを望んでいると感じたから。その場所は「刻の森」という名で、油山の麓にあった。その油山は、柾至が小さい頃に三人で遊びに行った場所で、観音さまも祀られていた。 観音の日に生まれた父は、最後まで見守って頂いていたのですね。告別室で対面したときは、肉体としての姿に胸が痛くなって、思わず声を上げてしまったけれど・・・。

 この世での最後のプロセスを見送っている間、いろいろなことが思い出されていた。柾至と二人で日本に帰ってからの数年間は、三人で良く遊びに行っていたこと、突然倒れたときのショックと悲しみ・・・。(Diary133) そういう状況であっても、宇宙はポジティブなサインを示し続けていた。この状態こそが、最善であるのだと。あの時に辛さを十分に感じて、ここまで来た。この2年半の間、身体は麻痺で動けなくても、時間を掛けて、この世での責任を果たしてきた父。その間、私はただ光を送りながら、見守るしかなかったけれど、そうして私も消化しながら、受け入れる準備をしていたのだと思う。 最後の一年で、今の病院に移ったとき、ここがその場所になることもわかってきていた。荷物を受け取ったとき、その中に誕生日やクリスマスなどの行事の度に、可愛い飾り物やメッセージを添えていてくれていたと知り、改めて感謝した。
 人は、いつかは必ずその日を迎える。父も、もっとラクな人生を選べたのかもしれないけれど、それも父が自分で選んで決めてきたことだったのでしょう。そうして旅を終えたことを、今は満足してくれていると思いたい。遺骨の中に、「和」の儀式をしたものを一緒に入れた。光の世界で大好きな動物たちに囲まれて、楽しく過ごしていることを祈りながら・・・☆

 1月 4日
 元旦が明けてから、ふみさんから、この日にお祀りしたい神社があるとの電話があった。先月の15日に集まって話していたことが、早速年明けから始まることになった。朝、山田さんが迎えに来てくれて出発。最初の場所は、久山にある九州の伊勢と呼ばれる、伊野天照皇大神宮。
 元旦の日に、ふみさんがお参りに来たとき、ある偶然な出来事から、すぐ脇に五穀神社があることを知ったという。それも、下宮になっていたことがわかった。それで、改めてお参りしておいたほうが良いと感じ、この日に一緒に来ることに。山田さんと話しながら、向かっている途中では、すぐ目の前に「369」カーが走っていた。五十鈴橋のところには、二本の大きな旗が揚がっている。「五穀豊饒」「万民和楽」 

 五十鈴川沿いに歩いた先にあった。「水取り宮跡」にもなっていて、ご由緒によると・・・神功皇后の遠征の際に、皇后を守護した水を掌る神々を祀るために創建されていた。また毎年水取宮の祭日に限って、朝四つ時から昼七つ時の間、井戸が枯れて水が一滴もなくなり、暮六つ時になると、清水が湧き出て井戸に満ち溢れたという。(!)
 
   

 五穀神社としては、伊勢の外宮と同じ、豊受大御神さまが祀られていた。お二人の女神さまに由来しているからか、入ったときから女性らしい気で満ちているのが感じられた。鮮やかな赤い実がたわわに実り、色艶の良い葉が茂っている。その後ろにはビワの木もあり、まさに「五穀豊穣」そのものに。
 
   

 山田さんが用意していたオメガWを周囲に撒いて、お神酒と塩を捧げた。それから、「和」の儀式を始めた。その時に、私たちもそれぞれの思いを入れて、「和」の中に入り、火をくべて祈りを捧げた。柔らかい風が吹いてきて、祈りが通じたことを知らせてくれた。
 この日は、80%の降水確率だったらしい。それがこの時には雲ひとつない青空で、風も全く吹いていなかった。見守るように、私たちの真後ろには太陽が位置して、暖かい光を注いでくれていた。

   

 ふみさんは、元旦の日に宮司さまたち御一行が、ここに入られるのを偶然目にして知ったとのこと。これまで幾度となく来ていたのに、全く気付かなかったのが不思議と言われていた。確かに何のサインも見当たらないのでわかりにくい。反対側の橋の入り口に戻ったところに、「五穀神 下宮 参道入り口」と記されていたものの、車で来ると気付く人はほとんどいないように思えた。これまでは、お篭りになられていたようだけれど、ようやく表に出る時が来たのでしょうね。そのために、ふみさんが呼ばれ、この日にお祀りさせて頂いたのですね。・・・ 正式には、この下宮からお参りして、本宮に入られたほうが良いようです。

   

 改めて、五十鈴の橋を渡り本宮へ。去年の6月に初めてお参りして以来になる。(Diary177) あの時よりも、滝の水の勢いが強くなったみたい。狛犬ちゃんは、相変わらずパワフルに送ってくる。(ビンビン) 一通りお参りしてから、古神殿跡地へ。ここで同じく、お清めをしてから「和」の儀式を。山田さんが結界を張って、準備をしてくれた。終わった後、ふと空を見上げたら、真上に番の鳥さんが仲良く飛んでいた。「和合」の象徴として。(^^) そして、飛行機雲が真っ直ぐに走った。(パチパチ)

   

 降りようとした頃には、スーツ姿で仕事始めの参拝者たちが次々に来ていた。少し温まろうと、お焚き上げの火に手をかざしていたら、炎がどんどん強くなっていた。「この炎のように、内なる火を燃やして行きなさい。」  ・・・・・ もう一匹の狛犬ちゃんの目が、光ってみえていた。

   

 駐車場に戻ると、「333」が目に飛び込んだ。続いて、すぐ先にある「白山の宮 白山神社」へ。ここは前回、最初に訪れていた。あの時も、お空の変化で感じていたけれど、ふみさんによると、いつも風を吹かせて知らせてくれるのだとか。入ったときから、拝殿前の小さな二匹の狛犬さんが気になっていた。今にも動き出しそう〜と思っていたら、拝殿を走り回るような音だけが響いたことがあると聞いて納得。(よしよし^^)
 ここでは、くくりをするために逆周りで回ることに。それから「和」の儀式。 終わったら、風が吹いてきた。

   

 次に久留米へ向かい、まずはランチタイム。入ったのは、「立花うどん」さん。駐車場もいっぱいで、店内はぎっしり。随分前にも、連れて来てもらったことがある。かなり有名なお店ということで。著名人のサインや写真も多い。列を譲ってくれる人がいて、すぐに入れた。お正月限定の「縁起うどん」。大きな南高梅の梅干しも入っていて温まった。

 久留米にも五穀神社があると聞いて、行ってみることに。まるで公園のような境内。広い敷地だけれど、ガランとした感じ。ここには、五本が一体になった木があった。(!) これはかなり珍しい。「五穀」を象徴しているみたい。

   

 そして「水天宮」へ。久留米が全国の総本宮になっていた。(ほ〜っ) 御祭神は、妙見神社でも祀られている天御中主神さま。・・・ いつもお世話になっています。ここにも、大きな昇り旗が立っていた。「天下和平」 ・・・ 「和」の文字が続く。 狛犬は、背筋をピンと伸ばして風格がある。& 筋肉質でスタイルの良いイケメンちゃん。(^^) 

 すぐ横には、筑後川が流れていて屋形船もある。裏の摂社では、また一風変わって愛嬌のある 狛犬ちゃんが目についた。(撫で撫で。^^) ここで、小さな雨の雫がポツポツ落ち始めた。今日は、これで締めて良いみたい。  帰りには、「444」が前を走っていた。 「形に霊あり かたち成す 無から生じは 精進なり」(数霊より)

   

 家に帰り着いてから、本格的な雨になった。急に決まったことだったけれど、みんなで何とか出来ることはやれたと思う。年が明けてから、「和」のZさんに、カナダの奉納と儀式の報告をしたところ、背後の存在(神々)からの言葉も頂いた。 また、女性で「和」の奉納と儀式を許されたのは、初めてだったということも。(!) それも、ある神さまからの指示があったということだった。 その神さまは、最初にZさんに「和龍」を描かせた存在で、私にも縁が深い神さまのお一人だった。(地球を含むすべての星々の総称であり、火であり、満象調和の神力体) そんなこととは露しらず、日向・高千穂では、誰に言われるより前に、内側から湧き上がるものがあって、私なりの方法で「和」の儀式をしていた。 カナダへ行くと決めたときも、そのつもりでいた。

 今回もまた、終わってから伝えられることになったけれど、それで良かったということで何よりだった。正式にというか、直々に言葉も頂いたので、これからも遠慮なく、出来ることをやらせて頂こうと思う。(^^) 自分よがりになったり、ただの自己満足で終わらないように、常に神々さまと内なる神(ハイアーセルフ)に確認しながら・・・。 そうでないと Zさん曰く、形だけでしたとしても、「和龍」の真の力が発動しないということなので。
 
 1月 5日
 今日は、柾至の誕生日。一足先に、カナダで一緒にお祝いさせてもらったので、この日は柾至に教えてもらった、お薦めのスタバのお店でゆっくり。そこはTSUTAYAと一緒になっていて、最新の本を読みながら、お茶出来るようになっていた。それも、週に一回ほど用事を済ませている場所のすぐ近く。これまでガルーダちゃんを停めるところがなくて、いつも困っていたけれど、このお店には専用駐車場があったのだ。そのおかげで、今度から安心して停められる。(^^)
 この日に初利用してみたところ、人気のお店だけあって一杯だったけれど、ちょうど2階の窓際のコーナーの席が空いて座れた。ベストスポットだ〜! 目に留まった本からは、たくさんのインスピレーションやメッセージも受け取った。ソイラッテに、ブルーベリータルトを頂きながら、とても良い時間が過ごせた。・・・ あの時、シンボルのマーメイドちゃんが、にっこり微笑んだのはこのことだったのね。(カナダ編 Page 3) マーメイドはシリウス時代に繋がっていて、今生でのインナーチャイルド(メリッサ)ちゃんでもあったから。(うふふ)   子供の誕生日というのは、生み育てた母親への祝福(&ねぎらい)の日でもあるのです。 今年も、満たされた時間を過ごさせて頂いて、ありがとうございました☆

 この翌日、三人でスカイプをした。映像を見ながら、無料で会話出来るなんて、スカイプって本当に素晴らしい。(^^) 誕生日の夜は、友達に祝ってもらったみたい。しばらく話した後で、父のことを伝えた。カナダにいるときに、状況は伝えておいたものの、かなりのショックを受けていた。しばらく絶句したまま、うなだれていた。・・・ そして時間が経って、ようやく出た言葉は「お母さんも、一人で大変だったね。」だった。彼にとって、身近な人がこの世を去って逝くというのは、父が初めてだったはず。わかった時点で、すぐに話すことも出来たけれど、私も顔をみて、ちゃんと伝えようと思っていたから。それまでに、私の中でちゃんと受け入れて消化してから・・・。そうでないと、彼の悲しみを受け止めてあげることが出来ないと思ったから。 おかげで、この時には落ち着いた状態で、その意味も伝えることが出来た。それによって、彼も理解出来たようです。

 Y氏からは、最期の瞬間に会わなくて良かったのだと言われた。もしその場にいたら、引き止める形になって、結果として最善の状態で還るはずのタイミングがズレてしまうことがあるからと・・・。そう伝えられて、納得することもあった。わかっていても、いざその場にいたら、自分の思いで引き止めてしまっていたかもしれない。だから、11月のあの日に最期の別れをしていたのですね。そして、冬至の日の夢の中で。 その後も、まだ時々夢の中に出てくる。若く元気な姿として。でもそこには、悲しみとか未練というものはない。あの世で、元気に過ごしているというメッセージとして。・・・

 その後、身体に変調が現われ、身体の中で新しい経絡を開いていると言われ、それが二日ほど集中して起こった。(ふ〜っ) 同じときに、奈良の玉置神社から、新しい御札とお守りが届いた。そこに「国常立尊」さまのの名前が入っていて、ようやく気付くことも。7年以上も前(2002年)から神縁を頂いていたことを思い出した。(奈良伊勢編 Page 4) そうでした、玉置山は「蘇生」の出発点になっていたのですね。そして去年、瀬織津姫さまと一体になられたことが、私の中で繋がってきた。(Diary186

 久しぶりにDVDを借りて「ベンジャミン・バトン」を観た。思っていた以上に、深いメッセージのある映画だった。その中で、幾つかシンクロする内容があった。エドガーケイシーの名前も出てきたり、数字の「8」の意味も説明されていた。(!) カナダでも、友達と「8」ナンバーについて話していたし、同じタイミングでZさんからも、「8」についてのメールが届いていた。
 それによると・・・ かつては六角形で結界を作っていたところ、より強固にするために、これからは八角形の中心に納めないといけなくなった。日本は、八柱の神に八方を守られ、八角形は日本の原点になっているためで、ユダヤ(ダビデのマーク)から、日本に帰ってきたという意味でもある。・・・
 同じく7年前の2002年から、八神殿の神々を祀るようになり、本来であれば神々が挙げる祝詞を、毎日奉上するようになっていた。(Diary 20) あの頃は、まだその意味の深さまで理解していなかったと思う。 それでも、縁が繋がって差し出されたことを信頼して、ただ淡々と祈り続けていた。それもここに来て、私の中で繋がってきている。 いろいろなことが、今になって一つの形になってきているのを感じた。

 1月 10日
 今年も、十日恵比寿神社の大祭に行くことにした。大黒天さまと恵比寿さまには、日頃からお世話になっているので、新年の御挨拶も兼ねて。今年も連休とあって、去年以上に凄い人出で長蛇の列。10月10日にも、ゆっくり参拝させて頂いているので、参拝列には並ばずに福みくじのほうへ。

   

 こちらも境内内で、列になっていた。去年は御神酒が当たったけれど(Diary168)、今年はどうだろう、また何か当たればうれしいけど。 なんて思いながら、入ったときから、あるイメージだけは浮かんでいた。 すると・・・大当たり〜!の声も高らかに、「宝船」が当たった〜!! その浮かんでいたイメージというのが、「宝船」だったので、またまた驚き。 本当に当たっちゃうなんて、うれしいなあ〜♪
 七福神グッズは、他にもいろいろあるのだけれど、私の中での「宝船」は、古代エジプトの「太陽の船」と繋がっていて、それは去年の「999」の日に関係していた。(レポート待っててね〜) また、心に思っていることが、そのまま恵比寿さま(事代主大神)と、大黒天さま(大国主大神)たちに通じていることも感じて、さらにうれしかった。
 ここに向かう途中では、「81(光)」の数字が飛び込んでいた。参道から大きな通りに出たところでは、「33」のイシスナンバー。続いて「777」。るんるん気分でお家に着いてから、玄関に置くことにした。手頃な大きさで、スペースにもピッタリ。・・・ そのすぐ後ろには、待っていたかのように、七福神のカエルさんも。(^^)
 すると、ヴィーナスメンバーでもあるYokoちゃんや、くにちゃんも大当たりしていたことが後でわかった。おめでとう〜♪(ブログにて) またそこからも、光の波動として拡がっていくことでしょうね〜☆ 

   
 
 1月 11日
 現世においては、宝をいっぱいに積んだ豊かさの象徴である宝の船であり、霊界(神の世界)とを繋ぐ太陽の船。その船が、とうとう目の前に降臨してきた。(!) それは、翌日の「111」のゲートに繋がっていた。今年は何のゲートを開くのかと思っていたのが、ここではっきりと示された。(ワクワク) それは年明けから、いえその前の冬至を迎えた後から感じていたことと、同じだった。

 夜は、録画していた「龍馬伝」の初回放送を観た。オープニングから、龍がグルグルしながら飛んできている。可愛い子供時代から、すでにウルウル。大人になった龍馬ちゃんの姿は、この世に再び戻ってきたように感じられて、胸がじ〜ん。「おかえりなさ〜い。^^」 日本の、世界の、地球の「復活・再生」のために・・・。
 
 このタイミングで、翌日にはZさんからの報告。ある方を通して、破滅寸前だった地球が30%復活したというメッセージが届いたという。それも、多くの方たちの働きと思いが一つになったからでしょうね。でも、まだここからが始まり。次の30%に向けて、私も微力ながら、出来ることは何でもしていきたいと思う。

 12月の後半から今月に掛けて、人間関係においても「復活・再生」になることが続いている。それまで、しばらくご無沙汰していた人たちと、また別の形で繋がるようになった。 「復活・再生」の道へと、大きく前進していく時がきた。 それも、今までの限界を超えられるように、今年はこれまで以上に最善を尽くしていきましょう〜☆