[Diary 185]


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                                                   VOL.186

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 2009年 10月  (後編)                  
 10月15日
 この日の龍神さまの神事は、しばらくご無沙汰していた人たちも集まって、「復活・再生」の波が来ているのを感じていた。その時に見せて頂いた、諏訪神社のおくんち祭りの写真は衝撃的だった。龍踊りは、7年前のランタン祭りのときに観たことがあり、それも素晴らしかったけれど(Diary15)、白龍の龍踊りがあったなんて・・・。
 それも、見た瞬間に女性・・・女龍と思えた。清らかで神々しい光を放ちながら、金色のオーラで輝き、それはそれは美しい姿。(龍のヴィーナスバージョン♪) 写真だけでも、魂が入っているのがわかるくらいだから、目の前で見たら大変だったかも。(^^; 手に取って眺めているだけで、うるうる来て、体が熱くなっていた。 ・・・ 今でも、この写真を見るとドキドキしちゃいます。
 他にも、二体の龍がいた。その内の一体は、カメラ目線ということもあって、じ〜っと見つめられているような感じに。(写真右の左端) それが、凛々しくてイケメンな男龍なので、また惚れ惚れと眺めちゃったり。(笑) 後の一体は、もしかして二体の子供なのかな。 その姿にも、三位一体を感じていた。

   

 また今年は、七福神も登場されたとか。(!) 7年に一度になっているのに、それが今年になっていたとは、また素晴らしい。「999」に宝船で降臨されたことを、ここでも示してくれたのでしょうね。
 それに、「くんち」という名称は、旧暦の重陽の節句にあたる9月9日の「くにち・・・九州北部の方言で”くんち”」に行なったことに由来しているらしいから。(めでたい、めでたい)

 その9月の終わりに諏訪神社でお参りした時に、ちょうど舞台を設置しているところだった。その時には、お祭りのことまで知らなかったけれど、そうして事前に呼んで頂いていたのだなと思い、うれしかった。それに、あの時は大黒さまや、恵比寿さまにも御挨拶していたしね♪ (長崎編 Page2
 この前の日には、ペルーの旅の準備をしている夢を見ていた。(ふふふ) 

 神事と直会が終わってから、瀬織津姫さまの糸結びの報告も兼ねて、周船寺のOさんのところへ。最初に手短に報告をした後、すぐに御神託が始まり、初めての時と同じくらいに長々と書かれていた。その一部を要約すると・・・。(実際に書かれているのは、もっと古い言葉使いになっています。)

 「さて、私(わし)がいえる立場でもないけれど、瀬織津姫様と国常立の大神様は、再び一つの神として合体されて、天界中心の大極に座っておられる。・・・ 究極の神は、始源の神といって、陽でも陰でもなく、男女と分けられるものでもなく、今まで訳あって、人でいえば男性女性の立場をとって働いておられたけれど、全ての始まりの元に戻られたということ。
 それによって、早く滅びるはずの地球の危機が、一つ逃れたと思われて良いこととなった。これは、ここまでの過程において、数えられない神々の魂と、人類の魂の力が一つに重なってのこと。それは、特異な霊能者や千万人の団体でも出来ることではなく、天地人と俗にいうように、全ての時が重なり合ったという方が正しい。始源の神は、日本とか中国とかエジプトとか、人類が分かれた国で守られる個人神でなく、地球の神であるゆえに、それぞれの土地に飛んで、天の魂の祀りをしている。

 ・・・・ 人間には、特殊な能力や知力を持った人など様々いるけれど、それも神が創られた子として、古代よりそれらの人間が発見した7つのチャクラとか、ピラミッドの形に入れば、精神が統一して変化を起こすとか、いま与えておられる香油でも、その成分によって人間の生命体や細胞が機能を蘇らせるとか、美に良いとかというようなことは、数千年も前から、それぞれの国で創られてきたものの一つである。
 人間が、魂の浄化とか、目的に辿り着く為の補助するものの一つとして、魂の歴史の中に深く刻まれた記憶の一部が、いま甦っておられると思って良いだろう。それに対して、自分の思いや信念を持ってして行けば良いのだろう。それも、神から与えられた自由であるから。 そのために、異国に同じ志の家族のような仲間と遭遇したりするのも、何も不思議なことではない。・・・」

 付け加えられた説明として・・・、始まりの神(=創造神)というのは、何の違いや差もなく、御本体というのは一つ。ただその国によって、個性や表現の違いがあったり、民族の神もあったりする。また一つの神が分かれたり、戻ったりもするということ。
 そこで7年ぐらい前に、あなたが直接繋がっているのは創造神であることを思い出すようにと伝えられたことが浮かんだ。 その時に、昔からどの国の宗教も神々も、自然と受け入れることが出来ていたのは、その為だったと気付いたのだった。それも、過去生において、それぞれの国で学び、体験していたからだと思える。それらを、いま自分の中で一つに統合しようとしているのでしょうね。その一つが、ヴィーナスの香油で、ヴィーナスプロジェクトという形になったということで、その元は、遠い魂の記憶の中から引き出してきたもの。
 またそれも、宇宙全体からみたら、目的に到達するための一つの方法に過ぎない。私には、絵を描いたりとか、音楽や踊りで表現したりというような特殊な才能がないので、自分に出来ることの一つとして、やって行くしかないのですね。それも、信念を持ってすれば良いということで。 また今回のエジプトの旅で、新たな魂の家族と出会うことなったのも、その目的のためだったということ。
 
 出発する前に、瀬織津姫さまと国常立命さまが目覚められたことを知ったけれど(Diary180)、そこから一体になられたのも喜ばしいことだった。この間に多くの方たちが、それぞれに働かれたことと、神々が一つになったことで為し得たことのようですね。それは、ある特定の霊能者や、大きな宗教団体でも出来ることではないということ。例え一人の力は小さくても、その力が集まって、神々と一体になって動けば、地球も蘇生されていく。二神の融合は、そのことを示して下さっているのでしょうね。これからの未来に、希望を持つことが出来て何よりでした。
 この中で出てきた「天地人」は、今年のRAINBOW TOUR にも、テーマの中で出てきた。(エジプト編 Page 19) 「天に感謝し、地に感謝し、すべての人々を愛す」 そうして、天と地の繋がりをもたらす「天地人」の一人であるように・・・。

 Oさんは、この間に小戸の妙見神社にも行かれていた。その時に、イザナギ・イザナミの命さまが合体された「天御中主大神」と、アマテラスさまとスサノオさまの誓約で生まれた神である「五十猛命 」と、青龍王神がいらっしゃるのを感じたとのこと。神々というのは、常に社にいるというわけではなく、昇ったり下ったりしているものだから、この社は多くの神々が降りてくる、一つの拠点になっていると言われていた。 やはり、そうなのですね。毎月の神事に、必然的に参加するような流れになっていたのも納得なのでした☆

 その二日後の17日は、志賀島に行くことになった。それも、15日の妙見でお誘いを受けたからだった。・・・ 神事に来ているときに出てくる話には、いつも何らかの意味があるのです〜。
 郷土歴史研究の会という内容だったけれど、志賀海神社の名前が出ていたことと、会場が志賀島の休暇村センターだったことからで、ある神道家の方が金星の使者を呼んで、交流をしていたことを思い出したから。(!) ・・・ それは8年前のことで、7月・11月と2回続けて参加していた。(Diary 12 & Diary 13
 それで、金星が何かを伝えようとしている、呼んでいるように感じて、その時に一緒に参加していたMihoちゃんを誘って行ってみることにした。

 Kさんの車で出発し、向かう道では2台続けて「41」のシングルナンバーが出てきたり、神社の手前では「222」が前を走っていたり。海に沈む、美しい夕日も眺めていた。
 鳥居の前に来たところで、妙見神社に良く来られている人とバッタリ会うということも。入る前に、お砂で清めるようになっていた。お参りするのは、8年振り。それもあの時は、まだ薄暗い夜明け前だったから、周囲の景色までわからなかった。 山の神であり、生まれ故郷に総本社がある大山祇神社もあり、参道の両側に覆い被さるような、大きなねじねじの木もあった。その木には、どこか女性らしさを感じた。

   

 主祭神は、綿津見三神。社殿の脇には、海に面した遥拝所もあり、夫婦岩のような石も。

   

 本殿で御挨拶してから、裏のほうに回ってみると、幾つかある分社の中に、大神宮社(伊勢神宮)があった。その前に立ったとき、急に風が吹いてきた。上からは、葉っぱや木の実がバサバサっと落ちてきた。(!)  
 この神社は、「龍の都」「海神の総本社」と呼ばれていて、御神木の周りには、海から見つかったという珍しい形の石も。古式神事は県指定の無形文化財にもなっていた。また最近になって、瀬織津姫さまと縁のある神社だという話も入っていた。・・・ ちなみに、この志賀島では、国宝になった金印が発見されている。
 お参りを終えて出ようとしたら、空には海の神と思える姿が出ていた。(写真右 お顔が左を向いている。)

   

 そこから移動して会場へ。私たちは、懇親会だけ参加するようにしていた。途中から、市長も参加していた。Kさんから、志賀海神社の宮司さんや、宮司さんの妹さんも紹介して頂いた。今回の会は、長野県との交流もあり、最後は信州生わさびのプレゼント抽選に。まずMihoちゃんが「81」ナンバーで当たり、続いてKさんも当たって私にプレゼントしてくれた後で、私も当たっちゃったりして、結局生わさびとわさび漬けの二つ頂くことになったり。(えへへ♪) 

 誘ってくれた山田さんが遅くなってしまい、待っている間に二人で例の場所へ行ってみることに。真っ暗で海風が吹いていた。確かあの辺りだったよね〜と眺めながら、携帯で写真を撮ろうとしたら・・・! シャッターを押そうとしたところで、動かなくなってしまった。電源を切ろうとしてもダメで、そのままの画面で全く動かない状態に。まだ買い換えたばかりだし、今まで起こったことがないことだった。・・・ その日はずっとそのままだったけれど、翌日になって開いてみたら、普通に動くようになっていたのでした。(ちゃんちゃん)
 前回に起こっていたことからも、何かあってもおかしくはないことでした。先日の満月(天の宴)に続いて、翌日の新月を迎える前に、金星のサポートが来ていることを知らせてくれたようです☆

 この頃は、イタリア編のレポートにも没頭していて、「ヴィーナスの誕生」やバチカン市国での素晴らしい芸術作品を通して、神々の存在を感じていた。(Page 22) すると、何も知らないで録画していた映画(エバーアフター)に、ダヴィンチが登場していて、「ミケランジェロは、天井画を描いていて忙しい。」なんて台詞が出てきて、どひゃあ〜!なんてことも。(笑)

 24日と25日には、日向から高千穂へ。これは長崎の旅からの流れで、龍踊りの写真を妙見で見たときに、天翔獅子のことも浮かんでいた。その女龍と金獅子が、私の中で重なり、どうしても行かなければと思ったのでした。それが、和龍のお祀りをすることになり、その目的だったということもわかったり。(日向 高千穂2009) その時に、直感的に創っていた和龍のトリニティカードが役立つことになり、9月のエジプト(ピラミッド)でのトリニティ(三位一体)から繋がっていたことを確認することに。

   

 二日間とはいえ、振り返ってみれば、私にとっても意味のある深い旅で、そのためにレポートに何日も掛かることになっていた。八大龍王さまや、一体になられた瀬織津姫さまと国常立命さまの存在や導きも感じられ、「復活・再生」の道へと大きく歩んでいく時が来たことを実感した。また、龍神さまが言われていた、神々や多くの人たちの働き(社のの手入れをして下さっている方たちから、心を込めて食やサービスを提供して下さっている方たちまで)によって、全ての時が一つに重なったということ。そうして旅を通して、いろいろな人と出会いながら、自分の目でみて、肌で感じて行くことの大切さも。じっとして、ただ情報を受け取ったり、思っているだけでは、自分の周りを変えて行くことは出来ない。小さなことでも実際にやって行けば、ある時に積み重なって一つの形になっていく。・・・

   

 このDiaryを書いているときに出てきたページに、「和合」や「信念」、神示を受け取ったときのことについて、伝えられていたことを見つけ、その意味を改めて確認することにもなった。(Diary 12 8月17日分・・・日向のことも。) 「できることだから、させている。」 そうでした、どんなことでも示されたことには、勇気を出して行動に移すべきで、簡単に出来ることばかりしていたのでは、進化は出来ないのですね。

 10月28日
 九州支局に半田代表が来られて、交流会が行われていた。入ったときには、たくさんの人が集まっていて、熱気ムンムンになっていた。その中で、STSの科学は「愛の科学」という言葉があった。ある時に、この科学は「光の科学」だと感じたことがあった。合わせると、「LIGHT & LOVE」ですね〜♪(ふふふ) 愛と光で創られ、愛と光で伝えて行く。その情報とエネルギーが、地球を蘇生させていく。

 途中から、くにちゃんもやってきた。HWやオメガWで作った、プチトマトや枝豆、新米のおにぎりにケーキなどの試食もいっぱい。どれも食べると幸せな気持ちになり、心も体も満たされる♪ 神の世界と同じように、見えない世界を形として具現化して行くことで伝わっていく。
 この日は、再び「差別化と区別化」の話も出てきていた。年明け頃にも聞いていて、道がはっきりと分かれるという二極化が、さらに進んでいることを感じていた。あれから周りの動きでも、そのことを実感することが起こっていた。私たちの自由意志による「選択と決断」によって、宇宙も「差別化と区別化」をはっきりとするようになっている。それに応じて、必然的に私たち自身も、「差別化と区別化」をしないといけなくなった。 「求めよ、さらば与えられん。」と「来るもの拒まず、去るものは追わず。」は同じ意味なのですね。誰にでも平等にチャンスや機会は与えられているけれど、それに対して、どう受け入れて行動するか、その「選択と決断」によって、さらに道が分かれてくる。そのための道を用意したり、機会を提供することは出来ても、自らが求めて来ない限り、こちらから追いかけてまで、手を差し出すことが出来なくなっているということ。・・・ 次の段階として示された、ヴィーナスプロジェクトを進化させる準備をしていた時だったので、そのことをより感じさせられていた。

 そうして今年の「天の月」が締めくくられ、「111」の新しい世界の扉を開くときへ・・・☆