[Diary 170]


Diary 
                                                                                      

                                                    VOL.171

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 2009年 3月                    
 3月 1日
 今日は、柾至の卒業式。朝から青空が広がって、気持ち良く晴れていた。館内での式典が終わってから、各教室での最後のホームルーム。そこで、担任の先生から、一人ひとりに卒業証書が渡された。それぞれに、先生からの言葉が伝えられながら・・・。


 一年の時からお世話になっていた主任のR先生や、国語の先生、英語の二人の海外からの先生たちからも、温かいメッセージがあった。R先生は、バンドやDJもしていたので、柾至の友達のバンドのサポートなどもしてくれていて、一緒にライブに参加したりと、友達のような感覚でお世話になっていた。(最近は、オバマ氏に似ているとの評判。^^)
 国語の先生からは、全員に本が一冊ずつプレゼントされた。それも、生徒一人ひとりに合わせた本を選び、メッセージまで書かれていた。

 私たち両親には、先生たちから花まで用意されていて、子供たちを通して渡してもらったり。 突然の名指しで生徒代表のスピーチを求められた、柾至のバディでもあるTくん。お母さんへの感謝の言葉を、涙ながらに伝えている姿に、全員がもらい泣きした。・・・・


 ある女子生徒からは、手作りの文集が配られたり。 新しく入っていた海外からの先生たちとも、最後に仲良く写真を撮ったり。(ドレッドヘアなり。^^)


 その姿をみて、この三年間本当に楽しい学園生活を過ごせたのだなと感じて、私もうれしかった。この学校に決めたのは、2005年のペルーの旅から帰った後だった。ギリギリの大どんでん返しでの進路変更だったけれど、その流れと導きを信頼した。(Diary101)・・・改めて読んでみて、当時のドラマチックな展開を思い出し、また期待以上の結果になったことに感謝です。
 そして、数日違いで生まれて、産後数ヵ月後に対面していたレイくんが同じクラスに入っていて、大親友になったことなどで、ここに住んだことも、この学校に入ることも、最初から決まっていたことがわかった。


 担任のM先生は、入学前の面談から始まって、英語の授業でずっとお世話になり、3年生になって担任になった。その先生の話からも、またわかることが・・・。

 最後に渡された先生の手紙から、

 「柾至、卒業本当におめでとう。チャレンジ賞受賞おめでとう。そして、TOEFL88点、UBC要求スコアクリア、本当におめでとう。入学以来そして特に今年度の柾至の真摯な、そして懸命な努力が実りましたね。高校の横を小学校に向かって毎朝野球坊をかぶって、元気に登校していたあの少年が、身も心もこれほど大きく成長して、高校を卒業するとは、まさに光陰矢の如しというのが実感です。
 ・・・・今年度だけでも、担任として柾至に接してみて、人間的な魅力や成長、そして柾至の純粋な心が見てとれました。一学期に、柾至が精神的にかなりまいっているときは、本当に心配しました。しかしながら、そこでも柾至は逞しく困難を乗り越え、復活しましたね。あの時、柾至にどんなことが起きていたのか分かりませんが、柾至があれだけ思い悩むということは、相当に辛いことだったに違いありません。しかしながら、今の柾至を考えると、そんな出来事を糧にして、一回りも二回りも成長したように思えます。柾至にとってもあの時の経験が今の自分にプラスになっていることを願っています。また、学習面でも常に模範となる生徒でした、結果も素晴らしいですが、それ以上に感心したのが、どんなときでも常に全力を尽くす姿勢です。簡単にできることではありません。この姿勢で事に臨めば、今後もほとんどの目標は達成可能です。是非、これまで同様、そしてこの気持ちをさらに昇華させ、魅力ある大人になって欲しいと思います。そんな柾至に会えるのを楽しみにしています。・・・EXCELLENT!!! 本当に良く頑張った!!! 柾至!!! この調子だ!!!

 
 ・・・そうなのです。カナダから帰国して、通い始めた小学校への通学路で、この高校のすぐ横を通っていた。その時に、M先生は毎朝のように柾至の姿を見ていたというのです。(!) 顔立ちからハーフというのはわかったので、もしかしたらこの高校に入るかもしれないなと思いながら、いつも彼の姿を眺めていたと・・・。直接言葉を掛けたこともなかったのだけれど、そのことを思い出して気付いたのは、入学して半年後(当時からは7年後)ぐらいだったそうです。
 この卒業する日になって、その話を聞いて私の胸も震えた。そして、宇宙の導きに改めて感謝した。

 何のあてもない状態で、彼を連れて帰国した10年前。部屋の中には、スーツケースの荷物と先に送っていたダンボールの荷物、それに一組の布団だけだった。それでも、多くの存在から見守られていた。初めてのペルーの旅以降は、彼を一人で家に残して行く事も多かった。一番多感な時期に、40日間入院したときも、彼は家で一人だった。それでも、私のことを理解して、強さと優しさを内に秘めた青年へと育ってくれた。
 予想外として私立に入ることになり、その間に両親の入院で負担が増えたことで、卒業させられるかどうか不安になったこともあったけれど、何とか乗り越えることも出来た。そうして、この10年間最後まで一人で育てて来れたことで、私自身も一つの達成感を感じている。もちろん親としての役割と責任は、これからも続いていくのだけれど、ここで大きな区切りを迎えたのだと。そして、先生から柾至を通して頂いた、ピンク色の花を受け取って、この日は母親としての卒業式でもあったのだと感じたのでした。
 この日は、その充足感も味わっていた。ここまで導いてくれたこと、支えてくれた多くの存在たちに、心から感謝しながら・・・。

 予定より遅くなったものの、そのまま妙見神社へ向かった。神事も直会も終わっている時間だったけれど、出発前なので挨拶だけはしておきたかった。誰もいないかと思いきや、お馴染みのメンバーや世話役さんたちが残っていたので、一緒にまったりとお茶することに。そこで、前田さんが海に入って採って来たという、ヒジキをたくさん頂いたり。これは海の恵みであると共に、旅立ち前の龍神さまからの贈り物だと感じて、出発まで毎日頂いて身体の準備に。

 翌日には、前田さんから電話があった。この日、いつもより私に元気がなかったと心配してくれていたとのこと。そういえば帰るときも、Aさんから持ち帰りを用意してもらって、「これ食べて元気出して!」と言われて、「!?」と思っていた。自分では、そんなつもりはなかったけれど、卒業式直後でちょっぴり感傷的になっていたので、そんな風に見えてしまったのかも。(^^; こうして、気に掛けて頂いていることも、また有難くうれしく感じた。

 この後から、ようやく自分の荷物の準備に取り掛かり始めた。3日前に、両替と買い物をして、「天照」さんで一息つきながらランチして、持ち帰りした滋養強壮の薬膳スープで充電も。・・・私がリクエストした雑炊は、「天照雑炊」として新メニューになっていました。(^^)

 前日ギリギリまで準備しながら、「ブラザーサン・シスタームーン」を久し振りに観て、お正月特番のピラミッドの謎特集もチェック。そこで、今回ピラミッドに入る目的も見えた。(!) 柾至は、前日にも関わらず、卒業プロモを兼ねたライブがあったので夜遅くに帰って来た。
 そうして、何とか準備も間に合わせて、3月9日早朝に出発。行ってきま〜す☆

 3月28日
 は〜い、ただいま〜。(いきなりかい。笑) ローマからの便が遅れたものの、予定通りに乗り継ぎが出来て、まだ明るい内に日本に帰国。長いように思えた約3週間の旅も、終わってみると早かった。それほど充実した旅になっていた。有難いことに、気候も風土も違う土地なのに、一度も体調を崩すことなく、最後まで元気に過ごせた。それも、去年の旅から準備させられていたからなのでしょうね。おかげさまで、ローマを離れるときには、旅の目的も果たせた満足感でいっぱいだった。何のやり残したものもなく、全てやり尽くしたと・・・。

 そして翌日から、心地良いだるさを感じながら、少しずつ旅のかたづけをしていると、次第にまた切ない思いが湧きあがってきた。長い魂の旅を終えると、いつも感じてしまう。すでに懐かしく、終わったことがとても切ない・・・。ハートが締め付けられる。 ある意味で、私にとっては一番辛い時期でもある。 充実した旅であればあるほど、この思いが強くなってしまうから。
 同時に、二日後の30日の朝には、この旅に繋がることで、新しく始めることも見えてきた。でも、今はまだ良い。 あともう少しだけ、この切なさを感じていたいから・・・☆