[Diary160]


Diary 


                                                                                      

                                                    VOL.161

★詳しいレポートは、それぞれの日付からリンクさせた、
ブログのページにあります★

 2008年 9月 ダイジェスト (前編)                      
 9月 1日
 8月の最後の新月に 宮島 弥山に行って、ちょっぴりハラハラしながらも(笑)、何とか目的も果たせたので、一つ区切りが付いたのを実感し、今月の神事では、その完了の歓びを味わった。(イエイ!)

 昨日までとは違う、この日から、9月から何かが大きく変わる。私の中でも、その予感と、実際に大きく押し寄せてくる波のようなものを感じていた。・・・まず現実的なこととして、この日の夜には、政治界が動いた。(首相辞任表明として) 私は、いろいろ頂きものを受け取りました。(^^)

 9月 3日
 江原さんのスピリチュアルタイムで、最後に 「聖フランチェスコの祈り」が紹介されて、ちょっと驚いた。聖フランチェスコを意識し始めたのは、7年前の初めてのペルーの旅を終えた後からで(Diary13 12月10日分)、ある時に昔から縁があったことにも気付いた。私たちの一人ひとりが、この祈りの言葉を、もっと活かす時に来ているのでしょう。

 ペルーといえば、同じくこの日に、ペルーに住んでいる私のもう一人の息子・・・フォスターチャイルド(ジェイミー)のところから、ビーズのブレスレットが届いた。偶然にも(いえ必然に。^^)、柾至と同じ年だったけれど、この繋がりも7年前からスタートしていた。実際に会うことも、直接コミュニケーションを取ることも、この先ないのでしょうが、遠い空の下・・・地球の裏側で縁が繋がっていることに、意味があるのを感じるのでした。

 宮島レポートをアップさせるのに、思った以上の時間が掛かったけれど、その間にシンクロすることや、新しく発見して気付くことがたくさんあった。なかでも、エジプトとマチュピチュとの繋がりは、以前から感じていたことだったので鳥肌ものだった。
 ペルーとセドナ(南北)、ペルーとエジプト(陰陽)・・・この3つの聖地は、私の中では正三角形のピラミッドのようになっている。

 聖地と呼ばれるところは、表向きには観光地のようになっているところが多い。なので、観て周るだけでも面白い場所ではあるけれど、もしそれ以上の目的を持つのであれば、それに合わせた方法というか、マナーのようなものがある。
 いつ、誰と、どうやって、どの順番で周るかで、全く変わってくる。ある条件が整ったときに、起きて来る、作動するエネルギーというのがあるから。それは、聖地のパワー(神々の力)が強ければ強いほど、明らかになる。神々(宇宙)というのは、全てお見通し。それは、聖なる旅を繰り返す度に、実感させられている。

 9月11日
 糸島の散策。この地は、福岡でも中心となる大事な場所だけに、呼ばれて訪れるときは、その時に合わせた目的が出てくる。それも、実際に行ってからとか、帰った後にわかることがほとんど。今回もその通りで、菊理姫さまを通しての、「結びとくくり」だったことが判明。2月の福岡開闢と日之本開闢の結びから、私たち個人の結びも行われた。(糸島 結び編

 いつも背後で見守り、導いて下さっている観音さま。今回は、雷山の千手観音さまが手にしていたものに、目が止まった。それが、シヴァ神のトリシューラ(三叉戟)と似ていた。
 6年ぐらい前に、あるワークで私に授けられていると伝えられたもので、その後でシヴァ神が持っているものだとわかった。
 その時は、ただシヴァ神との繋がりを知るためのものだと思っていたけれど、この日お祈りをしている時に、これから使いなさいという言葉が、観音さまから響いてきた。それで改めて調べてみると・・・

 トリシューラとは、「3」と「槍」を意味する言葉が組み合わさった語で、3つに分かれた先端は、「欲望・愛・意思」「行動」「知恵」の力の象徴であること。ギリシャの海の神ポセイドンが持っているトライデントも同じ。

 でも、ここでわかったことは、戦いのために使うのではなく、モーゼが杖を使って泉を湧き出したり、道を開いたように、3つの力を持ってすれば、どんなことも可能であるという象徴にもなっているということ。それは言い換えれば、聖なる愛・聖なる力・聖なる知恵を持って行動するという意味でもある。そのことを、自らが体験して示して行きなさいと・・・。

 思わず再会した、曼荼羅のエンペラーちゃんも同じだった。出会ったのは、2002年のマヤの新年が明けた翌日で、シャスタに出発する直前だった。
 それから、その年の秋に、先生の絵を通して、如意輪観音さまとの出会いがあり(Diary21)、翌年の5月にようやく、私のところにエンペラーちゃんがやってきた。(Diary30
 続いて、高知での個展や(2003年高知編)、ペルーツアーの後でレインボーファミリーと集ったことも(Diary44)。・・・そういえば、あの時はレインボーのミミズさんが。(^^) 

 こうして振り返ってみると、あの時も凄い勢いで流れていた。あの頃のように、そのパワーと勢いを、今ここで復活させる。それも、もちろん同じエネルギーではない。よりパワーアップさせた、より進化させたものとして。
 菊理姫さまの「離れていたものを、再び一つに結ぶ」 、ここで一つに統合させて、新たなものを創り出していく。「再生と創造」ですね。

 糸島から帰って、改めてお部屋のエンペラーちゃん達を眺めていたら、また嬉しそうにピチピチと動き出したのを感じた。中でも、「色即是空 空即是色」と描かれたものから、気付いたこともあった。
 そして、その頃の私がそうだったように、「行動する勇気」と「無限の豊かさと繁栄」 に繋がることが必要な人たちに、そのエネルギーを伝えて行くことも。・・・早速、同行した三人には、その具体的な方法が示されました。v(^^)v

 9月13日
 8月で終わったと思っていたら、まだだった。(ははは) 31日の宮島から、身体は復活の道へと一歩一歩進み、この数日は内側からエネルギーが湧き出してくるような感覚がして、何かを始めたい気持ちにもなっていた。
 そこで、このワークの話が飛び込んできた。最初にその内容を聞いたときは、「そんな・・・私にはとんでもない。」と思い、さらっと流した。(笑) でも、そのすぐ後で、もしかして受けないといけないかも、いや受けるようになっている・・・、そのことに気付いてしまい、しばらく溜息。(はあ〜っ)
 焦らずじっくりと時間を掛けるつもりでいたけれど、今月はシフトアップの月だった。(あちゃ〜) ようやく、平坦な道も歩けるようになったとはいえ、まだ元のようには行かない。ただ、エネルギーがグルグル循環しているのは感じていた。・・・だからやるのよね。
 一つを完成させれば、次の扉が開かれる。そうして開いたからこそ、出し切ったからこそ、次に入ってくるものがある。新しい扉を目の前にして、じっと立ちすくんでいても仕方がない。・・・ここで映画マトリックスの台詞が浮かんできた。「我々が案内できるのは、この扉まで。」 そう、扉は自ら開いていくものだから。

 果たして、最後までやり遂げられるのかどうか。経験のないことだけに、想像もつかない。近づくに連れて、自信はないけれど、とにかくやるしかない。今だからこそ、やる意味がある・・・その思いだけになっていた。いつ終わるかもわからなかったので、前の日は早めに寝ようと思ったのに、興奮してか数時間ウトウトしたくらいで、明け方前にはしっかり目が覚めていた。でも前回のように、家を出る前に具合が悪くなることはなかった。もう覚悟だけは出来ていたみたい。(一歩前進。^^)

 その当日、3つのゲートを開いてから、この日がちょうど21日目になっていることに気付いた。(!) それで、この無謀とも思える選択に、間違いはなかったのだと知ることが出来た。長期戦になるのはわかっていたので、自分のペースでゆっくりスタート。時間制限はないものの、出来るなら早く終えたいという思いもあったので、最初の頃は時間が気になっていた。例によって、具体的な内容は書けないけれど、私にとっては全くトレーニングしていない状態で、いきなりホノルルマラソンに挑戦しているような感じだった。(マラソンじゃないよ。^^)
 
 まず約4時間で、3分の1が終わった。すでにこの時点で、Tシャツもパンツも汗でびっしょり。ここまででも、私には充分なチャレンジだった。・・・それまでは、その10分の1までしかしたことがなかったから。出来るなら、ここで終わりたかったけれど。(ははは)
 しばらく休憩してから、再びスタート。その時に、カセドラルロックが出てきた。それで、今のこの時点が、谷底アセンションの状態なのだと思った。そうね、時間的にもその位かも。今からは、その時の限界を超えていく。

 何とか半分まで来た頃から、一気に身体がキツくなってきた。足腰に力が入らない。私の身体は、すでに限界に達している。本当のチャレンジは、ここからだった。途中で何度も止まって休む。もう、ゆっくりしか出来ない。あまり時計も見なくなり、気が付いたら10時間が経っていた。・・・
 出来れば、その日の内に終わらせたいなんて思っていたけれど、そんな甘いものではなかった。(AM10時前スタート) あっというまに12時間も過ぎてしまった。休む時間が、どんどん長くなる。お腹も空いているのかどうか、わからない。リンゲル液を薄めた水だけは飲んでいたけれど、スタート時よりも飲む量が減ってきた。あとは、果物を少しずつ食べたくらい。

 あと6分の1になったところで、さらに大きな壁がきた。もう足腰に全然力が入らなくなった。一度座ったら、立ち上がることが出来ない。そのままうずくまることも、しばしば。もう、0時を過ぎている。それからも、休む時間のほうが長くなってしまった。そのままふっと意識がなくなって、眠りそうになったり。でも、最後までやり遂げたい気持ちは、残っている。それでも、身体のほうが動かない。 
 「心と身体を一つにする。」 気力があれば、身体は動く。それは、これまでも経験していたはずなのに・・・。そのこれまでの限界を、何倍も超えようとしている。そのために、まだ完全に回復していない状態で、やることになっていた。その上、前回もそうだったけれど、予定よりも早く3日前から生理にもなって、とことん細胞を目覚めさせて入れ替えるという感じに。

 そんなときに流れてきたのは、ジョシュグローバンの「Don’t Give Up」の曲。その歌詞の意味を、何度もかみ締めながら続けていた。そして、とうとう壁を乗り越える時が来た。マラソンでいえば、これが「ランナーズハイ(ある極限を超えると、脳内物質によって苦痛が軽減される。)」 かもしれないという状態になった。
 ・・・もっとも私の場合は、それが本当にゴールを目前にした、最後の最後だったけれど。(出来ればもっと早く、そうなりたかった。^^;)
 
 そうして、ついに達成することが出来た! 時計をみたら、5時を回ったところだった。やっぱり、日が昇る頃になったのね。実は、どこかでその予感もあって、周りの人には「24時間ワーク」に行ってくると話していた。(笑) 
 私の場合、むしろパワフルで元気な状態なときであれば、わざわざやろうとは思わなかったかもしれないし、まずこのような機会が与えられなかったのではと思う。過去を振り返ったら、ペルーやセドナでも、アセンションに繋がるときは、その時の限界を超えるために、いつも落とせるところまで落とした状態から始まっていたから。(ははは)

 そうして乗り越えた後の変化は、とてつもなく大きい。それを何度も体験&実感しているから、今回も魂の声に逆らうことが出来なかった。そう、何ものからも強制されたわけではない。全て、自分で選んでいる。途中で逃げても良いし、止めても良かった。全ては自由意志だから。それをしなかったのは、後で後悔するのがわかっていたし、同じ機会が二度と与えられないことと、それを取り戻すためのエネルギーのほうが、何倍も掛かるということも。

 そのため、プロセスには、時間も人一倍掛かることが多いけど、その代わりに終わった後の回復が早いということがある。(アヤワスカが典型的。^^) 今回もそうだった。日が昇り始めた頃に終わったので、まずゆっくりお風呂に入った。その後は、しばらく眠ろうと思って、横になったけれど、全く眠気がこないので、そのまま起きてしまった。確かに、身体は疲れているはずだけれど、頭のほうがスッキリしているので、ゆっくり家のことをして動いていた。数時間前まで、立ち上がることさえ大変だったのが、嘘のように。(^^)

 翌日の15日は、さすがに筋肉痛でガタガタだったけれど、それ以外の反応はなかった。その話を後で関係者に話したら、そういう人は初めてと言われた。(ははは) このワークは、全てのツボと脳幹を開くので、過去生からの浄化まで行われるとのことだった。 それが実際にどうなのかは別にしても、それぐらいの大きな変換が為されるという意味だと思っている。 何がどう変わったにせよ、最後までやり遂げるという、私の目的は達成された。そのことに満足している。それが私には何よりだった。(^^)

 ・・・そういえば、聖なる栄養との回路が、より開かれて強く繋がってくると、睡眠もあまり必要なくなってくるとあった。これまでも、何か内側で大きく変化しようと動いているときや、エネルギーが降り注いでいると感じているときは、眠れないことが良くあった。それも今思うと、聖なる栄養を受け取っていたからかも。(うふっ)
 それと、休憩中に充電をしておこうと、頭に手を置いていたとき、今までに感じたことがないほどの熱い、燃えるようなエネルギーが、手の先から全身に拡がってくるのも感じていた。(^^)
 わかりやすいといえば、パソコンもおかしくなっていた。同じパターンでエラーが出たときに、サービスセンターから解決法を教えてもらっていたけれど、何度やっても駄目だった。そのことから、あるメッセージに気付いた。そうしてしばらくしたら、いつのまにか自分で元の状態に戻ったのです。(!) エネルギーが変わったことも、その一つだったけれど、有り得ないことを起こして気付かせてくれる、宇宙の配慮にも感謝☆

 その夜は、妙見神社の観月祭。この流れの中だったので、お祝いのお祭りだ〜と感じて楽しんでいた♪ ほとんど断食状態だったので、お腹もペッタンコになっていて(ジーンズもブカブカで腰パン状態に。^^)、せっかくの御馳走も食べれるかなと思ったけれど、心配無用だった。この時を待っていたかのようにパクパク。(へへへ) その上、翌日のために、神さまの食べ物のお土産まで頂いたし。(&Kちゃん家からのお土産も。) 今は、聖なる栄養の回路も広がって、肉体と魂との繋がりが、より強くなったのを実感中。(イエイ!)
 
 満月のメッセージは、「この世に、光りと愛をもたらすために、怖れないで内に秘めたパワーを、もっと外へと表現していくこと。与えられる宇宙からのギフトは、両手を広げて受け取り、充分に味わい尽くすこと。」 
 ・・・まだ出し惜しみをしているということかしら。(^^; ならば、これからは遠慮なく。(笑)「受け取ること」というのも、先月から続いている。 「両手を広げて・・・」は、ハートをオープンにしてという意味もあるみたい。プレゼントに頂いたフクロウちゃんが、両羽を大きく広げているように。(うふふ)
 
 今年は、最後まで月の姿は観られなかったけれど、ブログに書いていたように、「自分たちが光りを照らす月になる。」という意識が、必要なのだと感じた。そのために、これからもアセンションを繰り返しながら、聖なる輝きを目指して行くのでしょうね。
 どんなに時間が掛かっても、それがどんなに不器用な生き方であっても・・・。ハチドリの物語のように、私は私の出来ることを一つ一つやっていきます☆