[Diary 15]



Diary 




                    Vol.16



5月 17日
 あれから、もう一ヶ月経っていますね。 
4月13日の夜は、Aikaさんのスペシャルコンサートでした。Aikaさんは、半田先生にとても感謝しているので、何か出来ることをしたいと言われ、福岡でもミニコンサートを開いて下さることになりました。たくさん招待したいところでしたが、一人一人の顔が見えるところでとの希望で、ミクロウエーブさんの場所ですることになりました。ちょうど、この日セッションに来ることになっていた、小倉のJunkoさん、八女のShinoさん、佐賀のAkemiさん、そして、M.SさんことSachikoさんに、Mihoちゃんなどなど。長崎からは、Iさんたち4名も駆けつけてくれました。
 ソルトクリスタルのランプだけが灯され、ディアロマの香りが漂う中に、クリスタルセラ(大気環境革命装置)が2台!(このタイミングに合わせたかのように、前日に届いたばかり) 半田先生が言われている「音・色・香り」この3つが全て揃っていました。その完璧なセッティングの中で、堀田さんのオカリナ演奏からスタート。優しい音色に合わせて、光りが降りてきたのを感じました。Aikaさんは部屋の中に入った時に、天使がたくさん来ているのが見えたそうです。私たちはリラックスした姿勢で座り、眠くなったらそのまま横になれる状態。その目の前1mぐらいのところに立って唄ってくれています。瞑想タイムの時には、降り注いで来る光りのシャワーを全身で受け止めていました。その後で、Aikaさんが、いつも持ち歩いているというエンジェルカードを取り出しました。それは、私が数年前に天使と繋がった後で出会ったカード。その時、私は別のエンジェルカードを持っていたので、兄や友達にプレゼントとしてあげていたものでした。兄も毎日のように引いていて、何人かの人にプレゼントしています。金色に縁取られたエンジェルカードを、Aikaさんが一人一人に引かせてくれました。私が引いたのは「神秘」のカード。 メッセージは、”生命は神秘の宝庫です。その賜物に感謝して生きる時、その力は輝きを増して現実を彩ります。” いつ頃からか、今まで隠されていた、私の知らなかった宇宙の真理や生命の神秘に関わる叡智が、様々な媒体を通して情報として与えられたり、ある時はエネルギーと共に私の中に流れるようになりました。(これからもそのことに感謝し、受け止めていきます。) 周りのみんなで見せ合いっこしましたが、それぞれにピッタリのメッセージが出ていたようです。そのカードは、Aikaさんからみんなにプレゼントしてくれました。Aikaさんを通して、天使から頂いた贈り物にみんなも大喜び♪ (私も大切にします〜) 
 「アヴェマリア」では、あちらこちらで涙・涙・・・。「ハレルヤ」「ふるさと」を最後に全員で唄いました。そして、私はAikaさんに花束を渡すという、うれしいお役目までさせて頂き、感動の中で終わりました。(光栄です ^^) 天使やマリア様のエネルギーに包まれて、暖かくて幸せな時間でした。しばらくその余韻に浸っていると、「後ろを見て。」と山田さん。そう言われて振り返ってみても、何のことか良くわからないでいたら、「ちゃんと立ってから、良〜くみて!」と促されて立ち上がって見ると、何と半田先生がそこに! 「うわっ!」って感じで、目が点になってしまい、すぐさま前を向き直してしまいました。(笑) 「いつから来ていたんですか!」と思わず山田さんに詰め寄ってしまった私。来られたのは、ちょうどみんなが瞑想している時だったようです。すごいタイミングですね!(それも感じて入られたのでしょうが・・・) 入ってそのまま後ろの隅のほうにいたので、私たちは全く気づかなかったのです。(コンサートの邪魔をしないようにとの気遣いですね〜) しっかり、エンジェルカードも引かれていました。(笑) メッセージは、「優しさ」 (やっぱりね〜と、みんなで納得。) 
 終わってからも、みんなで座ってAikaさんや堀田さんにサインしてもらったり、一緒にお話したり・・・。Aikaさんは、「息子さんは今日は?」と、柾至とは一度会っただけなのですが、「ほんとにきれいな目してますよね、今でも良く覚えているんですよ〜。」と言ってくれました。(本当は柾至も来たかったのですが、人数が限られていたので、今回は遠慮させました。) この間、Sachikoさんは近くにいた半田先生に声をかけられ、その後、掌にエネルギーを入れてもらったそうです。その時、涙が溢れ出して、ぼろぼろに泣いてしまったと言っていました。ハーモニーウオーターは、私のすぐ後から使っていて、この水に出会えたことにいつも感謝していたSachikoさん。思わぬところで半田先生に会えた上に、暖かいエネルギーまで入れて頂き、感激していました。(後日談・・・このときから、入れてもらったほうの掌に、鳥居か門に似た形の血管が浮き出て、今でも消えていないそうです! それ以来、この手を見る度に感謝しているそうですが、これはちゃんと封印してくれている印みたいですね!) みんなも次から次へと半田先生の前へ。同じく愛用者のJunkoさんも初めてなのですが、遠慮がちに見ていたところを呼び寄せて、後ろに並ばせました(笑)。彼女は、眼鏡を調整してもらったみたいです。長野で黙って入れてもらったShinoさんは、この時「今日はいいことを言ってもらえそうな気がする。」と思っていたそうで、するとやっぱり「もう大丈夫だね。」と言われたそうです。Akemiさんは固くなっていた首の調整をしてもらったり、Mihoちゃんは入れてもらいながら、ふと気がついて手から身体に意識を向けたところで「そう、そう」と言われたとか。この日は朝から、なぜか掌に意識が向いてしまって不思議に思っていたそうですが、このことだったみたいですね。深いレベルでは全てわかっていて、準備をしていたのでしょう。(これも生命の神秘ですね) 他にもメッセージを伝えてもらったりと、それぞれに必要なことをして頂いていました。私は、それを後ろから見守っていましたが、この間とにかく身体中が熱くてたまりませんでした。ほっぺたは赤くほてってくるし、手も熱くて熱くて燃えている〜って感じで、もうたまりません状態。(笑) Aikaさんも、コンサート中に「ここに集まっている方たちは、エネルギーが高い人ばかりみたいで、私も熱くなっちゃって〜。」と言っていましたが、もともと波動の良い部屋にAikaさんの唄で光りで溢れ、そのうえ半田先生がどんどんエネルギーを降ろしているものだから、部屋の中は大変な状態です。(^^) 普通なら、このスペースにこれだけの人数が集まると空気がこもってしまうのですが、そこは2台のクリスタルセラ! そのおかげで、空気は10億年前のバイブレーションを持ち、それが光りに振動しているので、ますますエネルギーは高くなるばかり。写真を取ると、玄関で撮ってもどこで撮ってもブレてしまって、このエネルギーの凄さを表していました。
写真は 天使のアルバム Part 50 へどうぞ。(2ページあります)
 まだまだここだけでは終わらなくて、一緒に食事に行くことに。お店は「自然屋」。このお店は、セッションに来ている方から随分前に教えてもらっていたお店でした。自然食の料理でおいしくお酒も飲めるようになっています。豆腐を使ったオムレツ風のものや新鮮なお野菜が中心のメニューで、おいしかった〜。半田先生やAikaさんたちと合わせて20名。(セミナー後の打ち上げでは、少なくても80人ぐらいだったから、今までで一番おいしいです〜) ここでも、たくさんお話が聞けて勉強になったし、みんなで和気藹々として楽しかった♪ 何より、私は長崎のIさんたちが、半田先生の両隣でいろいろアドバイスして頂いているのを見て、うれしかったのです。未来の子供たちをより良く育てるために頑張っているIさんたち。ハーモニーウオーターはすでに使われていましたが、いつか半田先生にも紹介出来たらいいなと思っていました。それが今回思いがけずに会えて、しかも隣でお話もされている。山田さんが、足立育郎さん設計で幼稚園を建てていると紹介すると、「それでわかった。」と半田先生。コンサート中に、足立幸子さんが出て来たらしいのですが(私も会いたかったな ^^)、何でここに来ているのかがわからず、不思議に思っていたそうです。足立幸子さんとは友達だったそうで、亡くなる一週間前まで会っていたそうです。(同じ惑星からの仲間だったのかしら・・・!?) Iさんの幼稚園の入り口には、足立幸子さんの絵も架けられています。私も以前、足立幸子さんの本をウンウンと頷きながら読んでいたことがありましたが、愛媛のUさんといい、やはり同じところに繋がって来ますね。お店を出てからも、みんなで写真を撮ったりして、気がつけば12時近く。「ここのみなさんは、本当にいい方ばかりですね〜。」とAikaさんも。(それはそうでしょう。^^ この水に出会い、惹かれて集まって来る人達も、それぞれに進化の方向を目指していますから) 宇宙というのは全てお見通しで、私たちが思ったり願っている以上のことを与えてくれます。もう感謝のしようがないですね。(^^)
 
 この翌週に出雲へ行き、そこでも同じ繋がりの人たちに出会いました。(詳しくは出雲編をどうぞ)
そして、27・28日は東京のセミナー。今年のゴールデンウイーク中は、宇宙のエネルギーが高まる・・・そう感じていました。おまけに27日は満月。コンサート&セミナーについては後ほど蘇生レポートで、報告したいと思いますが、例によってセミナー以外のギフトもありました。 東京に滞在している間は、Yさんという方にお世話になりました。そのYさんとは、カナダでツアーのお客様として知り合いました。そのツアーをしている時は、REIKIのマスターも終え、日本に帰るために準備をしていた時でしたから、それまでとはまた異なった意味で、仕事以上に楽しみながら出来たツアーでした。Yさんとは特に親しく話をしていたわけでもないのですが、お別れのときに写真を送って下さるということで、住所をお教えしていました。その後も写真と一緒にお礼のお手紙を頂き、福岡に帰ってからも、東京に来るときはぜひ連絡して下さいと、毎年年賀状を頂いていました。今までは、なかなか連絡も出来ないでいたのですが、今回思いついてコンサートのパンフレットを送ってお知らせしたのです。そこで初めて電話でお話し、東京に着いてお迎えにまで来て下さることになりました。お会いするのは2回目で、しかも4年以上経っています。お互い顔がわからないかもしれないから、目印のものまで用意してくれていたり(笑)。 コンサートまでの時間に一緒にお食事して、会場までの道も全部調べていてくれて、案内してくれたり。(どっちがお誘いしたのやら・・・^^;)私がYさんのことについて知っていたのは、よく海外へスキーなどで旅行されていることぐらい。何をされているのかも知らなかったのですが、もう定年退職されていたそうです。ただ、とても誠実で良い方なのは感じていて、会って初めて二人でお話すると、その通りの方だと思いました。コンサートも喜んで下さり、次の日はセミナーが終わってから会場まで迎えに来て下さり、お食事へ。その途中のタクシーの中で、また飛行機雲が目に入りました。しかも、普通なら真っ直ぐに飛んでいるはずが、斜めに半円を描いていて、その上にまた繋がるように半円が・・・。まるで天使の羽を斜めに描いたような何とも不思議な雲。飛行機がそんな風に飛べるわけないし・・・。実は、飛行機雲は1日目にコンサート会場に入る直前にも見えました。その時は、Yさんがわざわざここの緑がきれいだからと、増上寺の門の前を通って行ったのです。その門の後ろには東京タワーが見えていたのですが、ちょうど門の上からタワーに向けて、飛行機雲が思いっきり急上昇して飛んで行きました。またすごいタイミングなので、見せてくれているなあと感じていたのですが、この後レストランに入って座ったところで、待っていたかのようにまたヒューっと一直線。ニューオータニの「なだ万」というところで、自分では到底行けそうにないようなところです。(^^; そこで、きれいな庭園が見えるようにと窓側の席まで予約して下さり、それはそれはおいしいお料理を頂きました。その後、駅まで送って下さり、Yさんは明日東京駅に着いて、すぐ荷物を預けられるようにと、今から東京駅へ行ってコインロッカーの場所を探しておくとのこと。(そんな、そこまでして頂くなくても・・・) 充実したセミナーの後に、また至れり尽せりでお世話になり、感謝の気持ちで一杯になりながら、駅のホームに立ちました。そこでふと正面を見ると・・・目の前には大きな満月が! 圧倒されそうなほどの迫力で、金色に光り輝いていました。私の後ろに立っていた女の子たちも、「あの月すごいよね。」と気づくくらいに・・・。電車がくるまでの間、その光りをしっかりと受け取って、お月さまにも感謝の気持ちを伝えました。
 29日は午後の便で帰ることにしていたので、それまで東京を案内して下さるとのこと。迷わないように、東京駅のホームで待ってくれていて、荷物を預けてツアー開始! 電話で話したときに、どこが見たいかと聞かれて、浮かんだのが皇居。後は良くわからなかったので、お任せしていました。
 この日も朝から快晴。まずは、皇居へ行って二重橋を見てから大手門へ。門の前に着いたときが、ちょうど開演の午前9時。そう言えば、私が福岡で一人暮らしを始めたところが大手門という場所でした。そこもあっという間に決まって(もう、決められた感じ)、その1年以内に結婚したから、住んでいたのはわずかな間でした、それも今思うと全て流れの中、神仕組みの中にあったのですね。住む場所やその地名までもが偶然ではないようです。空を見ると、また大きな龍が見守ってくれています。「さすが皇居だけあって、表れる龍も大きい〜。」なんて一人で感動しながら(笑)、門をくぐりました。本丸入り口を通って、東御苑へ。きれいに手入れされた庭園の緑が眩しい。この時間だからか、人も少なく静かです。天守閣跡にも光りを送っておきました。向かいには、桃華楽堂。花弁を形どった屋根と八面体の珍しいデザイン。外壁には、羽ばたく鳥に太陽・月・星、風・水・火、松竹梅などが抽象的に描かれていて、優しく優雅で女性らしい感じを表していました。ここが東京に位置しているとは思えないほど、穏やかでゆっくりした時間が流れます。日の御子の子孫である天皇家。去年ぐらいまで、そのことを意識したことは、ほとんどありませんでした。今日ここに来れたことに感謝します。どうか、これからもこの日本をお守り下さい。そのために、私にも何か出来ることがあれば・・・






  そこからは地下鉄に乗り、後楽園前の小石川後楽園へ。大きなしだれ桜に一つ松、大泉水など中国趣味が豊かで美しい庭園。特別史跡・特別名勝の二重指定を受けているそうです。続いては、駒込にある六義園へ。ここは敷地が広いので開放感もあります。池の真ん中にある中の島には龍の背のような姿を見せる臥竜石もあり、周囲にはつつじの花が彩りを加えてきれいでした。そこからはタクシーで古河庭園へ。ここには、英国貴族の邸宅風の洋館を中心とした洋風庭園と、心字池を中心にした和風庭園がありました。この時間になると、どこも観光客で一杯。それぞれにお花の前で、シャッターチャンスを狙ってます。(^^) お次は、根津神社。ここは、境内にあるつつじの花も有名のようで、たくさんの人達が訪れていました。立派な神社で、主祭神は誰かしらと見てみると、須佐之男命。(またまた〜) ほかほかでおいしそうだった名物の酒まんじゅうを買って、柾至のお土産に。ツアー最後は、日暮里駅近くにある、羽二重団子のお店へ。ここの団子は、他では味わえないほどの絶品とYさんご推薦。おしょうゆ風味と餡の入ったお団子。確かにほっぺたが落ちそうなくらい、おいしかったです♪ (柾至へのお土産まで用意してくれて・・・) 朝からお昼までのわずか数時間で、こんなにたくさん周れるなんて、私も驚くくらいの内容。さすが、ツアーに慣れているYさん。迷路のような地下鉄を乗りこなし、降りるホームの位置まで良くわかっていて、移動の時間に観る時間など全て把握していて、私に合うようなところを厳選して予定を組んでいてくれたようです。(事前に下調べまでして頂いたみたい) 私一人だったら、せいぜい皇居に行くのがやっとだったでしょうね。全く無駄もなく、ベテランのツアーガイドも真っ青。(笑) そのうえ東京駅から空港までは、私の荷物まで持ってくれたりして、疲れも見せないYさんのパワーにも驚き。(全くお年を感じさせません!) 東京で何かを観て帰るなんて期待していなかったのに、日本の良さや美しさを存分に見せて頂きました。(おまけに、みどりの日だったので全て入場は無料だったりして・・・)







 空港に着いたのも、ちょうど良い時間。チェックインを済ませて、お土産を買った後、お昼を食べようと思ったところで、半田先生にバッタリだったのです。おかげで、しばらく呆然としてしまいましたが・・・(^^; 最後の最後の瞬間まで、気が抜けていませんね。今回も脱帽です! お昼を頂きながら、最後にYさんとお話していると「あんまり頑張りすぎないで・・・」の優しい言葉に、じーんと来てしまいました。「私は大丈夫です。」と答えながらも、また肩の力を抜いて頂いたような気がしました。そう、つい勢いに乗ると、もっともっとと突っ走ってしまうところがあるので、時々アクセルも緩めるようにとのことですね。ありがとうございました。Yさんには、本当にお世話になりました。一度お会いしただけだったのに、こんなに良くして頂いて・・・。ゲートに入ってからも、ずっと笑顔で私の姿が見えなくなるまで見送ってくれました。以前にも同じようなことがありました。やはり、カナダにいたときにツアーでご一緒した広島の方が、一時帰国したときに宿泊先まで用意してくれ、厳島神社などを案内して頂いたことがありました。このことを当時の友人に話したときは、どんな人かわからないから気を付けたほうがいいよ、なんて言われたりもしましたが、私にはそんなことは全く考えられなかったし、実際にその方も良い方でした。疑う気持ちを持ってしまうと、何に対しても、誰に対しても出てきてしまい、心から信頼することがますます難しくなります。信頼すれば、自分自身も信じることが出来るようになります。私はこれからも迷うことなく、信頼する気持ちを大切にしていきたい。
 家に帰ると、柾至もちょうど帰ったばかり。高知のときは、兄が来て連れ出してくれ、長野のときは友達にお呼ばれしてスリープオーバー。東京ではどうしようかと思っていたら、それに合わせたかのように、冒険クラブでのプログラムがありました。みんなで久住山に登山をしたり、探検して遊んだりと3日間楽しく充実した時間を過ごしたようです。あらゆることにおいて、最善の状態を用意してくれる。本当に感謝の気持ちで一杯です。
 翌週は、剣山でまた新しい出会いに、楽しく素晴らしい時間を過ごしてきました。それは、また”聖なる旅”のコーナーで報告しますね。12日の母の日では、敢えて予定を入れないで、午後からは久しぶりにビデオを借りてみたり、セラちゃんのマイナスイオンとエネルギーで一杯のお部屋で、ゆっくりと過ごしました。(柾至は、友達と「スパイダーマン」へ) たまには、こんな時間も必要ですね。 この日のおかたずけは柾至が全部してくれるし、たどたどしい手つきでお料理にも挑戦したり。少ないおこずかいからお菓子と可愛い紫のお花の鉢を買ってきて、「また1年よろしくね。」と言ってくれたり。身体もどんどん大きくなっているけれど、(一見細身の身体ですが、靴は25cm!! 骨がしっかりしてます) 私も気づかない間に、成長してきているんだなと思いました。
 そうこうしているうちに、来週はもう沖縄でのセミナーです。今回もそのために、いろいろやってきています。13日のお昼頃、山田さんが熊本から電話で、太陽の周りに虹が出ていることを知らせてくれました。次のセッションに入る10分前のこと。(終わった後に見たときは、もう雲が出ていて虹は消えていました) 急いで下に降りて見ると、今まで見た中でも一番大きく見事なソーラーレインボーでした!(写真は蘇生レポートへ) このときは、ちょうど沖縄の手配をしていたところだったので、何かそれに関係しているような気もするし、いずれにしてもこの後また何かが始まるというメッセージだと感じています。今度のセミナーもまた満月・・・。う〜、楽しみ v(^^)v 

4月 13日
 長野から徳島へと続いていましたが、今年に入ってから受け取るメッセージや動きは、もう半端ではありません。(^^) この時を待っていたかのように、次から次へと流れ込んでいます。そして、この4月に入ってから、いよいよ始まったのを感じています。長野でのことは、そのために必要な準備でもあったようです。兄も長野から帰ってきて、自分の中のエネルギーが変わったのがわかったそうです。長野に行く前にも、そのことを予感させるいろいろなサインを見せられていましたが、その他にも伝えられたことがありました。

 14日のコンサートから帰った夜、兄から電話がありました。この日、高知のYさんから電話で、兄に空海(弘法大師)が降りられたと伝えられたそうです。そして私には、天地観音菩薩さまが降りられたと・・・。

 「えっ!なに? 降りたってどう言うこと?」 一瞬意味がわからなくて、兄に詰め寄ってしまいましたが、どうやら御霊が入ったという意味なんだそうです。そして、さらに数日後、私のところにもYさんから直接電話があり、今度は卑弥呼が入ろうとしているとのこと。夢の中で、私の顔が大きく目の前に出てきたので、何か伝えたいことがあると思い、メッセージを出してみると、卑弥呼が私の身体の中に入りたがっているとのこと。
 Yさん曰く、卑弥呼の名前は、日の御子と書いて「日御子」が本当の字で、太陽の御子という意味なのだそうです。天地観音菩薩さまというのは、普段は延暦寺の裏山に静かにお籠もりになっていて、あまり表には出て来られない方なのですが、この世で天と地を繋ぐ大きな働きをされている菩薩さまとのことでした。

 Yさんはさらに、「お兄さんもあなたも、今まで大変な思いをされて、ここまで来たと思いますが、それも全てこれからのために神が動かしていたことです。」と伝えてくれました。そして、さらに数日経ってからは、宗像三女神(天照大神の三柱の姫神)のうちの一人の役目もあるとのこと。このように立て続けに伝えられて、私も最初は戸惑いました。でも落ち着いてみると、いろいろなことが思い出されてきました。

 まず、兄の空海(弘法大師)について・・・。弘法大師と言えば、前に山田さんから聞いていた、半田先生がハーモニーウオーターを開発するときに、弘法大師が降りてきていたとの話でした。やはり兄もこの水に縁があったのかなと思いながら、空海について調べてみると、生誕の地が隣の香川の善通寺であったこと。そのことを兄に伝えると、その昔、自衛隊に入ったときの最初の駐屯地が善通寺だったとのこと。そして、新婚旅行には高野山に行っていたこと。また兄はある時期に毎週のように石鎚山に登っていたことがあったのですが、その山は空海の修行場でもあったこと。次々に繋がりが出てきて、このことは最初から決まっていたことで、この日のために今まで修行をさせられていたことがわかったのです。改めて兄の氏名(使命)を見てみると、やはり彼もこの時のために、ここまで来ていたことがわかりました。

わ 惑星に住む人類に
た 大切な事 伝える為に
な 奈落の底の叫びあげる人々に
べ 勉強してほしいと願います
こ これから起こる国難の時
う うろたえないでいて欲しい
じ 自分の命 捧げます

 では、私は・・・!? 日御子の名前を聞いて、すぐに思い出すのは去年のこと。春先から、時間が出来れば山に登ったり、ウオーキングに行ったりしていたのですが、ある時急に予定を変更して、吉野ヶ里遺跡に行ったことがありました。そこでは、弥生時代の遺跡が多く発掘され、邪馬台国の記述と一致していることから、この場所に邪馬台国があったのではとも言われていて、卑弥呼(日御子)がシンボルのようになっているところでした。そこに、当時の巫女が神々と繋がって、神示を降ろすための神聖な場所を復元している部屋がありました。私がその部屋に入ったときに、自分でも不思議なくらいに惹きつけられ、しばらくの間立ち尽くしてしまったことがあったのです。
 それ以来、日御子のことが気になっていたのですが、そこへある時繋がった人から電話があり、しばらくは普通の会話をしていたのですが、突然その人がチャネリングを始めて、私に付いているガイドの一人が日御子に近い神官の一人だと伝えられたことがありました。

 天地観音菩薩さまのことは、この時初めて知ったのですが、天と地を繋ぐことは、もう随分前から私の意識の中に入っていました。ですから、REIKIを伝授するときも、天と地を繋ぐことも意識してアチューンメントをしていたのです。
 また、天地観音菩薩さまが普段はひっそりとお籠もりになっていると聞いて、妙に納得してしまいました。というのも、私自身がそのタイプだなと思っていたからです。昔から、表に出ること、つまり大勢の前に出たり、華々しいところに出たりして、目立つことが苦手というか性に合わなかったし、私自身も決して人目を引くタイプではありません。だから、私の働きというのは、自分が表に出るのではなく、周りの人たちや集まって来る人たちを輝かせてあげたり、影ながらサポートすること、つまり舞台で言えば裏方さんの役目だなと思っていました。

 宗像については、いつからか呼ばれているように感じて気になっていたところへ、兄が来たのでベストなタイミングで行くことが出来ました。参拝してからも、それが何を意味していたのかはすぐにはわからず、そのうち答えが出るだろうと思っていたのです。こうして、降りられたとか御霊が入ったとか言うと、何だか神がかり的なように感じるかもしれませんが、それも何ら特別なことではないのです。現に、私も急に別の人格になったなんてことはないですし・・・(笑)。
 みんなそれぞれに気づいていない、まだその時期ではないから知らされていないことがあります。その高知の人が言っていたのは、
 ”誰でも何らかの切符を持って生まれてきている。そこで努力したり、自分の運命を受け入れて、一生懸命頑張ってきたときに、初めてそれが生かされる。その機会は平等に与えられているけれど、一方ではそのことに気づかないまま人生を終えてしまう人も多い。”
 

 同じようなことは、良く耳にしていると思います。みんなそれぞれに大切な役割を持って生まれて来ているのですね。ただ、それを知らされるまで、気づくまでには時間がかかることもありますし、そのためにいろいろなことを経験させられることがあります。でも、それも大切なこと。無駄なことは何一つ起こっていなくて、全ては自分自身を本当に生かすために、自分で選んでいることなのです。
 この間に柾至の使命も明かされました。

し 仕組まれた
ん 運命を
た たくましく乗り越えて
に 人間としての
ま まことの何たるかを
さ さとすため
し 使命果たし尽くす


 正直言って聞かされたときは、親として複雑な気持ちがしました。自分以上に、短い言葉に託された重い責任のようなものを感じてしまったからです。この子は、この先どんな道を歩むのだろうかと・・・。自分のことは受け入れるだけの覚悟と準備は何とか出来ていましたが、子供に対しては、親の立場からは出来るだけ楽な道を歩んで欲しいと思ってしまいます。でも深いレベルでは、それもわかっていたことでした。
 穴口さんのリーディングでも、彼は真実の剣を持ち、人類に対しての真実を突きつけて行くとあったので、このことも納得がいきます。こんな小さい頃から、私と一緒にいろいろな経験をして、この年ですでに明かされることになったのも、結局は必然的なことなのでしょう。今から準備をしておく必要があるのかもしれません。(彼自身というよりも、私自身が親としてサポートが出来るように・・・) それと同時に、せめて今は子供らしく、今にしか出来ないことを充分に楽しませてあげたいとも思いました。

 こうして、自分の役割や使命などについて知らされたり、事前になって必要なことを知らされるようになったのは、これからはしっかりと自覚を持って進みなさいとのメッセージを感じます。自覚に基づいてこそ、持てる力がフルに発揮できる。御魂の自覚があって初めて、御魂の力が出てくる。もう迷ったり、不安になったりしている時ではないのだと。私も今だに時々思うことがあります。私は本当に自分の役目をちゃんと果たせているのだろうか・・・。やるべきことが、ちゃんと出来ているのだろうか・・・。だから、私は毎日祈るのです。必ず果たしますから、それだけの力を与えて欲しいと・・・。そして、常に自分に言い聞かせています。大丈夫大丈夫、一人ではないのだから・・・ってね☆



 30日の午後は、久しぶりに父と一緒にお花見へ。今年はどこに行こうか、考える暇もなかったのですが、父が太宰府にも桜のきれいなところがあると聞いていたので、お任せしました。そこは、天満宮の手前にある政庁跡の公園。広々とした敷地の小川沿いに桜が満開でした。家族連れが多く、子供たちが楽しそうに駆け回って遊んでいます。お花見もピーク時だと人の波で賑やかなのですが、ここは市内から離れているせいか、とっても穏やかな雰囲気。露店で”おばばのだご汁”に裏の山で採れたという竹の子の山菜ご飯(私たちにピッタリだわ〜)を出しているお店を見つけて、桜の前で頂きました。広場では、二人のおじいさんが飛行機を手作りしていました。柾至にも飛ばし方を教えてくれたりして、しばらく遊んでいました。平和で長閑な時間。そのあとは、竈戸神社へ行ってみることにしました。天満宮から車で10分ぐらいのところ。この神社の脇には宝満山の登り口もあるので、この機会に行っておこうと思いました。ここでも鳥居の前には、見事な桜が満開に。空気が清々しくて、気持ちがいい。やはり、宝満山の麓にあるからでしょうか。ここまで、ちゃんとバスも出ていることがわかったし、これでいつでも登りに来れる。山に向かって、「待っててね〜♪」  空を見上げると、長野で見たゆらゆら動く龍の雲。はいはい、約束通り登りに来るからね☆ 最後に、天満宮で参拝して、いつものように梅ヶ枝餅で締めくくり。(^^)


 31日の夜は、柾至も連れて博多金獅子と岩崎大輔さんのジョイントコンサートを観に、ブルーノートへ。ブルーノートも一度ぐらい行ってみたいなと思いつつ、この手のお店にはすっかり縁遠くなっている私でした。(^^; M.Sさんも先に来ていて、前のテーブルに。ステージの真ん前の席だったので、ピアノの指の動きまではっきり。久々の金獅子の太鼓に岩崎さんのピアノの演奏。ジャズと和楽器が見事に調和していて、音楽のジャンルにも国境はない、それは、この地球全体にも同じ事が言えるのだと、そのことを伝えてくれているように感じました。
 
 鳴門での神事に誘われて、カレンダーを見る前に即お受けしました。兄が来ていたときに、「アマテラス」を読んでいたこともあり、四国にいながら鳴門にはまだ行ったことがなかったので、いつか行こうと話していた矢先だったからです。早くも行く時が来たようでした。その前に3人で(山田さん夫妻と私)幣立に行って参拝し、神事に使うための幣立の御神水を持ってきてほしいと言われました。そこで、4月1日だったら私も空けていたので、この日に提案して決まりました。そこへ、29日の瞑想会で会ったMihoちゃんにも声を掛けて、一緒に行くことになりました。急な話だったのですが、うまく休みも取れたようです。(行けるときは、必ず行けるようになっています ^^) そこに、瞑想会でも会っていたSさんの5人で朝早く出発し、熊本空港で大阪からのお二人と合流しました。これで山田さんの車にピッタリの7人。最初は二台になりそうだと言っていたのですが、これも為るように為りました。その大阪からのお二人は、お一人はドクターのT.Sさん、もう一人はある会社の会長さんのT.Nさんでした。前の日に大阪で山田さんたちと会って、急遽一緒に来ることになったそうです。その会長のT.Nさんは、幣立の宮司さんにそっくりの顔立ちだし、ドクターのT.Sさんは、ある時から現代医学に疑問を持ち始め、医者の枠をはずしてこの世界に足を踏み入れている(!)方でした。いろいろお話していたら、この日ここに来たのも偶然ではなかったようです。そして、そのことを更に証明することが起こりました。
 幣立へと向かう道に、また雲が立ち始めました。お迎えの合図です。幣立に着いて、まず先月の神事で清めたご神水を頂いてきました。そして、正式参拝をしようと拝殿の中に入ると、またしても山田さんの知っている人がいたようです。一通り終えて聞いてみると、その人は東京でドクターをしている方でした。白い作務衣を着て、参拝の後をきれいにかたずけていたので、てっきり神社関係の方だろうと思っていたのです。それぐらい幣立にも溶け合っていて、その雰囲気とお顔つきを見ても、そう感じずにはいられないような感じの方でした。しかも山田さんは、このドクターとT.Sさんを是非会わせようと思っていたらしく、その前に東京に行ったときは会えなかったので、いつかその時が来るだろうと話していたのだそうです。そして、その方も本当なら翌週に来る予定だったのが、突然上から(!)この日に行くようにと言われ、前の日から幣立に来て、瞑想をしたりして過ごしていたそうです。そのうえお二人とも幣立は、この日が初めてで、今日の夕方の便で帰ることになっていました。全く何てことでしょうね。この日は4月1日。これから新しく始まろうとする時。私もこの日には、前々から感じることがあったので、神社に参拝するか宝満山に登ろうと予定を空けておいたのです。それが、3月に来たばかりなのに、また幣立に来ることになるなんて・・・。T.Sさんも、今年に入っていよいよ始まることを、出会う人々から聞かされていたそうですが、今日ここに来てそのことが実感出来たと言われていました。空には、鳳凰が表れていました。


 昼食は、私たち定番のそよ風パークへ♪ Mihoちゃん、去年の2月を思い出すね。会長さんが、デザートにブルーベリーのアイスの差し入れ。(ごちそうさま〜) その後は、何と一心行の大桜に! まさか本当に来れるなんて〜。3月に兄と高千穂へ向かう途中で初めて知り、いつか桜の咲く時期に来れたらいいなと思っていました。でも、今年はそんな時間はもう取れないだろうと思っていたのに、この日の帰りに寄ることになったのです。樹齢400年で高さ22m、幅30mの見事な枝ぶり。もともとは菩提樹でもあり、約50年前の落雷で根元から裂けて、この姿になったとか。それにしても驚いたのは、この人混み。3月に来た時は、辺りは野原でひっそりとしていたのに、周囲が全部駐車場になっていて、露店もいっぱい。テレビ局からラジオの中継まで来ています。見事に満開でした!真っ青な空の下、桜の前に咲いた黄色く鮮やかな菜の花が彩りを添えて、美しいコントラストを見せてくれています。しばらく見惚れてしまいました。桜を見に集まった人たちからも、ため息が聞こえてきます。不思議ですね。このように美しい花を見ていると、自然と顔の表情までもが優しく穏やかになってくるのがわかります。私たちも、大桜のエネルギーをたくさん頂いてきました。昔からお花見として、こうして桜の木の下に集まることで、春のエネルギーを受け取ることを、昔の人々はちゃんとわかっていたのでしょうね。

 お二人を空港に送り届ける前に、みんなでお茶をしました。前に山田さんたちがジュディスたちと一緒に入ったというお店は閉まっていたので、その近くにあったログハウスのお店に入りました。カントリースタイルで、ドライフラワーやリースに、うさぎさんや熊さんの可愛い人形たち。私の好みだわ〜♪と、うれしくて一人でるんるんしてました。(^^) お花の香りのフレーバーティーに、手作りのケーキ。ここでは、T.Sさんにまでごちそうになりました。(またまた、ごちそうさまで〜す♪) 「これからが楽しみになってきました。」とT.Sさん。(そうなの、そうなの) 東京では半田先生とお会いして、すっかり意気投合し、半田先生がこれからT.Sさんをバックアップすると言われたそうです。(やっぱりなあ〜) 大阪のセミナーでも、またお会い出来そうだし、おいしいお店も教えてもらったりして楽しみが増えました。空港では、さきほどの東京のドクターとほとんど同時刻の便になっていたので、お二人は一緒にお話をしていたようです。空には、鳳凰と龍が口を開けた顔に、天使が羽を広げたような雲が出ていました。この始まりの日に、充実した時間を過ごせたことに感謝しています。


 3日の夜からフェリーで四国へと向かいました。ここでも思いがけず、いろいろなことがありました。そのことについては、また後ほど”聖なる旅”のコーナーで報告しますね。6日の朝に帰ってから、午後には「ロードオブザリング」へ。随分前から前売り券を買っていて、ようやくこの日に観れました。エルフも出てきたりして、ワクワクドキドキに感動の涙・涙で、終わった後もしばらく余韻が残ってしまって、戻るのに時間がかかってしまいました。(^^; 私の中の大ヒットです♪ 時間があれば、もう一度観たいくらい。そして、翌日には宝満山へ。何も帰って早々に、わざわざ山まで行かなくても・・・。たくさん仕事も残っているのにとは思うのですが、この日に行かないと、しばらく行く機会がないような気がして、本当は1日ぐらいゆっくり休みたいと思う気持ちを奮い立たせ、あくびの止まらない身体にムチ打って(笑)、登ってきました。
 随分前から気になっていた宝満山。筥崎宮との関わりを知って、ますます行かなければと思っていました。バスに乗る前に、先に天満宮に参拝。今日は古式祭の日でもあったようです。(いいタイミング) 竈戸神社の神様にもご挨拶して、さあ出発しようと準備していたら、一人のおじさんが声を掛けてきました。ここの道は結構険しいから、次に来る時は別の道を登るといいよと、その登山ルートを詳しく教えてくれたのです。その道は沢沿いで登り易い上に、自然のきれいなところがいっぱい見れるとか。やっぱり私たちが初めてなのがわかるのかしら・・・確かに私と柾至では何だか頼りなくて、危なっかしく見えるものね(笑)。他にも途中で出会うベテラン風のおじさんたちが、にこにこしながら、「今から登るの? きついけど頑張って〜。」 石段ばかりの登りとは聞いていたけれど、やっぱりきついのかな〜!? 実は、この日の朝向かう途中で、柾至の足に水ぶくれのようなマメが出来ていたことに気づきました。靴に当たって痛そうでしたが、それでも大丈夫と言う柾至に、まだ疲れが残っていた私でしたが、ここまで来たなら行くしかないか・・・。急がないで、ゆっくり登ることにしよう。

 お天気は曇りがち。でも、前日に一日中降ってくれた雨のおかげで、ますます空気が清々しい。石段につぐ石段。それも段差が激しい。ようやく3合目・4合目・・・まだ半分も来ていない。大丈夫大丈夫、あのインカトレールを歩いたんだから・・・と自分に言い聞かせる。登山道沿いには、史跡がたくさんある。それも霊水が湧き出ているところが多い。柾至は湧水でタオルをぬらして、頭に巻きつけて汗止め代わり。百段ガンギの長い階段に中宮跡、7合目・8合目・・・だんだん頂上が近づいてきた。柾至は、どんどん先に進んで行った。靄がかかっている。いつの間にか私一人になった。何も考えないで(・・・というより、何も考えられなくなってしまって)、周りの自然だけを目にしながら、ただ登って行く。いつしか瞑想状態になっていた。この感覚は・・・そう、インカトレールの時と同じ! また、あの時の感覚が来た。懐かしい感じがする・・・。しばらくの間、この感覚に浸っていた。大きな岩につかまって登ると、お社の鈴の音が聞こえてきたところで意識が戻ってきた。話し声も聞こえてきた。「おかあさ〜ん、ここ!」と柾至の声。ようやく頂上に辿り着いた。宝満山は、福岡でも最も登山者が多い山。ピーク時には、頂上も人でいっぱいになるそうだ。柾至が岩の上の場所を見つけて取っていた。大きな岩の上に乗っかって下を見ると、真っ白に覆われていて何も見えない。これもワイナピチュに登ったときと似ている。宝満宮に参拝して挨拶をさせてもらった後に、ひと息ついて、持ってきたおにぎりを食べていた。風が吹いて、どんどん視界が開けてきた。これもあの時と同じだ。忘れかけていた、あのペルーでの感動が今また蘇ってくる。その感覚を充分に味わった後、また同じ道を下って降りて行った。頂上近くには馬蹄石というのもあり、その石には九頭の龍馬が現れたときに、残して行ったという蹄の跡があった。竈戸神社まで戻って、そこから600m先にある温泉に向かう頃には、もう足がガクガクしてヨレヨレ。石段の下りは、やっぱり足にくるのかな。温泉に入って、ようやく生き返った。いいタイミングで、太陽がパアーッと顔を出してきた。登っているときは雲っていたおかげで、余分な汗も抑えられて、ちょうど良かったのだ。他にも滝めぐりコースとかもあるみたいで、次に登るのも楽しみになってきた。(きつい時は、もういいよって思うんだけど・・・^^;) それにしても、中高年の登山者の方たちには脱帽。私も今から登っていれば、その年の頃には鍛えられているかな。頑張ろう〜☆


 この山には、100回以上も登っている人がたくさんいるそうです。それぐらい人気の高い山です。その意味が、今回初めて登って良くわかりました。ものすごく惹き付けるものがあるのです。その名の通り、宝が満つる山。確かに、ここには目に見えない宝がたくさんあるのが感じられました。事前に明かされたのは、私の生まれ星の中心が降りていて、あるユダヤの預言者が眠っていること。そして、筥崎宮と関わりの深い神功皇后は、その預言者の生まれ変わりであり、さらには神功皇后が卑弥呼(日御子)であることまで・・・。太宰府天満宮を挟んで、ほぼ対極に位置するのが、この宝満山と天拝山。この二つの山は陰陽の対になっていて、それぞれにその星の働きを秘めていることも知らされました。それ以外にも、たくさんの宝がこの山には眠っているそうです。去年は天拝山に惹きつけられ、何度も登ることになりました。どうやら今年は宝満山になりそうです。(これもステップアップ!?) 私は体力や筋力には全く自信がないので、ほとんど気力だけで来ていますが、それも言い換えれば、気力とやる気さえあれば何でも出来るということですね。(みなさんも、自信を持ちましょう!) 

 この夜に兄から、早速徳島から次が繋がってしまったとの電話がありました。(早いなあ〜) どうやら、それには私も関わることになりそうです。やっぱり、この日に宝満山に行って正解。この後だったら、もう当分行けそうにないみたい。少々無理してでも何とか一度行くことが出来たので、ほっとしました。少しぐらいは休めるかなと、甘い期待もあったのですが(笑)、もう始まってしまった以上は止めることが出来ないみたいですね。でも、大丈夫大丈夫、受け入れられないものは来るはずがないと、また呪文のように言い聞かせる私なのでした〜☆