[Diary 150]


Diary 


                                                                                      

                                                    VOL.151

★詳しいレポートは、それぞれの日付からリンクさせた、
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 2008年 3月 ダイジェスト           (3月14日)              
 3月 1日 には妙見神社、3日は太宰府天満宮でお参り。 2月の福岡開闢から、日之本開闢と続き、春分の日が近づいているからか、さらに流れが勢い良くなってきた。

 妙見神社でお誘いを受けたことから、7日は「結びのまつり」のミーティングに参加することに。お隣の佐賀では、良いご縁を一杯頂いて、お世話になっている。
 振り返ってみると、最初に佐賀入りをしたのは、1999年だった。あの日も満月だったのですね〜。(まさしの一日 VOL.12 懐かしい〜♪) その時に写っていた精霊さんは、ご縁が繋がったことを祝福してくれていたのかも。(^^)
 それから、卑弥呼繋がりの吉野ヶ里遺跡へと続き、この数年間で数え切れないくらい、何度も足を運ぶようになった。・・・いつも温かく迎えて下さり、ありがとうございました☆
 今回の「結びのまつり」は、佐賀の開闢の結びであることはもちろんですが、個人的には、その佐賀と私自身の感謝を込めた結びにもなるように感じた。そのために、お手伝いさせて頂くようになったのではと。それも巨石パークで行われるから、ただ事では済まされない。(笑) 今から、とっても楽しみ♪

 翌日の8日は、その巨石パークの麓で初めてお会いした、眞柄さんの30周年記念コンサート。2005年の龍馬ちゃんの誕生日だったので、忘れもしない。 龍神界を司る豊玉姫さまこと、与止日女神社に初めてお参りしたのもその日。そして、如意輪寺や雷山のことを教えてもらったのも・・・。全ては、龍神さまや観音さまを始めとする、多くの存在たちの導きによるものだったのですね。(Diary 45

 その2年後には、巨石パークでの奉納に参加させて頂いた。(Diary 92)。続いてのミニコンサートでは、気付くこともたくさんあった。(Diary 95) そう、眞柄さんも生死が危なくなる体験をしていたのですね。
 その後は偶然、如意輪寺で奉納されるのを聴いたり(Diary 98)、二度目の九州八十八ヶ所を巡礼された直後で、お大師さまが密教を学んだという、中国の青龍寺の住職さんがお見えになった時もあった。(Diary 103
 続いて、個展を観に行ったときにも、また観音さまの姿があり(Diary 106)、2006年の11月11日の新月の日には、弥勒菩薩さまの水晶を埋めるための神事をし、その後でお宅にも伺った。(Diary 118
 
 こうして振り返ってみると、いつも背後には、お大師さまや観音さま、龍神さまたちの存在が感じられた。お会いする度に神々しさが増していた。そして55歳の節目を迎えて、新たな道、本来の道へと進むことを選択された。導きに忠実で御柱が通っている人は、このように進化して行くということを、見せて頂いたように感じている。
 今の自分と照らし合わせて、10年後の55歳になったときの私は、何をしているのだろうと考えた。私らしく、自分の進むべき道を歩んでいたいと思う。そして、キラキラと輝いていたいと・・・。そのために、もっと自分を開いていきたい。そのために、今のこの瞬間を無駄にしないように、やるべきこと、出来ることをやって行きたい。

 今年は、その一歩として歩み始めた10年目の節目のとき。その年の春分の日に、エジプトへ行くことになった。最初にインスピレーションとして来たのは、去年の夏至の日だった。ピラミッドとしては、もう何年も前から来ていた。その度にエジプトが過ぎっていたけれど、その時のピラミッドの意味は違っていた。(皆神山であったり、青森のピラミッド遺跡だったり)
 去年のセドナへの旅のときに、ピラミッドのホテル(ルクソール)で食事をしたときに、ピラミッドのエネルギーを感じたり、ファラオの像をみて感じることがあった。(春のセドナ編 Page2
・・・その時は、もうそれで良いのかもと思っていたけれど。(^^) 

 それから、RAINBOW TOUR では、そのルクソールホテルに泊まることになり、旅の間もグランドキャニオンの神殿(Page 4)や、スカラベが飛んできたりと(Page 5)、エジプトに繋がるサインが続いていた。
 旅から帰ってきたら、ピラミッドの表紙のツアーパンフレットが届いていた。そこで確信をして、ツアーの申し込みをした。春分の日をエジプトで迎えることに意味があるのは、わかっていたので、後はヒマラヤの旅のように、任せていれば良いと思っていた。・・・でも、それでは済まされないことに。(!)

 12月に入って、「数霊」のセミナーのことを知り、その前の集まりに誘われて参加した。そこで深田さんから、エジプトの話を聞いた。そう、その深田さんは、去年の春分の日に、導かれるように、エジプトに行っていたのです。その時の経緯や旅の体験話から、今の時期にエジプトへ行く意味が、少しずつわかってきた。
 エジプトでの過去生があることは、他の人からも伝えられていたし、自分でも強く感じるものはあった。でもそれは、時期が来るまで開けてはいけないものだと思い、自分から積極的に探ることはしなかった。この時、深田さんからも具体的に言われて、ようやく準備が整ったのを感じた。

 続く1月のセミナーや食事会でも、エジプトの話が出てきて、いろいろ教えて頂くことに。それからツアーではなく、自分で行きたいと思うようになった。 
 自分で調べ始めたら、ある場所が出てきた。それが「シナイ山」(別名モーゼ山)・・・古代より聖なる山と崇められ、モーゼが神から「十戒」を授かった場所。その瞬間に、ここに行かなくては!と思った。
 そのすぐ翌日、2月1日の妙見神社の神事の後、何気なく前田さんが本を差し出しながら、シナイ山の話をしたのです。(!) その本によると、旧5000円札の裏面にある富士山の水に映った姿は、シナイ山だと言われていると。・・・もう、この時には鳥肌が立ちそうになった。
 これで間違いないと思っていたところで、さらに追い討ち。3日後の福岡の岩戸開きの日。そこで集まった中に、シナイ山に登ったという人がいた。(!) ・・・はい、もう充分にわかりました。(^^)

 その後も、たまたま借りてみていた映画の中で、シナイ山とモーゼの話が出てきたりして、モーゼさまラッシュも続いた。そこで、「十戒」の映画を観てみることに。
 始まってすぐに、子供の頃に観たことがあるのを思い出した。ストーリーまでは憶えていなかったけれど、所々のシーンが印象に残っていた。また観ている時には、映画のシーンと同調するかのように雷雨になったり。(糸島では、落雷して停電になっていたとか) シナイ山って思っていた以上に、凄い場所だったみたい・・・。(ドキドキ)
 そういえば、眞柄さんのコンサートで、バックの舞台のセットをみて、シナイ山が浮かんでいた。映画のシーンと同じように、赤く燃えて・・・。(う〜、またドキドキしてきた〜)

 そのシナイ山は、ツアーには含まれていなかったので、やはり自分で手配して行くしかないとわかり、それからはバタバタ。すると、他にも大事な場所がたくさんあることがわかってきて、8日間のツアーから日程もどんどん延びて行った。 当然、予定していた予算を遥かに上回ることになるのだけれど、そんなことは言っていられない。(笑)・・・導き手達は、呆れ返るでしょうから。(^^;
 あまり時間もなかったし、加えてエジプトという、ちょっと特殊(!?)な場所ということもあって、その手配にはかなり手間取った。ひと通り完了した時は、すでに出発前一週間を切っていた。(ははは) その間に日之本開闢と、ハイライトが続いていた。

 そして、そのピッタリのタイミングで、「天地大神祭」の本が刊行。そこには、エジプトの隠された謎が明かされていた。この時期に、ツタンカーメンの墓が限定で公開されるようになったことと繋がって、なぜ今なのか、なぜここまで待つことになったのかがわかった。・・・墓の公開が始まったのは、去年の11月4日。そう、RAINBOW TOUR を終えた日になっていたのです。(!)

 「はじめに内なる神ありき」
 外の神を誰か人柱選んで唯一神とするのではなく、すべての人々が宇宙の根元、それを創造主としようが渦の中心のエネルギーと捉えようがかまわないのだが、そことダイレクトにつながっていることを知る。・・・・
 内なる神の開眼こそがミタマ開きであり、自身の岩戸開きなのだ。・・・・外の神はそれからでいい。
 ・・・内なる岩戸が開かぬままに崇拝する師や教祖を拝むのは横側への信仰だ。横方向に神を見ている。その師や教祖が接する神仏のみを拝むのは斜めの信仰ということになる。・・・
 見上げるのは真上。歪みのない自分だけの真上。・・・
 自分が歪んでいると、同じ方向に歪んでいるものがまっすぐに見えてしまう。それで実は歪んでいるそれを正しいと信じてしまうのだ。・・・
 (一部要約して)

 数年前にシャスタのワークを終えて帰国し、しばらくしてから胸が苦しくなった時に、あるチャネラーを通して、ハイアーセルフからのメッセージを伝えられた。
 「宇宙人たちが、あなたを支配したがっているけれど、あなたは創造主のみと繋がるようにしなさい。」 
 その言葉は強く心に響いた。雷が落とされて、目が覚めたかのようだった。それからは宇宙の根元からの光・・・真の光のみと繋がることを意識するようになった。・・・それも、その時の体験があったからだった。

 26日の岩戸開きの出来事の後で、この本の文章を読んだので深く理解が出来た。そして、Aさんについてわかることも。

 ・・・大変なのは、自らが作り出した幻想や幻聴を神からのメッセージだと信じ込むことだ。私は選ばれし人、と錯覚してしまっているので始末が悪い・・・

 それが無意識の内に為されているという。Aさんは、属していた宗教団体の幹部として、熱心に全国を周って普及していたと聞いた。真摯に求めていたものが、どこかでズレてしまったのかもしれない。私はこの時の体験で、その事に気付くことが出来たので、今ではAさんに感謝している。いつの日かAさんも、真の光に目覚める時が来ることを信じていたい・・・。

 (物語の主人公の二人が、エジプトに呼ばれたことに対して・・・)

 お前たちは今の環境から逃げるために、そこへ行きたがっているわけでもなければ、外側で目にしたものに惑わされて意識が玉座を見失うこともないところまで成長したからさ。
 内に立った芯が揺ぎないものとなった者は外を見ることも必要になってくる。それが内への探求をさらに深め、己れのあり方に信念を持つことができるからだ。
 つまり、褒美といっても玉し霊を成長させるためのものだ。判るよな。それに大切な仕事もあるしな。・・・


 これまでの聖なる旅を振り返ると、今回のエジプトだけでなく、どの聖地に呼ばれた時にも、誰に対しても言えることなのだと思った。

 ・・・間違っても自分は神から選ばれし者、神が選んだ唯一の人間だなんて思うなよ。思った瞬間神はお前から離れ、神を名乗るカタリが憑く。人はな、お役をもらうと初めは素直に喜んでいるが、やがて自分は絶対であると錯覚し、うぬぼれ、傲慢になり、人々から無責任に持ち上げられることで己れを見失う。ふり返り自身を見つめることを忘れ、妄信し、やがて大きくころぶんだ。・・・・
 ・・・だからな、神からお役を頼まれたことを喜ぶのはかまわないが、”私も人類がよくなるために一緒に働かせてもらう”にしておけ。”私が人類を救うキーマンだ”なんて一瞬たりとも思い浮かべるなよ。・・・
 
 使命や天命、また節目の大事なメッセージというのは、外からの媒体を通して伝えられるというのも、その為なのでしょう。それも真実であるのなら、ある時期をおいて繰り返し伝えられる。
 私も自分を見失うことがないように、常に初心を大事にしていきたい。

 他にも、春分の日に御来光を拝むことに意味があると書かれていた。それで、去年のヒマラヤに続いて、今年もシナイ山で迎えるようになったのですね。

 そして佐賀3日目の締めくくりが、STSのセミナーになった意味も判明。去年のRAINBOW TOURの時もそう。出発の一週間前に、佐賀セミナーがあった。それもまたパワフルなセミナーだった。そこで、ゴールドとプラチナ現象も起こっていたし。(Diary 143) ・・・今回は、プラチナがキラキラ。

 その翌日に、本の続きを読んでいたら、「和合」と「表裏一体」を示す二つの事柄について明かされていた。その一つは「精神性」、そしてもう一つが「科学」だった!

 神の力は科学によって具現化される。片面は精神力、もう片面が科学力。
 「三次元にいながら精神性は高次元と同じ想念で暮らすこと」と「神の智恵を科学的に活用し、進歩させること」
 智恵だけではない。慈悲だ。神の慈悲が科学を発展させる。
 精神性と科学力のバランスを取ること。それが出来ると大自然を最大限に活かしつつ大自然を保てる。大きな犠牲を大自然に与えずともすむ。
 科学力と自然力が共生するから。そうなれば人体に負担の少ない社会が実現でき、大自然も人も寿命が延びる。・・・

 (要約していますので、詳細は本を読まれて確認してくださいね。^^)

 「心の世界、宗教だけでは地球も人類も救えない。そこには、確かな科学と確かなテクノロジーが必要」 このことは、半田代表が何度も繰り返し伝えていた。
 科学のことは良くわからなくても、出会ってからの7年間で、自分の身体や意識を通して、体感していることだった。半田代表の生き方もそう。あれだけの才能と力がありながらも、自分を見失うことがない。その人としての在り方、精神性にも共鳴していた。だから一度も迷うことなく、このプロジェクトに携わってこれたのですね。それも、自然力と一つになった、本物の科学だったから。 そのおかげで、細胞が元気になって、中庸のエネルギーで、心と身体のバランスが取りやすくなったりと、たくさんの恩恵を受け取っていた。だから、私もここまで来れたように思える。

 「人の身は 想念カタチにすることのためにありしと思ほえよ
  人々よ いかなる想念持ちたれど 行動なければ ただよう雲よ 
  いつか消え果て忘らるる
  人々よ 日々清き 心を持ちて世の人の 救いとなるべく輝ける
  御身使えよ 惜しまずに 」
 ・・・想念カタチにすることこそ 三次元での大仕事。・・・またいくらすばらしき想念持ちておりても、世に向け出す一歩がなければただよう雲よ。勇気を持って自分色の風を吹かせることが必要なのだ。・・・

 そうですね、ただ想っているだけでは、いつか消えてしまう。三次元としっかり繋がった状態で、この身体を使って、具体的に動いてこそ意味がある。それが小さな一歩であっても・・・。

 お釈迦さまからのメッセージでもある、菩提樹の「恵」。すでに与えられている、多くの恵みに感謝し、自分の出来ることで返していく。
 私も、この世で輝きながら、自分自身を活かしたい。そのために、もっと開いていく。最大限に活かせるように。
 
 出発前に、ここまで示されたのだから、後はもう行ってからですね。(^^) 最善の状態で、その目的が果たせることを祈りながら・・・☆