[Diary Vol.11]






Diary

                                                        

                                               VOL.12



9月 26日
 天河から帰ったと同時に、わが家に神棚が届きました。去年までは考えもしなかったことでしたが、6月に天河でお札を頂いてから、幣立と2枚になり、そこから来るエネルギーに、神様の存在を強く感じられるようになりました。そこへ、Y.Yさんや天恵さんとの出会いがあり、ごく自然に神棚を置きたいという気持ちになりました。予定より遅れていたのですが、帰るのを待っていたかのようにピッタリ26日に届いていました。その翌日に近くの氏神様のお札も頂いて、ベストなタイミングで全てが整いました。大和之宮からは、朝夕のお参りの仕方や作法も教えて頂き、お札も頂きました。そのお札というのが、天照大御神様(正式には、天照坐皇大御神様)を始め、木之花開耶姫大神様、雲切不動明玉大神様に、天之御中主之大神様(宇宙神)と全国の一之宮の神々様まで入っておられます。それに、今回頂いてきた橿原神宮と大神神社のお札に八大龍のお札も加わりました。一度にこんなに来て頂いて良いのかなと、恐縮してしまいます(笑)。それまでは、何の作法も知らなかったので、お水だけ用意して自分なりの方法で、大祓いの詞を唱えていただけでした。それでもいつもたくさんのエネルギーを分けて下さり、この日が来るのを待ちながら、導いて頂いたことに神様の大きな愛を感じました。この日以来、朝起きてからと寝る前に神前に向かっていますが、手を合わせた途端に全身が熱くなり、この時間は神様との一体感を感じられる大切な時間となりました。まるで、うちの中に神社があるような感じですね(笑)。 場所は私の希望通りで、且つ方角もベストなところだったようで、ヒーリングのお部屋になりました。ここなら、何をしていても神棚が目に入り、その度に神聖な気持ちになれます。セッションに来られた方の中には、すぐに入れなくて立ち止まってしまったり、八大龍に描かれている龍のビジョンが見えた人もいました。私の神性を目覚めさせて欲しいとの願いは、こうして叶えられたのです。

 天河に行く前に、Y.Yさんのところで、宮主さんが8月7日に受け取った御神事のビデオを見せて頂いたのですが、遅れ馳せながらその一部を紹介したいと思います。
 あの世とこの世の繋がりは水である。心の糧は、自ら(水から)得られる。水は命の元であり、その水が枯れてきているのは、これから大変なことが始まる前触れである。水は神仏様には必ず必要なものであり、それゆえ水は神様のお力となる。今から、様々なところで大転換があり、どんでん返しが始まる。今まで見えなかったものがはっきりと見えてきて、見えていたものが見えなくなる。つまり、霊界が表となり、今いる世界が霊界に変わる。霊界の世界が現実に移ってきている。霊界は、時間・空間がないので、今は時間が早くなっている。(実際にNASAでも、時間が早くなっていることが証明されているそうです) また形のないものが、形ある形で表されて、形のあるものは、やがて形がなくなる。自分の魂がわかる人は、どんどん物事がわかるようになり、わからない人は全くわからなくなる。三分の一は減っていく。日本人としての自覚が持てるかどうかが問われる。まっすぐに向かって行くことで、必要なものは全て与えられる。真正面に、新鮮な心で、惰性になっていては駄目。何もわからなくても良いから、無我夢中になってすること。良い思いで過ごせば、絶対に良い世界にならなくてはならないようになっている。25・26日に神しぐみ(ひっくり返って神の国となる)の仕上げがあり、9月3日に九州でのろしが揚がるのが合図になる。

 以上は、先月のものでしたが(もっと早く紹介するべきですよね^^;)、他にもメモしたものには、画期的な発明は日本人からで、アメリカは崩壊するとありました・・・。
 そして、先日の9月7日の御神事では、
 9月は魔の波動が一番強まるときであり、政治は大荒れになり、同時に霊性開花がますます進む。今は霊気が一番満ちているので、自分の霊性を高めるには最大のとき。言霊の力で動かすことが出来るようになり、お祈りをすることで確実に叶うようになる。言霊と思いが一致すると、すぐに願いは叶う。マイナス方向でも、方向転換をしてプラスに持って行くことが出来る。言霊に力を入れ、鋭く言霊を発する。大きな良い夢を見ること。夢が思いに繋がって、それが言霊に繋がって、実現に持って行く。あきらめたら、それで終わり。夢を見続けること。土壇場に追い込まれたとき、底力を発する。悪しき言葉や、悪口には気をつけなければいけない。 これからは、お金の価値観が下がり、魂の価値観が上がってくる。自分のため、魂を成長させるためにお金を使うこと。そうすることで、器が大きくなり、その人の大きな入れ物になる。天変地異は、大掃除のために次々と起こり、天と地は近くなってくる。

 9月に何かが起こるというのは、私自身においても感じていたことでしたが、こうして見てみると、アメリカの事件も起こるべくして起こったものだったことが良くわかります。その事件のことは、翌日の12日に来たM.Sさんから聞いて知りました。しばらくショックで何も言葉が出ませんでしたが、高いタワーが崩されたと聞いて、すぐにバベルの塔が浮かび、その事件が起こった意味が私なりに理解出来ました。”人間の実利主義と欲によって、高く積み上げられた塔が、神の制裁によって崩された。それは神による罰ではなく、神の愛によるもので、残された私たち人間を真実に目覚めさせ、根本的な改革をさせるために起こったもの”   それと同時に今朝、久しぶりに引いたカードのことを思い出しました。”Birth”・・・このカードは、幣立に向かった朝にも引いたカードです。古いものが崩壊し、新しいものが生まれる。新たなことの始まりが啓示されている・・・そう感じました。この事件のために、犠牲になった方たち・・・その方たちの魂を活かすためにも、残された私たちは自分の使命を自覚し、意識を変えて行くべきだと思いました。もうこれ以上、後延ばしにはしないで、気づいた人から行動し、周りにも伝えて行くことが必要だと・・・。
 
 この事件の前に、私にも一つの出来事がありました。3日に九州にのろしが揚がると聞いたので、みんなで少しでも手分けして、それまでに出来るだけ神社を廻ってお清めの砂を蒔こうと、Y.Yさんから電話がありました。その頃の私は、天河から帰ったばかりで、仕事や雑事に追われており、予定も一杯で時間が足りなくて、とても今から3日までに神社に行く時間は取れないなと思っていたのです。その次の日のことです。突然パソコンがウイルス感染したのが・・・!ウイルスなどには全く無頓着だったので、何の防御策もせず、感染したからと言って(それも教えて頂いて、やっと気づきました)、どうすれば良いかもわからない有様なので、あれよあれよと言う間に、どんどんファイルが感染してしまったようで、翌朝サポートセンターに問い合わせたときには、起動もしなくなってしまいました。しかも、バックアップも何も取ってない状態で・・・。(お恥ずかしい・・・^^;) それでも、最初は何とか方法があるのではと、お店に持って行ったりしましたが、そこでも為す術なし。今まで撮った写真から作成したファイルまで全てが消えてしまうわけですから、この時はかなりのショックでした。しかも、少しの時間も惜しいと思っていたときに・・・。でも、これも偶然に起こることではないとわかっていたので、何でこんなことになったのかな、これには何の意味があるのかな・・と考えていました。その日は土曜日。もう動けないとどうすることも出来ないし、この後にすることを考えただけでゾッとするので(笑)、翌日の2日は思い立って柾至を連れて天拝山に行くことにしました。(この日は、ジュディスのワークを受けるつもりでしたが、そのワークはキャンセルになっていました) いつものように武蔵寺に挨拶し、紫藤の滝では道真公のように、全身を清めたイメージを描き、御自作天満宮で参拝した後、境内の周囲にお砂を蒔きました。そして、天神さまの径を登って頂上に着くと、新しく建て直したばかりの天拝山社(菅原神社)が光り輝いているように見えて、感動してしまいました。一袋余分にお砂を持ってきていたので、ここでも蒔きながら世界平和を祈りました。二日市温泉で気持ち良く汗を流した後は(私にとっては禊です^^)、そのまま太宰府天満宮に向かいました。手前にある光明禅寺で澄んだ気を受けとり、天満宮でもお祈りをしてきました。本当に充実した一日を過ごすことが出来、いつのまにかパソコンのことなど忘れていて、やっぱり来て良かった〜と満足した気持ちで、帰ったときに見えた夕日の素晴らしかったこと!私には、それが龍が火を噴いているように見えたのですが、後になって、そのことに繋がることがありました。最近、アチューンメントを受けたAさんの8歳の息子のSくんは、ごく自然に見えないものが見えたり、メッセージを聞いたりするのですが、そのSくんが、しばらく前から急に龍の話をするようになり、8月の終わりごろだったか、熊本に虹色の龍が降りたと話していました。そして、龍が透明になって山の中に入り、火を噴くのが噴火なんだよと言っていたそうです。その後、富士山に巻きついて守っている龍が、いま死にかけていて、その龍が死ぬと、他の子供の龍もみんな死んでしまうと言い、Sくんは宇宙から必要なものを持ってきては、いろいろ手を尽くしていたそうですが、2日の夜には「何か龍が・・・」と繰り返し、なかなか寝付けなかったのだそうです。それが4日の夜には、みんな元気になって、虹色になって小さい龍も連れてあがって行ったと話していたそうです。実は、3日にのろしが揚がると聞いたとき、それは噴火ではないかと予想されていたので、この話を聞いて、私が見た夕日は噴火の替わりだったのではないかと思いました。このことは、同時にみんなの祈りが通じたことを表しているように思えます。みんなが必死になって祈り、行動すれば、その思いは必ず天に通じると・・・。アメリカの事件は、避けられないことでしたが、それがきっかけとなって、一人でも多くの人が気づいて行動すれば、世界平和も本当の地球の美しさも取り戻すことが出来る・・・私はそう信じています。
 これで、私のパソコン事件(!)も決して偶然ではなかったことが、はっきりとわかりました。あの日(31日)に感染して動かなくなっていなければ、2日にお参りに行くこともなかったでしょう。確かに、そのために全てのファイルは消え、再セットアップのために、かなりの手間や時間はかかりましたし(まだ、途中です^^;)、作成した資料もドキュメントも最初から作り直さなければならず、今まで撮った写真も消えました。でも、何とかHPにアップしたものは残すことが出来るので、本当に必要なものだけになり、整理しなければいけなかった余分なファイル(たくさん溜まっていました・・)も、否応なしに整理されたのですが、きっとこうでもしなければ、なかなか空いた時間でというと、いつまで経っても出来なかったと思いました。そうすると、いつかはもっと大変なことになって、パソコンそのものがダメになることもあるかも知れません。(ちょうど同じ頃、ハードディスクが壊れた人もいたそうです) 私にとっては、新しいエネルギーを受け取る前の一つの浄化のようなものでした。さらに、この時にいつも身に付けているA.Lakeyの天使のペンダントのチェーンも切れたのです。(簡単に切れるものではないのですが、以前にも同じようなことがありました) このように、持ち物が身代わりになってくれることもあります。そのおかげで、もっと気を付けるようにもなったし、これからはバックアップもちゃんと取ろうと思っています(笑)。でも、今回はそれだけではなかったのです。
 その状況を受け入れることが出来た2日の夜に、遠隔ヒーリングをしていた時のこと。Y.Nさんの五十鈴を預かってから、セッションや遠隔などでも、最初と最後に五十鈴を鳴らしていたのですが、このときも五十鈴を手にしてヒーリングをしていたら、突然五十鈴が私に語りかけているというか、訴えているように感じました。私に五十鈴を手にしてほしい・・・つまり、自分の五十鈴を持ってください・・・と。そして、ペルーで五十鈴を振っている自分の姿が浮かんだのです。「本当に、持ってもいいの?」と、自分でも一瞬戸惑いました。天河から帰ってこの数日間、毎朝晩に神棚に向かうとき、いつも五十鈴を振っていました。その瞬間に、その場の空気が変わり、私の心まで清められているように感じていました。そして、セッションで振ったときには、光りが振ってくるのが見えたり、振った瞬間にエネルギーが入ってくるのを感じたりと、この間に受けた方たちも何らかの形で五十鈴の持つ神力というかパワーを感じていたようでした。最初に五十鈴に興味を持ったのは随分前のことでしたが、6月に天河でその五十鈴を初めて目の前にして、振らせて頂いたときの感動は今でも覚えていますし、もうそれだけで満足でした。それぐらい、この五十鈴には惹かれるものが私にはありました。その五十鈴を自分の手元に置くなんて、そのときは考えることも出来ませんでした。でも、このときに、そのメッセージを受け取ったときは、もう否定することは出来ず、次の日の朝を待って、すぐに天河神社に電話をしました。(思い立ったら、即行動です!) この日のエンジェルのメッセージは、”Surrender"と”Faith”。それが、そのままの答えでした。そうして、数日後にはご祈祷して入魂して頂いた、私の五十鈴がやってきたのです♪ そのときに同封されていた五十鈴の由来や、込められている神力についてを読んで、改めてその五十鈴の素晴らしさを知りました。どんな状況も、全ては神の愛によるもので、良きことのため、それを信じて受け入れると、もっと素晴らしいものが与えられる。そして、何を優先させるのか・・・自分が今、一体何をしなければいけないのか・・私は、目の前にある自分の仕事のことで頭が一杯になってしまい、大切なことを後回しにするところだったのです。今度のことは、そのことも教えてくれました。五十鈴を手にすることが出来るなら、ウイルス感染のショックなんて何のその、再セットアップの手間など、何てことはありません(笑)。これも、Y.Nさんが私に預けなければ、こんなことにもならなかったはずですから、それも全て最初から用意されていたのでしょうね。これも最初からわかっていれば、もっと簡単なのでしょうが、それでは学びにはならないのです。自分で気づくことが大切で、素直に受け入れたときには、その何倍もの喜びが返ってくることを示してくれているのです。この五十鈴は、この先私自身の魂を輝かせるサポートをしてくれるだけでなく、私が出会った方たちにもその素晴らしい力を伝えることが出来る・・・。私がこの五十鈴を手にして、どれだけ感謝の気持ちで一杯になったことか。
 
 また、この後には、私とペルーとの関わりを示すヒントも教えてくれました。最近、アチューンメントを受けられた方から、シャーリーの本にペルーのことが書かれていたことを聞いてからです。私は20代前半頃にシャーリーの本と出会い、ビデオもダビングして持っていました。もう随分前のことだったので、場所のことなどすっかり忘れていたのですが、ビデオを探してみると、この間に手放すこともなく、押入れの奥にしっかりとあって出てきました。映像もすっかり古くなっていましたが、最初に見て驚いたのは、シャーリーが身に付けていたペンダント。その形を見て柾至と私は、思わず顔を見合わせてしまいました。ストーンが3つに繋がっていて、形は五十鈴とそっくりだったのです。このペンダントをシャーリーに届けてくれた人が、数年後に魂のガイドとして表れ、彼女を導いてペルーに連れて行き、そのペルーでの体験が彼女の人生を大きく変えることになったのでした。今こうしてそのビデオを見て、私がペルーに行くことも、ずっと前から決まっていたことだったのだと気づきました。それに続いて、「聖なる予言」のことも思い出しました。それもペルーでしたね。それらのことに気づいた時に、ちょうどセッションに来ていたM.Sさんと話しながら、まだ読んでいないと言う彼女に貸してあげようと、本を取り出したら、その中に1枚の写真が出てきて驚きました!その写真と云うのは、「あんでるせん」のお店で念写してもらった写真です。ぜひ、子供たちにも例の宇宙のマジック(実際にはパワーによるものですが)を見せてあげようと、柾至とM.Sさん親子と、先月一緒に行ったときのことです。そのときも不思議なことが、いろいろありました。夏休みとはいえ、平日だったので予約は取れるだろうと聞いていたので、そのつもりで温泉旅館も手配し、始まる時間に合わせて出発していました。その途中で、予約の電話をすることになっていたのですが、予想とは裏腹に全然電話が繋がらず、列車にはすでに乗っているし、私たちはあせりまくっていました。ようやく繋がったときには、午前の部はもう満杯。夜の分ならまだ大丈夫とのこと・・・。予定がすっかり狂ってしまったので、そのときは少しがっかりしていました。そうして始まって、他の人が引いたカードで選ばれたのは、何とM.SさんちのSくん。隠して好きな絵を描いてもらうのですが、その絵はすでに予知されてマスターの財布の中に入れてあり、そこには彼の名前までもしっかりと先に描かれていたのです。驚いたのはそれだけでなく、その予知した時間を見ると、何と午前7時25分! 予約の電話受付は、午前8時からです。つまり、それは私たちが電話をする前から来ることを予知しており、それもお昼の部ではなく、夜の部だと決まっていたということです。どうりで、電話が繋がらないわけですね〜。そのときに私は念写をしてもらったのですが、写った写真にはカードだけでなく、私と柾至の背後に一人の女性の顔がはっきりと写っていたのです。それは、誰が見てもわかるくらいにはっきりと、幸せそうな満面の笑顔で写っているのですが、私にはそれが誰なのかまだわかりませんでした。生きている人には違いないと言われたので、きっとこの先、何らかの形で関係してくるんだろうなと思っていました。それが、もう一度見てみたいと思って探しても何処にもなくて、いくら探しても出て来なかったのです。その写真が、このときに突然その本の中から出てきたので、もう開いた口が塞がらない状態でした。M.Sさんも、私が写真を探していたことを知っていたので、彼女も驚いていました。しかも隣に一緒に写っているのですから、尚更です。どこでどうやってこの写真を、その本の中に入れたのか、どうしても私には思い出せないのですが、これには何か大切な意味があるのだけはわかっています。ペルーに行く前に、もう一度見ておきたいと思っていたので、何か関係があるのかもしれませんね。
 
 15日の夜は、博多三大祭りの一つである筥崎宮の放生会に行ってきました。筥崎宮は、福岡の一之宮になります。このお祭りに行ったのは、もう10数年前のこと。いい機会だったので、父も誘って一緒にお祭りを楽しみながら、参拝してお砂蒔きをしてきました。前回参拝したのは、ちょうど天河に行く前でした。そして、翌日の16日には、二人で九千部山に登りに行きました。九千部山は背振山系の一つなのですが、沢沿いの道があるということで、いつか登って見たいと思っていた山でした。出発前に山の資料を見ていたら、そこには弁財天が祀られ、古くから霊山として崇められてきたとありました。やはり今行くべき山なんだと思い、五十鈴を持って登りました。ひんやりとした自然林の道で、気持ち良くスタートしたものの、帰りのバスは2時間に1本しかなく、夕方までに帰ろうと思うと、休みながらゆっくり登る時間の余裕がありませんでした。二人で励まし合いながらも、途中でバテそうになってしまい、この分だととてもお昼までには着けないなと思っていました。そこで、五十鈴を取り出して、しばらく鳴らしていると、あらあら不思議 !?弁財天様の力を分けて貰ったかのように、そこでまた力が湧いてきて、その後は難なく山頂に辿り着くことが出来たのです。しかも、目標の時間の5分前に! 九千部の山頂からは、360度の景色が見渡せました。また、この日は見事な快晴だったので、遠くは九重の山々まで見ることが出来たのです。ここで食べるおにぎりのおいしかったこと♪ 山頂でも五十鈴を鳴らしてきました。一息ついたところで、そろそろ出発。帰りは、わざとリフトには乗らずに、谷間の道を歩いて降りることにしました。下りだから、一気に下りれば間に合うだろうと鷹をくくっていたら、ごつごつとした道に沢沿いなので、足元が滑りやすく、岩につかまりながら下りなければいけませんでした。登りの倍以上の距離で同じ時間しか見ていなかったので、さあ大変!それでも行かなければいけない、何とかバスに間に合うようにと、前だけ見てとにかく歩く・・ここでもお砂を蒔きながら思いっきり駆け下りていました(笑)。横を流れるきれいな小川を、ゆっくり楽しむ余裕がないのは残念なのですが、これも文字通り自分で選んだ道。もう後には引けません(笑)。痛み始めた爪先も何のその、苦しいときは世界平和を唱えながら、とにかく進め進めでした。途中で時計を見ることもしなかったのですが、(見るのが怖かった^^)、登山道の出口に出たのは、また目標の数分前でした。バスにも何とか間に合い、予定通り帰り着くことが出来たのです。柾至も文句一つ言わず、良く付いて来たなと思いました。二人で一つのことをやり遂げたような達成感があり、私たちの心は充実感に満たされていました。(さすがに身体はガタガタで、その数日間は筋肉痛です・・・^^;) でもそれだけでもなく、翌日振った五十鈴の音が変わっていることに気がついたのです。最初は気のせいかな、振り方のせいかなとも思っていたのですが、20日の瞑想会でY.Nさんから「五十鈴はね、音が変わるのよ」と言われ、やっぱり〜!! 確かに、以前よりも音が澄んでいるのです。何か重いものが一つはずれたみたいに。頑張って登った甲斐がありました(笑)。不思議な五十鈴・・・場所によっても、手にする人によっても、その時の状況によっても、あるいは持つ人の魂の進化にも伴って、一緒に変化するのかもしれない。(まるで、犬夜叉の鉄砕牙みたい^^)

 それに続いて、22・23日は、私たちの年間行事になりつつある背振自然の家の”自然と親しむ親子のつどい”です。前回、参加したときに結成された(自分たちで)”背振のワンパク三人組”の再会です。いつもより参加者は少なかったのですが、その中で3人とも再会出来、今回はもーちゃんの弟も来ていたので、新しいメンバーになりました。1日目は、ペットボトルの宇宙ロケットを作って、山に向かって発射!夜はスターウオッチング。この日は雲一つない空で、星の観察には完璧。まさに空から星が降ってきそうな夜で、天の川までうっすらと見えていました。天体の先生も、これだけ星が見えるのは滅多にないことで、年に1〜2回あるかどうかだと言われていました。(感激〜) 2日目は、またまた登山。朝起きて、早々の出発。この日も真っ青な空で最高の秋晴れです。いきなりハードな登りからスタート。ある先生は心臓破りの坂と呼んでいましたが、その名の通り、途中から四つんばいになって、岩を両手で掴みながら登っていました。この日の行程は、約14KMで6時間のコース。私にとっては、過去最高の距離です。でも、先週の九千部登山でも、私には到底無理かなと思うスケジュールで登ることが出来たので、それが自信に繋がっていて、今回もきっと出来るはず!と思っていました。朝起きたときに、山の合間から見える朝日に向かって、いつもの祈りを捧げた後、全員で完歩出来ることをお願いしておきました。バックパックに入れていた五十鈴は、歩くたびにきれいな鈴の音を聞かせてくれ、鳥の鳴き声にも励まされながら、最後まで何のトラブルもなく参加者全員で元気に完歩することが出来ました。先生たちは、途中の何箇所かで救出出来るようにスタンバイしていたのですが、誰一人としてリタイヤする人もケガをした人もいなくて、おまけに予定よりも早い時間で、全員が完歩していたことに感心されていました。中には小さな子供もいて、私のすぐ目の前で勢いづいて何度も転んでいるのですが、それでもケガ一つしなくて、にこにこ笑っていました。これも大自然のパワーのおかげでしょうか。自然と一つになると、無限の力が湧いてきて、どんなことも可能になることを、今回も肉体で感じてきました。私たちの人生も登山と同じです。目標に向かって、例え苦しくても一歩一歩進んで行くことで、必ずゴールに到達します。そして、また新たな目標を目指して進んで行く。九千部よりも遥かに長い距離だったにも関わらず、今回は筋肉痛もほとんどなかったのです。肉体もこうして確実に進化して行くのですね。この時登ったのは同じく背振系の蛤岳ですが、背振の名は天空からこの地に降りてきた龍馬が、背を振ったことから付けられていたとの話を思い出したり、背振山の頂上にある背振神社にも弁財天が祀られていることを知り、私が春から背振に縁が出来たのも、全て偶然ではなかったことに、また気づくことが出来ました。

 そのまた翌日の24日は、ガイアシンフォニー第4番の試写会です。(相変わらず次々にイベントが続いてます) 8月に天河から帰って3日後に、「千と千尋の神隠し」を見に行った帰り(この中にも白龍が出てきましたね♪)、用事があって久々にイムズに寄ったときに、ガイアの特別試写会のポスターが目に留まりました。良く見ると、試写会の後には何と龍村監督のトークショーとサイン会まで! もう早速、天河の出来事に繋がったのです。問い合わせてみると、抽選の申し込みの締め切りは2日後。急いでM.Jさんにも知らせ、その翌日に来ていたM.Sさんにも知らせました。すると、24日ははずれたのですが、代わりに23日のチケットが入っていました。背振に行くので、私は24日しか行けなかったのですが、それとは別に24日の招待券のハガキが送られてきたのです。結局、両日4枚のチケットが手に入り、余った23日の分は漏れてしまったM.Jさんと、今年出産予定のE.Kさんに譲ることが出来ました。午前中のセッションが終わって、まず先にコスモス画家の荒木幸史さんの個展に行ってきました。この日は最終日。私は昔から、色も形も可憐なコスモスが大好きでした。荒木さんのことは、数年前に湯川さんの本の表紙で知ったのが最初で、後でM.Sさんとのコスモスの繋がりがあり、この時初めて生の絵を観ることが出来ました。優しさと愛のエネルギーが一杯溢れていて、それでいて太陽や虹、オーロラと一緒に描かれている絵は、宇宙(COSMOS)そのものを感じさせてくれます。会場では、コスモスとの出会いが荒木さんの転機になったとのお話も紹介されていて、それを読んでいると胸が熱くなり、私の深い部分から涙が溢れてきました。M.Sさんが昔、初めて荒木さんの絵を前にしたとき、涙が止まらなくなったというのも無理がないことでしょう。
 そして、大急ぎでガイアの試写会へ。最初に、龍村監督の挨拶があり、第4番の上映が始まりました。どの出演者たちも、眩しいくらいにキラキラと輝いていて素敵でした。(中でも、名嘉 睦稔 (なか ぼくねん)さんの少年のような笑顔が印象的です) 今回の映画でもたくさんのメッセージがあり、ガイア理論の創始者であるラブロックさんの「全ての生命が環境作りに参加している。地球がひとつの大きな生命体であるということに気づけば、何を大切にし、何をやめるべきかという道徳的なことも、自ずと見えてくる」 弥勒菩薩のようなジェーン・グドールさんの「心を開いていれば、メッセージは向こうからやって来る。素直に、自分を明渡しさえすれば、力は無限にやって来る。世界を変える力は、自分の中にある・・・」 インタビュー中も、何度も自然の声に耳を傾け、大自然の営みに全てを委ねているジェリーロペスさんの「自然と共に歩む・・そうすればどこかに道は開ける」 (波の上で瞑想するサーファーとも呼ばれているだけあって、彼のサーフィンは人間技とは思えないらいに素敵♪) 第4番のテーマは、”21世紀に生まれ育つ子供たちのために”ですが、その子供たちに私たち大人が何が出来るか・・・子どもたちの“霊性”を育むのは、映画そのものではなく、子どもたちの日常に直接触れている大人たちの中の“霊性”であると、伝えています。先に書いたSくんもそうですが、他にも来られている方の子供たちの中には、すでに霊的に目覚めている子供たちがたくさんいます。その子たちを目の当たりにして、私たちはまず自分自身の霊性をもっと開発することを教えられているように思います。龍村監督は、最後にこう話されていました。「内側にあるものを閉じないで、自分を明渡すこと。共に生きるためには自立して生きること。多くのものと繋がるために、自分自身で考えて、自分自身で生きよ。そうすれば、心の奥底には全てのものと繋がっていることがわかる・・・」 人に満たしてもらうものではなく、自分自身ですることから学ぶ・・・。私たちの一人一人が、それぞれに、宇宙と、地球のあらゆる生命体と繋がることを学ぶ必要がある・・・
 龍村監督は他にも天河神社のことを話され、第3番のあとの3年間はいろいろあったそうなのですが、あるとき星野さんの親友だったボブと一緒に、天河で星野さんの御霊おくりをして、そこから第4番がスタートしたのだそうです。(23日のときには、8月での天河での出来事をお話されていたそうです) 最後のサイン会のときに、柾至と一緒に参拝に参列していたことを話すと、「あの地震のときにいたんだ!凄かったよね〜」と言って、握手してくれました。そのあと、奥様の姿を見かけたので声をかけてみると、快く応じて下さり、しばらく立ち話したあとで名刺も頂きました。(とっても素敵な方で、お子さんも元気一杯って感じ) 21世紀は、”共に奏でるシンフォニー”がテーマでもあり、私も微力ながら出来ることとして、ひとコマスポンサーに参加することにしました。このような素晴らしい映画は、一人でも多くの人に観て頂きたいと思います。詳しくは、こちらのHPに紹介されています。このときに買った龍村さんの本の中には、天河の神事に立ち会ってから第1番の撮影が始まったことや、弁財天のもともとの姿は龍(水の循環のシンボル)、すなわちインドの水の女神サラスバティであったと紹介されていました。そして、ケルトとのシンボルと天河のシンボル(五十鈴)が同じであること(同じ水の動きを示す渦巻き)も。一見、文化が違うようでも、この地球そのものが一つに繋がっていることを表してくれているようです。今度行くペルーを企画したエハンさんの祖先はケルト民族で、彼も渦巻きの十字架をいつも持っていたことを思い出しました。そして、M.Jさんさんから貸してもらった本の中には、現地の人が「・・・ウルバンバ河は天の川につながり、、天空をも流れる。 ・・・」 と語っていたり、「天と地をつなぐ川」、といったことも書かれていました。幣立から天河に繋がり、今こうしてペルーへと、私は自分の魂のルーツを探る旅をしているように感じています。 ペルーに行って、何があるのかわかりません。でも、必要なことは全て用意されていることはわかっています。実は、今これを書いている段階(出発の前夜です^^;)では、まだ準備が出来ていなくて、ギリギリまでセッションも入っていたので、本当に出発までにアップ出来るのか、この数日間は内心あせっていました。試写会の後には、続けてルンルの会の植原さんの講演と体験にも参加したりと、この週末は”てんこもり”のスケジュール。1年の中でも、この時期は最もエネルギーが高い時期だと言われていて、特に秋分の日は、地球自体が他の天体と共鳴し合う重要な日でもあるので、自分自身を改めて感じたり、調整したりして、本当の自分自身を知るための再確認や再発見するには、相応しい時でした。最後の最後まで、この一瞬一瞬まで無駄にしないで、精一杯自分のやるべきことをして行くこと。今はそのことを思いっきり体験させられているようです。楽なほうに逃げることも出来ますが、今の私の魂はそのことを望んではいなくて、自分の霊性を高め、天命を全うさせたいと願っていることがわかっているから、それが出来ない・・・。例え、それが自己満足であったにしても、私の体験したことや気づいたことを、こうしてシェアさせて頂くことも、私のやるべきこととの一つとしてして感じています。本当は、柾至の夏休みレポートや、HealingReportもアップしたかったのですが、書き上げている途中でファイルやみなさんのメールも消えてしまったので、間に合いませんでした(^^;。現地の下調べもほとんど出来なかったのですが、それも良いこととして、信頼して委ねてみますね。 では、行って来ま〜す☆

 2日の夕日の写真です。


9月 11日

 先日の天河に行く前に、一つ決めたことがありました。それは、今月の終わりにペルーに行くことです。これも、突然やってきて、突然決まったって感じでした。そもそもの事の起こりは、6月の下旬に受けたTRVのセミナーでした。このときに、ティーチャーのエハン・デラヴィさんが9月にペルーツアーをするとの話を聞いたのですが、クラスの他のメンバーに比べて、その時の私はほとんど関心がありませんでした。私は年が明ける前から、今年の9月には何かある、大きくシフトさせるようなことが起こると感じていました。

 その後、春にマリオンや宮有さんとの繋がりが出来たときに、9月にフィンドホーンのツアーがあると聞いたので、もしかしたらこのことかも知れないと思っていたのです。でも、私の場合は突然予定が変わることも良くあるので、(出雲参拝から幣立になったときのように) それに合わせて実際に準備するようなことは全然していなくて、行くときは必ず行くようになるので、全てを任せていました。その頃は、もしフィンドホーンに行くとしたら、カナダに寄って、まずバンクーバーの柾至のパパのところで過ごし、オタワに行ってマリアのところに柾至を預けて行こうかなぐらいに考えていました。それが、天河行きを決める数日前ぐらい、久し振りに宮有さんのところのKさんから電話がありました。お互いの近況を話す中で、天河の話も出たりして(彼も以前行っていました)盛り上がったところで、フィンドホーンのツアーのことを尋ねると、いろいろ状況が変わり、ツアーが行われるかどうか・・・と言われていました。少しがっかりしたものの、その後、忘れもしないあの素晴らしい夕日の日(14日)に天河行きを決め、そのまたすぐ後に、ある天河のレポート記事が送られてきました。それにざっと目を通していたら、そこにマチュピチュの名前が出てきたのです。そこには、こう書かれていました。

 ”弥山は、おおよそ南半球の反対側に位置している南米・インカ文明の、特にマチュピチュ遺跡と全くと言っていい程、エネルギーが大変似ており、またマチュピチュの持つ波動もここで感じ、そして実際にアクセスして、繋がることができます。天川という場所は、マチュピチュの他にも、モアイ像で知られている、同じく南半球のイースター島へのアクセスや、その他の各国や地域との繋がりを持ち、また遥か古代における地球外知的生命体との接触や、その異文化からの干渉や影響を受け、DNAによる身体の組織構造の変容により、同時に意識変革も段階を踏んで経験してきた歴史があります。”

その頃の私は全く無知で、ペルーと言えばアンデス山脈にマチュピチュ?ぐらいの知識しかなかったので、まさかそのペルーに・・・!?。それから意識し始めると、たまたま見たディスカバリーチャンネルでマチュピチュへのトレッキングの様子が映ったりして、だんだんペルーのことが気になり、これってもしかしてペルーに行けってこと?と思うようになりました。そもそも、そのセミナーを受けることになったのも突然のことで、(そう言えば、ちょうど天河から帰って一週間後のスタートでした) TRVの内容だけでなく、私には別の意味があるのを感じていたのです。実際、そこで繋がったY.Yさんから大和之宮のことを知り、そのときのクラスの方たちとも別の関わりが続いています。(いいお塩に出会えたのもその一つで、大変役に立って、お気に入りです♪)

 また、エハンさんとは同じ水タイプ(ポケモンみたい^^)でしたから、まだ他に何かあってもおかしくはないのです。そこで確認のために、久しぶりにエハンさんに連絡を取ると、ツアーの申し込みはまだOKとのこと。改めてツアーの内容を調べて見ると、うわ〜って感じ!(私には凄すぎる〜!?) 海外と言うこともあり、(おまけに今まで何のご縁もなかったような南米地域) ひらめき即行動がモットーになっているとは言え、これは簡単に決めてすぐに返事出来るようなことでもないなと、さすがに少し考えてしまいました。しかも、時期が時期だったので、柾至のことも考えないといけないと思ったのです。(柾至のパパは、もうすぐ私たちに会えると思い、とても楽しみにしていたのもわかっていました。) ですから、一度はカナダに寄って、その間に預けてからとも考えましたが、それもフライトを見ると大変なことでした。すると、もう連れて行くしかなく、本人に話してみると、すごく興味を持って行ってみたいとのこと。そこで、考えることがまた増えてしまったのですが、気持ちはもうペルーに向かっていました。

 チケットも問い合わせて、予約出来ることまで確認したものの、あともう少し・・・と待っていました。そこへ、決定的なことが起こりました。8月3日のことです。その日、bubuさんがサードを受けに来たのですが、そのときに私にマチュピチュの遺跡が載っている写真集とインカ帝国のことが書かれた本を差し出したのです。
 何でも前の日に、bubuさんの飼っている猫ちゃんが、突然押入れの中を掻きまわして、一冊だけ部屋に出ていたのが、その本だったそうです。それは7年も前に買っていた本だったらしく、押入れにかたずけていて、すっかり忘れていたそうです。実はbubuさんは、その猫ちゃんがきっかけでヒーリングに出会い、その後REIKIも受けることになったので、私にもその猫ちゃんがbubuさんにとっての守護天使のような役割をしていて、神様のお使いのように感じていたのです。やっぱりね〜と思いながら、パラパラとその本をめくっていると、その中に掲載されていたインカ文明の絵を見て、唖然! その絵に描かれていたものは、6月に六角岩での写真に写っていたものと同じ形をしていたのです。

 その写真に気づいたのが例の夕日の14日でもあり、先が蛇の形をしているのだけはわかったのですが、その形が何かを表している、何か意味があると思い、それ以来気になってしょうがなかったのです。(天使のアルバム Part 33の右側です) もう、その絵を見た瞬間に、これだ〜!と鳥肌状態でした。それは、当時ワカと呼ばれていた”神聖なもの”の一つとして描かれたものでした。他にも、頭に蛇の冠を被った絵で、当時のインカ文明の象徴のような絵もあり、それが天河で最後に見せて頂いたマンダラにも良く似ていました。ここで、はっきりとした答えとして示されたのです。ここまで来ると、遠いだの何だのと言い訳している場合ではありません。「はい、わかりました。では、行ってきます。(行かせて頂きます・・かな)」と答えるしかないですね(笑)。

 その一方で、天河に行く前まで関連することが起きていました。12・13日の宮崎行きもそうでしたし、14〜16日の三瀬のキャンプでUさんとの出会い(そのキャンプ場も吉野村という所にあり、すでに天川村と同じ吉野でシンクロしてました〜)、そして20日の瞑想会でも・・。ほとんど毎月行っていた会ですが、そこに何とY.Nさんが! 彼女とは、5月のクラニオのワークがきっかけで知り合い、ライトボディのSさんといろいろ繋がりのある方でしたが、キャンプでUさんと出会い、そこでY.Nさんとの繋がりを感じていたところへ、またバッタリ。久々にお話していて、私が天河に行くことを話すと、彼女も以前行っていて、天河には同じことを感じていたので、その話で盛り上がっていました。

 すると、思いついたように、「私、天河の五十鈴を持っているんだけど、今度行くときに一緒に持っていってくれない?」とY.Nさん。「五十鈴って、あの五十鈴?あれを持っているの?」と私。前回行ったときに、最後に触らせて頂いたあの五十鈴。それを持っている人が近くにいるなんて、それだけで驚きでしたが、それを私に預けたいなんて! 彼女もあの五十鈴には感じるものがあり、手にすることにしたそうです。その日もちゃんと車に入れて持ってきていて、大切にしているものなのに・・・。その五十鈴は、しばらくそのままだったので、この機会に一緒に天河に連れて行って、チャージしてきて欲しいとのことでした。その間、どんどん振って鳴らしていいから・・・と。私も少々責任を感じながらも、うれしくてワクワク・ドキドキでしたが、まだ続きがありました。話に夢中になって、バスに間に合わなかった私をYさんが送ってくれることになり、そこでペルーに行くことも話すと、何と彼女もすでにペルーに行っていたのです。そして、その五十鈴はマチュピチュを始め、ペルーの行く先々で鳴らしてきたそうなのです! この時期に、身近にペルーに行った人の話を聞けるだけでも意味がありますが、そこで天河の五十鈴まで関わって来るとは・・・。もう〜、お見事です!! また、この日の夕日が凄かったのです。前のDiaryにも書いていましたが、これまででも最高かなと思えるような空でした。

 また、さらには23日のこと。この日は、Y.Yさん(ややこしい?)のところで、安食さんの今月の御神事のビデオを見せてもらいました。その中でもいろいろ大切なメッセージがあったのですが、一番新しい御神事に、「今月の25・26日に、神しぐみが完成する。」とあったのです。偶然とはいえ、私たちが天河に行っている日です。今回は2回目でもあり、私にとってもまた意味のあることになりそうだと思っていましたが、宇宙レベルでも重要な時であると知り、ますますドキドキ。それを直前に聞かされたのも、必要があってのことでしょうし・・・。それと同時に、前日になって実はもう一つ情報が入りました。それは、内密なことだと聞いたので、ここには書きませんが、やはり天河に関係があることでした。そして、今回もう一度例の六角岩に行って見てみると、もうあの形は表れていませんでした。そのときの川の水の量で、見えるものも変わってくるのですが、前回見えたのも全て偶然ではないってことですね。

 この時期、多くの人が変化を迎えていますが、柾至もその中の一人です。風邪でもないのに、鼻水が出ていたり、手足が虫さされのようになったり・・・。それが、生活に差し障るようなことにはなっていないのですが、私から見ると明らかに身体の中から排泄して、クリアにしようとしているのがわかりました。それは、肉体面での浄化だけでなく、もっと深くなると、例えばカルマのような前世から引き継いでいるものも浄化しようとしてくれます。いずれにしても、次の次元上昇のために彼の魂も準備をしているようでした。

 考えてみれば、春頃から私と一緒に神社に行ったり、山に登ったり、7月には安食さんの宇宙との交信にも参加することになったり、この夏休みは例年以上にキャンプなどで自然に接する機会も多く、その都度楽しみながら、ごく自然にたくさんのエネルギーを受け取っていました。それをはっきりと気づかせてくれたのは、17日〜19日に行った”こどもキャンプ”で、自分で撮ってきた写真。そのうちの何枚かに、たまゆらがたくさん写っていたり、周りがブレていたり、極めつけは撮ったはずのものが写らなくて、別のものが写っていたり。「ここに何か人みたいなのが写ってる。」と、その写真を見たときに、私は「イエス様!」と声に出していました。何の確信があるわけでもないのに、目に入った瞬間にそう思えたのです。自分でも口にして驚きました。

 そして、もう一枚の写真。これは、テントの中を撮ったらしいのですが、青白いものが漂っているようで、すぐには何か良くわかりませんでした。何かがあるけど、何だろうって感じです。それが、あるときに改めて見ていると、また突然「マリア様だ!」と気づいたのです。流れるように中に入ってきた、いつものベールを被ったマリア様の姿に見えました。お風呂場で撮った写真には、たまゆらと白い波のようなもの。このとき、みんなが先に出て一人になった途端に「ゴーッ」という音がして、それが彼には龍の鳴き声に思えたそうでした。そう言われれば、龍のひげのようにも見えます。このような写真を見せられるのも偶然ではないので、その意味を考えていましたが、私が今感じているのは、彼にとってもこの時期は大切な時なので、意識を向けるようにとのメッセージではと思っています。ですから、その後で天河に一緒に行ったのも、最後に大神神社に行けたのも、やはり必要なことだったのだと思いました。

 また、それを肯定するかのように、帰ってきてから数日後の朝、掲示板でもお馴染みのKさんから電話がありました。これまでも何度か電話を頂いていたようですが、セッション中だったり、留守だったりしていたようです。「やっと繋がった〜」って感じでしたが、いろんな話が弾む中で、Kさんは誕生日からわかることがあるらしいので、柾至のことを聞いてみると、やはりイエス様と関わりが深いと言われました。
彼にはイエス様が守護霊として付いていて、イエス様と同じように人と神を繋ぐような使命があるとのことです。そこで、以前大田さんから聞いたイエス様の本当の誕生日の話(Diary11 6月13日分)をすると、Kさんも良くわかっていたようで、そのうえにイエス様が生まれたのは、5日の午後11時以降だとも言ったのです。それで、柾至が生まれたのは午後11時45分頃と話すと、Kさんのお子さんは午後11時20分頃とのこと。(誕生日は全く同じです) 神様の摂理は、双子の摂理でもあるそうです。Kさんとは、まだ一度も会っていないのですが、他にも次々に繋がることがあるので、これからも楽しみです。

 もう一つおまけは、Kさんが卑弥呼の話をしたときに、以前吉野ヶ里遺跡に行ったとき、当時の巫女さんが神様からの啓示を受けていたと言う部屋で私が感じたことを話すと、Kさんは急にチャネリングのような状態になりました。そして、私に付いてくれている守護霊の一人は、卑弥呼に仕えていた神官の中で、特に近かった5人の内の1人だと言ったのです。このような話は、どこまで受け入れれば良いのかと思われるでしょうが、私自身も妙に納得することがあったり、常に何の意味もないことを偶然に伝えられることはないと、私も信じているので、ごく自然に受け入れていました。やはり、今度のペルー行きは、柾至にとっても何か意味があるのかも知れませんね。

 この続きは、また次回にして、そのキャンプの写真をどうぞ。
最後の2枚は、クリックすると拡大出来ます♪

 
9月 8日

 8月も瞬く間に終わりました。目まぐるしく過ぎて行った毎日でしたが、まずは奈良・天河旅行から報告します。
 25日の朝一番の飛行機に乗って、大阪に渡り、奈良に入って橿原神宮駅前でレンタカーを借りての出発。M.Jさんは、久々の運転に少し緊張気味。私の免許は、まだカナダのままだったので、今回はM.Jさんにお任せ。天川村の手前でサインを見逃がして、道を間違えるなどのハプニングがあったものの、最初の目的だった丹生川上神社下社も、うまく見つけることが出来ました。
 ここは、前回来たときにバスの車窓から、”日本最古の水の神様”と書かれた看板が目に入り、今度来たときは是非寄ってみたいと思っていたところ。日本最古と言われているだけあって、古風な社殿には古代の面影があり、静かな佇まいを見せていました。祭神は水をつかさどる神で、谷底に棲む龍神で”いのちの水”と名づけられた水が湧き出ていました。その水を頂いた後は、みたらい渓谷へ。

 午後3時の天河の七夕祭までは、あまり時間がなかったのですが、この渓谷は絶対行きたかったところだったので、せめて光の滝だけでも一目見ようと、車を止めて山道をダッシュ。ようやく滝の前に着くと、柾至と私は待ってましたとばかりに急いで靴を脱ぎ、川の中に足をつけました。天川村を流れる水は、上から見るとグリーンに青みがかってキラキラしていて、まるで光り輝くオーラのよう。手ですくってみると、どこまでも透き通っていて、その水の美しさは例えようもないくらい! 足をつけているだけで、身体全体まで清められているような気がします。途中買った手作りの柿の葉ずしを頬張りながら、私たちは「幸せね〜♪」の連呼。この素晴らしい景色に囲まれているだけで、もう幸せ。いつまでも、ただこうしていたい・・・でも、そうも言ってられない私たちは、またダッシュで山道を戻り、天河神社へと向かいました。

 兄たちは一足先に着いたところで、タイミング良く神社裏で会うことが出来ました。七夕神事は、すでに始まっていて、たくさんの人たちが参列していましたが、裏から入った私たちは、ちょうど空いていた舞台のすぐ前に座ることが出来ました。約2ヶ月振りの天河神社。このときはまだ、その思いを味わう余裕もありませんでしたが、初めてお会いする柿坂宮司の祝詞を自分の中で受け取っていました。神事の後は、能舞台で奉納舞踊。個性豊かな舞に、参列者の目は釘付け状態。
 そのあとは、向いにある来迎院での七夕供養祭。たくさんの燈籠が並べられ、参列者の一人一人がお焼香をあげていきました。この間、空はどんどん曇り始め、ポツポツと来たかと思うと止まるの繰り返し。「何だか、必死で我慢しているって感じね(笑)」と私たち。自分たちの焼香が終わったので、神社裏の民宿に戻ろうとした途端に雨がザーザー。どんどん雨足が強まって、とうとう土砂降りになりました。残っていた人たちは、びしょぬれになって帰ってきました。せっかく楽しみにしていた燈籠流しも中止かと思えば、予定通りに行うとのこと。この間に夕食を済ませ、外に出てみると小降りになっていたので、天の川まで行ってみました。

 6月に来たときに、この天の川で行われる燈籠流しの話を聞いて、「そのときに、また来れたらいいね」と話していたのが、こうして現実になりました。天の川に次々に流される燈籠。雨の中でのろうそくの明かりがさらに幻想的でした。そのまま天の川温泉に入ると、露天風呂からも眺めることが出来ました。ここでやっと、兄たちと落ち着いて話すことが出来ました。会うのは、春休み以来。そのあとは、しばらく連絡を取っていませんでしたが、私が天河に再び来ることを決めたとき、同じ蟹座であった兄のことが浮かび、声を掛けてみたのです。この頃、兄はまた山登りをしていたそうですが、あるとき突然嵐のようになって、雷が鳴り、目の前に稲光が繰り返し放たれ、その前に龍の形をした雲がうねっていたそうです。その光景を見ながら、あまりに凄まじかったのでしょう、兄はこの世の終わりかもしれないと思ったそうです。そこで落ち着くために、瞑想を始めると、身体の中に龍が昇ってくるのを感じたそうです。それからしばらくして目を開けると、雨が上がって次第に空が明るくなり、太陽が射してきたそうです。

 私が6月1日に龍神雲を見てから、龍を意識し始めたのと同様に、彼もまた龍に出会っていたようで、それも前の日のギリギリになって、来れる状態になったとのこと・・・。やはり兄も来ることになっていたのですね。夜になり、私も一息ついて心の準備が整ったところで、ようやく拝殿に向かいました。昼間着いてからは、敢えて参拝しないで、この時間になるのを待っていました。静かで落ち着いた雰囲気の中で、心ゆくまでゆっくりと参拝することが出来ました。夕方に降った激しい雨は、清めの雨でもあったのだと、この時に気づきました。その雨のおかげで、天河の空気は一層澄み渡っているように感じました。

 そこで、拝殿の神棚に向かってしばらく座っていると、舞台から明かりがつき、柿坂宮司が現れて「そのままゆっくり瞑想していてください」と声を掛けて下さいました。その後、神棚のところにろうそくを灯したり、階段に椅子を出したりして、何やら準備をされていました。今から何か始まるのかな・・・こんな時間にもしかして正式参拝・・・?そう思いながら待っていると、午後10時になり、一組の男女が壇上に上がって行きました。暗くて顔は良くわからなかったのですが、二人とも胸に五十鈴のペンダントをしているのが見えました。

 太鼓が鳴り響くと、その音に誘われて、一人また一人と参列し始めました。名前を読み上げるのを聞いて、私とM.Jさんは思わず顔を見合わせました。そのお二人は、何と龍村仁ご夫妻だったのです! 実は、ちょうどその前に温泉で、兄たちにガイアシンフォニーを見たときのことや、その中に天河が出てくることを話していたばかりでした。そして、その直前にも、拝殿でガイアの話をしていたところだったので、あまりのタイミングに驚きました。この参拝は、ガイア第4番完成の報告とご祈祷だったようです。
 私は、前回行われた自分たちの正式参拝を思い出しながら、ここでこうして参列することで、また一緒に受けさせて頂いているように感じていました。その間、神棚の両横に吊り下げているガイアのポスターのうちの右側だけが、風でユラユラ動いていたり、柿坂宮司が祝詞をあげている時に、突然ガタガタッと音がして、拝殿全体がグラっと大きく揺れたこともありました。奥様のほうは、途中から涙されていました。最後には第4番のテーマらしき曲が流され、ご夫妻のご祈祷は終わられました。

 そのあと、柿坂宮司は私たち参列者に向かい、「この時間に、ここにこうして集まって来られた方たちは、きっとご縁のある方たちでしょうから、龍村さんにもみなさんへご挨拶して頂きましょう。」と言われ、ふと後ろを振り返って見ると、そこには置かれていた椅子の人数の方たちが集まっていました。龍村さんは最前列に座っていた私の前に降りて来られ、天河神社とは第一番のときからの縁で、最初の1年は全ての神事に参加し、映画にはそのときの映像を入れていたことや、それ以後もガイアを製作する前と完成した後は必ず来られているとのお話をされていました。今度完成した第4番は、”21世紀に生まれ育つ子供たちのために”がテーマとなっているようです。11月にイムズに来るのはわかっていたので、もちろん見に行くつもりでいましたが、ここで偶然にも参列出来たのには、また何か意味があるのかもしれません。思いがけない感動的な夜を過ごし、兄たちも感激していました。

 この間、柾至は珍しく、寒い寒いと震えていました。この時期でこんな風に寒がることは、今までにはないことでした。(私は逆に身体の中から熱くなるのを感じていました) どうやら彼も神気を受けて浄化してもらっていたようです。部屋に戻って布団に入ると、今度はM.Jさんが寒いと言って震えていました。私は布団がなくても平気な位だったので、私の布団もかけてあげました。その場にいたみんなも清めてくれたのでしょうね。有難いことです☆ 


 翌朝の26日、私は4時半ごろには目が覚め、この日の最初の予定だった玉置神社は次の機会にしようと思い立ちました。今回、天河に行くと周りに話したら、数人の方たちから続けて、玉置神社に行くことを勧められました。天河とも所縁があり、宇宙からの高いエネルギーがたくさん降りてきている神社だと聞き、是非行ってみたいと思っていました。それで、今回は玉置神社で正式参拝をしようと予定していたのです。親切にも神社からは、天河からの地図なども送って頂き、準備もすっかり整っていると思っていました。それが、直前の台風や前日の雨の影響で、玉置へ行く道が封鎖されているかもしれなかったのです。楽しみにしていたこともあり、行ける時は必ず行けるはずとも思っていたのですが、この日の朝になって今回ではないと感じたのです。また、玉置行きを止めることで時間に余裕が出来るので、その分もう少し天川村を見て行くことが出来ます。
 6時に参拝をしてから、みんなで六角岩へと向かいました。しばらく、そこでエネルギーを感じた後、途中にある古社にも立ち寄りました。そこは、以前の天河神社の古木を生かして、鎮魂殿として建立されているところです。そこには、太陽と月の紋章が描かれており、ここも不思議なエネルギーを放っているように感じました。
 7時の天河の朝拝にも参列し、この短い時間に何度も神事に参加出来たことに感謝しました。最後には、来迎院横の大銀杏の木の前に向かいました。ここは、周囲に石を埋めてゼロ磁場になるようにしていると、ある人から聞いていたところです。以前、天恵さんから教えて頂いた木のエネルギーを受け取る方法をしながら、天河の最後のエネルギーを身体全体で受け取りました。その後、天川村を離れる前に、洞川へと向かいました。最初に立ち寄ったのは、面不動鍾乳洞。ここは、急な坂を登りつめたところにあり、洞川の町や雄大な吉野の山々を見渡せます。洞内には、カワウソや日本ザルの化石に”天の花園”・”金糸・銀糸の窟”などと名づけられ、天井からつららのように垂れ下がる鍾乳石や、地面からたけのこのようにのびる石筍など不思議なものばかりで、どれも神秘的。自然の力に思わず驚かされてしまいます。柾至と未央ちゃんは、すっかり気に入ってもう一回り。ここの茶店で頂いたわらび餅のおいしかったこと! わらび餅って、こんなにおいしかったのかと感激したほど。やっぱり水が命なんだなと、天川村の水のおいしさをさらに実感。

 続いては、龍泉寺へ。名前に惹かれてやって来たのですが、ここは修験道の開祖である役小角が開いたお寺でした。役小角が、この場所で泉を発見し、ほとりに八大龍王尊を祭ったことから、この名前が付けられたそうです。現在でも大峰山系修験道の根本道場で、本堂の前には清らかな泉が湧き、行者たちは今も龍の口から湧き出るこの水で身を清めてから入山するそうです。八大龍と言えば、秋山さんの幣立神宮のアート・・・。ここのお札にも八大龍が描かれていて、私はその絵に惹きつけられるように手にしました。天河に来てからも、ずっと龍・龍・・でした。おまけは、私たちの近くに停まっていた観光バスの名前まで”龍神バス”。そう言えば、龍村監督の名前にも龍が・・・。 

 次は、赤い大きな吊橋のかりがね橋を山手に見ながら、名水百選に選ばれている洞川湧水群の”ごろごろ水”へ。ここも、前回行ってみたいと思っていたところの一つです。鍾乳洞に湧き出る水の音がゴロゴロという音をたてて、反響することからこの名前が付けられたそうです。本湧水は村の入り口の表鬼門に当たり、三百年を超える御神水の奥にある洞窟から清水が湧き出しており、この水を神聖化して「神の水」として保全されています。次々にたくさんの人が来ては、豊富に流れる水を汲んでいました。もちろん私たちも、その場でゴクゴク飲みながらペットボトル一杯に頂いて行きました♪ この水については前回も紹介しましたが、「水からの伝言」の中で紹介されたその結晶が、天使や魂の結晶とそっくりなのも改めて納得。この天川村を清めている水・・・そしてそこに建っている天河神社の持つエネルギーに、多くの人が惹きつけられるのも、今では良くわかります。また弁財天は、一般には芸能の神様として知られていますが、古来は河の女神であり、本来は河神であったことも知りました。この澄み切った水は、澄んだ魂の象徴のようにも思えます。そのすぐ近くにある蟷螂(とうろう)の岩屋とコウモリの岩屋も、また神秘的。ここも、修行の旧跡で信者の訪れる行場の一つ。中は真っ暗で腰をかがめないと入れないようなので、私たちは遠慮しましたが、ここでも柾至は気に入って出たり入ったり。入り口の前に立っているだけで霊気を感じるようなところでした。名水のごま豆腐もゲットして、天川村もいよいよ出発。玉置神社に行っていたら、この洞川には来れなかったわけで、それを考えると予定を変更して、やっぱり良かったのだと思いました。

 橿原に向かう道は、途中で旧道に入り、車一台がやっとの山道をスリリングに走りました。すっかり運転にも慣れた(慣らされた!?)M.Jさんでしたが、橿原神宮に辿り着いた時には、さすがにグッタリ。無理もありません・・・ご苦労様です。(^^; 最後に行った橿原神宮は、前回のワークショップ主催の宮本さんのお勧め。境内は神々しく、壮大なスケールには圧倒されます。本殿は重要文化財にも指定されており、森林遊苑は日本の森林植物の2/3、350種もの樹木が茂っているそうです。この神宮は、神武天皇が日向国・高千穂を進発し、艱難辛苦を重ねた6年後に大和国に入られて、皇位を営み即位したところです。また、神武天皇は「ヒノモト」、つまり「日本」という国名の源の言葉を、 あの天河神社で天から賜っていたと言い伝えられていたとのこと・・・。ここに来るちょうど2週間前に宮崎に行ったのは、八紘一宇の理想を掲げて国を始められた神武天皇の願いを、受け止めるためだったのでしょうか・・・。

 奈良を発つまでの残りの時間・・・最後に、大神神社へと向かいました。約30分で着く予定が、国道での大渋滞。帰りの便に間に合わないかも知れないので、途中何度もあきらめて戻ろうかと思いましたが、ここまで来たならあともう少し・・と祈るようにして、ようやく到着。大きな大きな鳥居をくぐり抜け、何とか参拝だけでもと、広くて長い参道をここでもダッシュ!(ハア〜) 三輪山を御神体とする大神神社は、日本最古の神社で大和国の一之宮です。大国主神が、自らの幸魂・奇魂を三輪山にお鎮めになったことに始まり、人間生活万般の基礎を築かれた神様でもあり、古くから特別なエネルギーのある神社と言われているそうです。私が行ってみたいと思ったもう一つの理由は、少彦名神を配祀として祀ってあるからでした。少彦名神は、イエス様と関係があると大田さんから聞いていたので、この機会に柾至を連れて行ってみたいと思ったのです。この神社もとにかく広くて、境内に生い茂る杉は、”巳の神杉”を始めとして、神霊の宿る神樹、神霊の宿る霊木として崇拝されています。蛇は、三輪の神の原初の形とされ、水の神とも雷神ともなり、やがては国家神的な神に至ったと考えられているそうです。そのためか、手水舎には龍の代わりに蛇が使われていました。あいにく時間がなかったので、参拝するのがやっとでしたが、ここもいずれまた来ることになりそうな気がしました。帰りも渋滞だったのですが、迂回路のサインが出ていたので、イチかバチかで行ってみると、スムーズに道に出て、間に合うことが出来ました。そうして、兄たちに別れを告げ、最終の飛行機で帰り着きました。

 前回は天河にどっぷり浸っていましたが、今回は盛りだくさんでした。今思っても、良くあれだけの時間にいろいろなことがあったなと思えるくらいに、中身の濃い充実した二日間でした。当初の予定は、2泊して1日はゆっくり天河神社で過ごし、次の日はみたらい渓谷や洞川温泉の辺りを、1日かけてゆっくり散策するつもりでした。それが、まず最初はM.Jさんがどうしても休みが取れなくて、1泊しか出来ないことになり、最初は何とかならないのかなあとも思ったのですが、それが出来ないのは1泊で良いと言うことだと気づきました。それから、玉置神社に橿原や大神神社と次々に加わり、かなりのハードスケジュールなのはわかっていましたが、用意されたのなら行くしかなく、内なる声と導きに従おうと思いました。前回の目的は果たすことが出来、そして今回は玉置に行けなかったことで、またここに帰って来れるのだと確信しました。兄たちも初めてでしたが、とても感激していて、また必ず来たいと言っていますし、今度は玉置神社からその周辺をゆっくり廻ろうと話しています。玉置から高野山は近いみたいですし、どちらも天河とは所縁が深いところです。それに玉置のすぐ近くには、また龍の名の付く温泉や場所があることもわかり、また来なければ・・・って感じです♪ 前回同様、また次のために残しておいてくれたみたいです。今回、天河以外の神社にも行って、この日本という国の美しさ、素晴らしさを改めて感じることが出来、この国に生まれたことを誇りに思えました。それも、6月ごろから繰り返し来ていたメッセージでしたが、その意味がここで実感として感じることが出来ました。全く、いつもながら無駄がないと言うか、その隙の入る余地もないような二日間で、文字通りここでも良く走らされました(笑)。(普段も良く駆けてます・・・^^) そうでなければ、それぞれの場所はどこも一日かけて過ごしたいようなところばかりだったのですが、今はそんな悠長なことを言っている場合ではなかったのでしょう。時間も有効に使うときで、今のこの瞬間・瞬間を無駄にしないで大切に使いなさいと言うことでしょうね。実は、天河に行くと決めてから、実際に来る前までもいろいろあり、帰ってからもまた次々に気づくことがあり、それらの一つ一つが繋がっていました。 この話はまた次回のお楽しみ☆

この二日間の写真です。(2ページ) 

8月 17日
 ここ数日間、続けてお休みを取ったので、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごすことが出来ました。でも、それにもまた別の(本来の)意味があったみたいです。12・13日と父と3人で宮崎への一泊旅行。それぞれのスケジュールに合わせると、この日しかなかったので自動的にこのツアーになったのです。特に宮崎に興味があったわけではなく、温泉に泊まれればいいぐらいの気持ちで出発しました。最初に昼食に降りたところが、酒泉の杜というお酒のテーマパーク。そこの案内を見ると、「水の郷・綾」と書いています。いきなり、最初に出てきました。続いて次のスポットは平和台。思わず球場かしら・・・と思ったくらいに(笑)、何も知らなかったのですが、ガイドさんの説明を聞いてあらあら! そこには世界平和の祈りを込めた平和の塔「八紘一宇」があるとのこと。その塔は、高さ37Mで四隅には4人の神様(荒魂・幸魂・奇魂・和魂)が祀られていました。宇宙には八つの柱が立っていて、その八つの柱の中で一つの家族のように”八紘一宇”にして世界の平和が続きますように・・・との願いがあるそうです。その塔の中には、神武天皇に関するものが納められているそうで、その扉には神武天皇が海を渡って行く様子が、レリーフとして描かれていました。広場にある踏み石に立って拍手を打つと、音が共鳴して、それに応えるかのように塔から音が返ってくるのです。
 宮崎は、日向の国と言われるように、お日様がいつも照っていてお日様に向かっていることから、神様の鎮座する場所として選ばれたところだったとか。そして、世界は日本の元に一つになり、その宮崎から平和を発信しようという平和の理念を、この塔の中に込めているとの説明がありました。宿泊したホテルは、市内にあるごく普通のホテルだったのですが、宮崎の温泉は「たまゆらの湯」と呼ばれていて、そこのホテルの露天風呂には「みそぎの湯」と名づけられています。その夜、私がその温泉に入ったと同時に、雷がゴロゴロ鳴り始めました。脱衣所のところには、私がいつも唱えていた祝詞の一部が書かれて、その意味が説明されていました。
 「・・・・筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、御禊祓へ給ひし時に生りませる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば 祓へ給え 清め給えと白す事を 聞こし食せと 恐み恐みも白す」 その阿波岐原というのは、宮崎市内にある一ツ葉浜のことらしく、このホテルは橘橋のすぐ横にあるのです。翌朝は、起きてみると何と激しい大雨。がっかりしていた父に「大丈夫、大丈夫! 外に出るまでにあがるから・・・」と、朝風呂に入ったら、わずか数分の間に雲が晴れて空が明るくなっていました。昨夜はずっと雷が鳴っていたようで、私もここで禊をしてもらったような感じでした。バスの中では再び雨が降っていましたが、日向岬に降りる頃には止んで、一回りしてバスに乗り込む頃には降り出すという、いつものパターン。
 そして最後は、このツアーのメインである高千穂峡。約10数年前に一度訪れたことがあったのですが、その頃は神話に興味があるわけでもなく、ただ渓谷がきれいだな〜と思って見ていました。天の岩戸伝説のことを知ってから、いつかまた行ってみたいと思っていた場所です。今回、たまたまツアーに含まれていたのですが、だからと言って特に期待していたわけでもなく、少しでも見れたらラッキー!ぐらいの気持ちでした。来る途中でも激しく雨が降っていて、中で昼食を食べている頃もザーザー降りだったのですが、集合して散策する頃には、すっかり小降りになっていました。
 建国神話の天孫降臨の地で神々の里である高千穂は、宮崎・熊本・大分の三県にまたがっています。 柱状節理と呼ばれる柱を 集めたような崖が垂直にそびえて迫力があり、その前に見た馬ヶ背ともよく似ていて、馬ヶ背が海によるものなら、高千穂は川で、どちらも大自然が創った芸術品といった感じです。 阿蘇溶岩台地を侵食して出来た峡谷に落ちる滝もきれいです。下を流れる渓谷の水は、深い深い青。時間があれば、いつまでもそこで過ごしたい・・・。これが時間の限られているツアーの残念なところ。それだけに、もう一度自分たちで来なくては!今度は、ゆっくりと一泊して、神社も参拝して天の岩戸にも行ってみたいし、お神楽も見てみたい・・・そう心に誓いながら、高千穂を後にしました。帰りのバスの中では、神話の話もたくさんして頂きました。そのガイドさんが、とにかく素晴らしくて、この間ほとんどの方が眠っていたようですが、私は夢中になってお話を聞いていました。帰ってから、写真を見てみると、またまた唖然!そこで撮った写真のうちの数枚が、幣立の写真のようにエネルギーでブレていたのです。12日の朝のカードは「Transformation」で、天使が光りに変わろうとしています。偶然このツアーになったのではなく、それも全ては宇宙の計画通り。訪れた場所、泊まったホテル、案内してくれたガイドさんに天気まで何もかも・・・。
 バスの中で読んでいた「心のとびら 太陽への道」の本の中にも、その答えがありました。宮主は、現実において起きている出来事は全て、神様の世界で計画された神しぐみであり、その計画とは全ての人々が安心して、平和に暮らせる世の中にするためのものなのだと言われています。宮主は、御神示という形で神様からのメッセージを受け取っていますが、そのことについては、このように書かれています。

(大きな御神示を受け取ったときのこと) 
・・・これは大変なことになった。どうしようと思ってはみても、口に出してお受けした以上やるしかありません。御神示は絶対なのです。そして素直に従ってこそ、事が成就いたすことは何回も体験してまいりましたので、このたびも、大神様におまかせすることにしたのでございます。
 しかし、ただおまかせするといっても何もせず黙っていたのでは事は運びません。・・・実行する、自らがしっかり動くことにより、その事が真にかなったものであるならば、驚くほどの早さで事はどんどん運ばれてまいるのです。必ず御神示は実行いたすことなのです。そうしますと必ず結果が現れます。良き結果は良き行動があったればこそなのです。
 
 いつも皆様に申すとおり、素直な心で大神様の御神示のとおり実行すれば、必ず最良の結果となるのです。
 大神様は必要なときに必要なものを与えると申されます。・・・神しぐみとは自分の知らないうちに、神仏様たちの御意志どおりに動かされながら、神仏様の御意志を達成していくことです。

 ・・・神様の御力をいただこうと思ったならば、まず必ず行動することなのです。無理難題と己の頭の中で考えたとしても、とても解決できるものではございません。まず、神様を素直に信じ、たとえ無理とわかっていることでも御神示のとおり事を起こし、また自らが行動することなのです。
 このときに、忙しいから無理、と判断をくだしてしまえば、神事は成立しなくなってしまうのです。しかしながら、大神様が「出来ることだからさせるのじゃ」とつねづね申されるとおり、たとえどんなに困難と思えることでも、決心一つで事を乗り切ることができてしまいますから不思議です。これは、まかせきったならば必ずお運びがあるということだと思います。

・・・神様から持ち上げていただけるようになるには、神様から認めていただくしかないのです。神様から認めていただくには、神様に対して素直になることが一番大事です。

 今回もまた、自分でも気づかぬ内に動かされているのを感じました。それも、出会ったものや与えられたものは、全て必要なものとして素直に受け入れ、行動に移すようにしているからかもしれません。何でも事を起こしてみないと、どうなるかはわからないものです。迷ったり、考えたりしている間に、どんどん時は過ぎてしまいます。宮主も「御神示がございましたら、すぐさま行動にうつさなければなりません。すぐ動くことで物事が整ってくるのです。動くことにより心も定まってくるのです。」と言われているように、早く行動に移せば、それだけ早く結果が出てきます。例え、その結果が最初に思っていたようなことではなかったとしても、それ以上のことが待っていることもありますし、早く気づけば修正するのも簡単です。私にもいつも期待以上のことが起こっています。特に、これからは時間を出来るだけ有効に使って行ったほうが良いでしょう。そして、必要なのは完全なる信頼と信念を持つこと。
 信念については、次のように言われています。

 信念というのは、信じて念ずることです。念は今の心と書きます。今の心の状態をしっかり信ずることが出来る。これが信念です。
 信念を持つとどのようになるか。まず強くなります。強い自分が出来上がります。またやる気が出てきます。この「やる気」を出すのが非常に難しいのですが、やる気を出して信念を持つと自信につながります。
・・・人間は信念を持って行動するのと、信念を持たずに行動するのとでは、結果がまるで違います。・・・魂が目覚めますと、おのずから信念が湧き上がってきます。与えられるものではなく、信念は内から湧き上がってくるものなのです。・・・やらなくてはならないと内側から湧き上がってきた時に、本物の力が生ずるのです。・・・人間はのん気にしているから、いただくものものん気になる。ところが、いったん、事が起きると「神様、神様」と必死になります。事が起きてはじめてわからせていただくのが神様です。

 ・・・自分の仕事でもそうです。目標を持って仕事をしなければ、何にもならないのです。これだけは何としてもやらなくてはならない、という自覚から始めていただきたいと思います。信念を持つということは自覚を持つことなのです。自覚することとは自分を覚えることです。自分を覚えることは、自分に目覚めるということです。心が表に出ている人は、魂を目覚めさせて下さい。魂が目覚めると、やるべきことが見えてきます。
 私は、御奉仕させていただいていつもありがたいと思いますことは、どんなときでも信じていられるということです。どんなときでも、神様を信じ切らせていただけるからこそ今の私があるのです。神様は「信ずるものは救われる」と言われます。信ずることは人の言うことを理解することなのです。信ずることで強くなれるのです。

 出口王仁三郎さんの遺言書や「太神の布告」の本には「大和之宮の存在がわかるのは千人に一人しかいないでしょう」とはっきりと書かれていて、大神様からは「この宮に集うものは前世からの縁により神々がまいらせるものなり」との御神示も受け取っているそうです。大和之宮の神殿は、檜で建てるようにとの御神示により、導き通りに天河神社に参拝して、御祭神の大弁財天様のお導きで吉野檜を授かり、総檜で建立されたことを、このとき知りました。宮主こと安食天恵さんに、この時期に出会うことが出来たのも神しぐみの一つだったようです。
 また、この間に宮主の別の著書をめくっていたら、平和の塔にあった四つの魂の働きについての説明がありました。

 荒魂(あらみたま)の働きは、ここ一番のときに力を発揮する魂の働きであり、物事を実行するときに、この荒魂は大きく働いてくる。言い換えれば「勇気」になる。

 和魂(にぎみたま)は、和の力の働き。和の力を強めるには仲良くすること。仲良くするということは、許すこと、許しあうこと。気持ちを許すことで互いに認め合うことができる。(荒魂は、反対に気持ちを引き締めるもの。)
 和の力は、「宇宙、真理みな溶け合うこと」 溶け合うということは、やがてはさまざまなものが混ざっていても一つのものになる、透き通るようになるということ。神様と人が一体になる神人合一とは、このように透き通るがごとく透明になるのと同じ。
 
 幸魂(さちみたま)の働きは、無償の愛、代償を求めない愛。大きく言うと、平和を愛する心、人類愛、全体的な愛。大神様の愛であり、菩薩様の愛の心。生きとし生けるものすべてに平等愛をかけるもの。(和魂は情愛的なもの、身近な愛、親子の感情愛、また恋愛感情の愛というような身近な愛)

 奇魂(くしみたま)の働きは、知恵・証覚の働き。知恵とは、生まれながらして神様から与えられたものであり、内なるところから湧いてくるもの。証覚とは、覚り明かすこと。証をもって神を覚るもの。知恵として覚ったものを明かすこと。証をもって宇宙の真理に徹することができるのが証覚で、常に人間は冷静でなくてはならない。


 皇室の御紋としてもよく知られている、十六花弁の菊の紋には、この四魂の相互作用十六通りの意味があるそうです。こうして、必要なことも、本当にベストなタイミングで教えて頂けるようになっています。ここで思い出したのが、マイブームの「犬夜叉」。ちょうど単行本をM.Jさんから借りていたところでした。それには四魂の玉が出てくるのですが、その説明として・・・この世の物は人間も動物も木も石も、四つの魂で出来ていて、これらがそろって一霊となり、肉体に宿ったのが心であること。これら四魂が正しく働いた一霊は直霊(なおひ)といい、人心は正しく保たれる。悪行を行えば、四魂の働きは邪悪に転び、一霊は曲霊(まがつひ)となり、人は道を誤る。つまり魂は良くも悪くもなる。・・・  これで、私が「犬夜叉」に夢中になってしまうのも、良くわかりますね〜(笑)。 どんなものでも、出会うものに無駄なものはないってことですね。しかも、素直に受け入れることで、楽しく喜びを感じながら学んで、魂を成長させて行くことが出来ます。この宮崎ツアーもその一つで、来週天河に行くにあたって、温泉で禊をして、高千穂で神々のエネルギーを受け取って、準備をさせて頂いたように感じています。また、このときに神武天皇に関することに出会ったのも、天河の他に橿原神宮という神武天皇が即位したという神社を予定に入れていたことと繋がっているようです。そして、下調べにと前回主催された宮本さんのHPをチェックしたら、そこにも八紘一宇の説明があり、「神武天皇の八紘一宇の真の意味は、天地四方の果てに至るまで、この地球上に存在する民族が、あたかも一軒の家の中に住むように、皆仲良く暮らすこと、要するに世界平和の理想を掲げたものである」と書かれていました。天河に行くのが、ますます楽しみになってきました♪

 宮崎から帰った翌日からはキャンプに参加しました。30人くらいの子供たちに、親子で参加していたのが6組。そこでも、おもしろい出会いがありました。何気ない会話の中で、あるご夫婦から蘇生水がすごく良いと聞いて勧められているとのお話が出ました! どこで知ったのかしらと思いきや、何とご主人は、私が以前受けたクラニオをベースにしたセミナーを主催したYさんから、時々セッションを受けているとのこと。そのうえ、ライトボディも同じティーチャーから受けていたり、さらには10年ぐらい前、あるお寺に住み着いていた頃、天河の柿坂宮司とお会いして一緒に食事をしたことがあり、そのときに天河神社に来るように誘われたこともあったとか・・・!このキャンプの間に蘇生水を取り付けることを決めたそうです。他のお母さん方ともいろいろお話して、また一緒に会おうということにもなりました。これも、な〜んにも考えないで参加したものでしたが、宇宙の計画の一つだったのでしょうね。こんな時ですから、ゆっくり考えているヒマもないくらいに、いろいろなことを次々に起こしてくれています。それだけまた流れが早くなっているのですが、これからも一つ一つのことは大切に受け止めて行きたいと思っています☆

 「わかりました。神様、ついて行きます」と行ったときは、その道が素晴らしい光りのある、広い道に変わるのです。
 「よき因縁のもとには、よき魂が集まってまいるのじゃ。集めるものではない。真実の言霊を発することにより目覚めたるものは集まってくるでのう。そのところよくわきまえよ」

 真の道は一つなり 縁あるものは来る
宇宙真理は永久不変です。宇宙真理とはみな融けあうことなのです。つまりは和合致すことになるのです。和を成すには、すべてのものが助け合い、歩みより丸く回るがごとく、自然の摂理に基づいて生きていることなのです。和を求める人は和を人に与えることになるのです。故に和は大きくなるほど、人の輪も大きくなるのです。縁とはそのようにして広がっていくものです。真理を求める心が縁を求める心につながっていくのです。私たちは縁を尊び喜んで和の中に入れてあげましょう。

高千穂の写真です。
(ちゃんと写っている写真は、”まさしの一日”でアップしますね)

 
7月 31日
 27日は、大和之宮の宮主である安食天恵さんの講話会に行ってきました。安食さんは、ご長男出産のときから神霊の世界に携わるようになり、宇宙霊界と神霊界より啓示を受け、大和真道(古神道)の普及につとめている方です。TRVを主催したYさんに、いいお話が聞けるからとお誘いを受けたもので、私も日本の神々様のことをもっと知りたいと思っていたので、この日も朝から楽しみにしていました。この日のエンジェルのメッセージは、”Birth” (幣立に行ったときと同じです) また私の中で何かが生まれる・・・そんな予感。 この日、サードを受けたS.Nさん、午後セッションに来たE.KさんにM.Sさんもお誘いして、それぞれに子供達も一緒に連れて行きました。地球を救う役目を持っているという大神様(天照大御神)から頂いた御神示によるお話は、どれも心に響くものばかりでした。その一部を紹介すると・・・  

 毎日を感謝することと反省すること。この”ありがとう”と”ごめんなさい”の繰り返しは、物凄く大きなエネルギーを発生させる。魂を曇らないようにさせるには、笑顔が大切。魂が一番澄んでいる状態の時にしか出ないのが笑顔であり、一番願い事が通じやすくなる。お祈りの最後に神様に笑顔を見せると、神様が笑顔で返してくれる。
 困った時ほど、ありがとうの気持ちを持つようにする。有難うとは、難が有るからありがとうの意味である。悪口は悪い波動を引き寄せ、人を褒め称えると良いものへの入り口に繋がる。忘れて当たり前、間違えてしまって当たり前、当たり前のハードルを高くして、相手の人を使って自分に教えてくれたことに気づくこと。
 行は難しいものでもなく、全て家庭で出来る。神事と家庭・家族は同じ線上に並んでいる。家庭は家の庭であり、手入れが大切。”きれい・清潔・明るく・楽しく・希望”の心で。 

 この世は競争の波動が渦巻いているが、ケンカをしても謝ってから眠るようにする。円満とは、円が満るもと。夜寝る前に毎日のありがとう。日本に生まれたこと、命を頂いたこと、周りの全てにありがとう。願わなくても毎日お祈りしていると、叶えてくれる。(確かに!)自分を一番相応しい道に導いて下さり、ありがとうございますと、全てをお任せすること。(お任せ大好き♪ 神への全托!)

 神様が好きということは、自分が好きであること。自分を変えるのは簡単。その日から意識を変えればいいだけであり、神様に手を合わせると中が変わって行く。全てが今の積み重ねであり、結果は形として表れる。朝の6時は、天と地が繋がるときで、目に見えない糸が繋がる(この時間は、ちょうど祝詞と感謝行を唱えて、お祈りをしている頃かな・・) 神社やお寺に行くことは、霊界に行くことと同じ。神社の石段は、感謝をすることで段があがり、一段一段上がって行くことを表している(なるほど・・・) 

 神様に向かう時は、心が澄んでいないと駄目。(天河ワークの宮本さんもこう言われていました。 ”悪い幽霊を見るのは意識の状態が下がって、そうしたものと波長が合いやすいからだといいます。ちょうどそれとは反対に、神と波長を合わせて、神とつながり、神気を受けとめるためには、自分の意識や気の状態をそれ相応に高めておかなければならないのです ” それは、天使や宇宙の高次元の存在たちとの繋がりにも言えることですね。) 
 神様のこれからの計画は、大浄化・大建設・大調和・大融合・大天意。今年から3年間が一番危険な年。魂が生きたまま救われる人、天に帰ってから救われる人、全くわからない人と、魂が登って行く人とそうでない人に今年から大きく道が分かれる。(また同じメッセージです・・・) 今年の危険月は、8月・9月・10月。地球をきれいにして行くことが大切。言葉・礼儀・水・禊(みそぎ)を大切にすること。(そう言えば、禊は川の水を浴びて身を清めることでしたね) 
 神様は水がないと駄目なので、水を大切にする。汚い水を飲むから、人々の心が汚れている。まずは汚い水を飲まないようにすること。いい水は魂や心がきれいになり、細胞が活性化し、病気もなくなり、エネルギーも強くなる。浄化とは、文字が表すように争いも水に流すことである。(そうでした・・・) 

 日本の地図をひっくり返して見ると、龍の形を表していて、その頭は九州であることから、九州は日本の中心であり、世界の中心は日本だから、九州が動くことから世の中が動く。また福岡は脳に当たることから発信地でもある。だから、みんなの意識があがることから、日本全体の意識が変わる。(やっぱり、そうなの〜!?)

 他にもたくさん良いお話があり、どのお話も今まで受け取ってきたものと重なっていて、またまた再確認でした。水の話が出たときは、周りのみんなと顔を合わせて、出た〜!(^^) 柾至は退屈するどころか、安食宮主のお話を楽しそうに聞いていて、水の話のときは、持ってきたボトルを取り出して、うれしそうに飲んでいました(笑)。予定よりも時間を1時間近く過ぎていましたが、その後である場所を選んで宇宙との交信を見せてくれるとのことで、車で大移動しました。車の中で見た月は、何と金色に輝いていて、それはそれはきれいでした!このあとに起こることを予兆しているかのように・・・。

 安食宮主は、地球防衛の役目を持った金星の使者であるテレベート様とも交信をされているそうです。そこは、人気のない海の近くの公園でした。しばらくしてから、ゴーッと言う音と共に上空に光る小さな物体が動いているのが見えました。途中で見失ったと思ったら、「あそこに来ています」と宮主。宮主のお言葉に答えるように、光りの色を次々に変えながら、二つに分かれたり、合体したりして、私たちにもわかるように見せてくれました。私もこのような形で見たのは全く初めてだったので、目の前で見てもすぐには信じられないような気持ちもあったのですが、どう見ても普通の動きではなく、それも上空ではなくて同じ目線で見えるように動いていたのです。オレンジに赤に緑と色を変えていましたが、それぞれには意味があり、オレンジは反省、赤は警告、緑は平和のメッセージだと言われていました。
 宮主の話し声が変わったと思ったら、それはテレベート様からのメッセージでした。「・・・いま地球は危険な状態です。あなたたちの魂は、まだまだだから、意識をあげるように頑張ってください。きれいな水を飲んでください・・・」などを繰り返していました。宮主は、終わると少しふらっとしていましたが、水を飲むと落ち着いたようでした。後で他の方から聞いたところでは、以前は交信中に倒れたりすることもあったそうです。そのあと、みんなでテレベート様からのエネルギーを頂きました。気が付くと、何とそれまで金色に光っていた月は、濃いオレンジ色に変わり、それが最後には暗い赤に変わったのです。あんな色の月を見るのも初めてでした。それも、私たちへの宇宙からの警告だったようです。「もう二度とあんな月を見ないように、みんなで意識を上げるように頑張ろう〜」とYさん。それは、その場にいたみんなが感じたことだと思います。一旦終わって解散になっても、なかなかその場から離れられずにいると、遅れて来た人がいて、その人たちのために最後にまた光って見せてくれていました。
 そこには、どれくらいいたのでしょう。何時の間にか、電車も最終には間に合わない時間になっていたので、タクシーで帰ろうと思っていたら、最後まで送り届けてくれる人がいたのです。しかもその人は宮崎から来ていて、そのあと4時間かけて帰らなくてはいけなかったのに・・・。本当に感謝でした。M.SさんのSくんや柾至も感激していました。彼らにとっても、この日に見たことは一生忘れられない体験になることでしょう。

  それが、まだそこで終わりではなく、Yさんから次の日の朝6時には宮主と護国神社に参拝に行くからと聞き、長い夜の後でしたが、私たちも行くことにしたのです。柾至には、朝早いから家にいるように言っても、「大丈夫、ボクも行きたい!」と言い張るのです。家に着いてベッドに入ったのは、1時もかなり過ぎた頃・・・。翌朝もまだ眠いはずなのに、私が起こす必要もなく5時前には起きてきて、結局一緒に行くことになりました。行くべきであるということを、彼も本能で感じたのかもしれません。E.Kさんの車でM.Sさんもまた一緒です。昨日の今日ということで、来ていたのは私たちを入れて10人ぐらい。そこでは、正しい参拝の仕方も教わりました。今まで何も知らずに、間違ってしてきたことが多かったこと。例えば、鳥居をくぐって参道を歩く時。真ん中は神様の通り道だから、端を歩くこととか。天河でもお賽銭は静かに入れることと教わったけれど、両手を揃えてあげることとか。(一食分として300円ぐらいが適当なんだそうです) 前日に神社で冷たい風が吹くと、それは神様の気が来ている証拠であることを話されていましたが、参拝の前に「今は全然風がないでしょう?それをよく感じていてね」と宮主。そうして参拝が終わった途端、言われた通りに急にさわやかな風がふわ〜っと吹いてきたのです。そして振り返ってみると、注連縄に垂れ下がっている白くて長い紙(神様の稲光を表しているそうです)が、右端の一つだけが揺れているのです!前に、大田さんがある神社を参拝したときに、同じようなことがあって、それは神様からのお知らせだと聞いたことを思い出しました。
 さらに、ちょうど鳥居を出たあとに、神社の後ろから太陽が顔を見せ始めました。「本当の日本の太陽を見せてあげる」と言って、両手を動かし始め、太陽の見方を教えてもらって見てみると、周りに青白い光りを放って太陽がグルグルと回っているのが見えました。また太陽のエネルギーを飲み込む方法も教えて頂き、みんなで一斉にゴクゴク。その次は、木々の間から見える太陽がピンク色に光っているのに気づき、目を凝らして見てもやっぱりピンク。「太陽がピンクなんですけど・・・」と宮主へ。今度は、そこでまた何やら両手を動かすと、木々の間から見えていた太陽の光りがどんどん強く大きくなっていき、菊のご紋のような形に見えました。菊の御紋というのは、大神様の御神示によって大和之宮の御神紋になっていたそうです。菊には神の声を聞く者の意味があり、太陽が輝く状態を表しているのだとか。そこで思い出したのが、夢に菊の紋が出たと言っていたM.Jさんのお話。(実は、この日の午後、また偶然(!)にもM.Jさんがセッションに来ていて、その話をした翌日、これまた偶然に行くことになった箱崎宮ではお祭があり、至る所に菊の御紋が出てきて驚いたそうです!?) 

 まだまだ、さらに続きます。その後、近くに蓮池があるので、蓮見に行くことになりました。広い蓮池でしたが、一見見たところでは蓮の花は咲いていませんでした。それが、何と歩いていた土手の真ん前にポツンと幾つかだけ咲いているのです! 宮主は、蓮の花がどの位置で咲いているのかが、神様からの答えだと言われていたようで、それが目の前の一番近くに咲いていたので、その時期はもう間もなく来るとのメッセージだと言われました。すると、それに答えるように蓮の葉がゆらゆらと揺れ始めたのです。「その通りだと言っていますよ。こうして、植物は答えてくれるんですよ。」 「蕾も少し開いてきましたね」 その蓮の動きは、風によるものでないことは、私たちにもわかりました。みんなで感動して、お礼を言いながら、蓮に向かって別れを告げると、またそこで一斉に蓮の葉が揺れ始めました。それは、まるで手を振ってくれているかのように・・・。このような現象を、次々に目の前に見せて頂いたことで、神の偉大さと自然界の素晴らしさを改めて感じることが出来ました。近くにあった大きな桜の木の下では、木からのエネルギーの受け取り方も教えて頂きました。

 最後には、藤棚の下でしばらくお話を聞いていました。22日のゴスペルのコンサートに続いて、この二日間も宇宙や神様のエネルギーにたくさん触れることが出来、幸せな時間を過ごしました。今振り返ってみても不思議な感じがします。ここでの体験は、私にとっては自分に生かして行くためでもあり、またこうしてみなさんにも伝えて行く必要があるから与えて頂いた機会だと思います。一緒に行ったM.SさんやE.Kさんにも、それぞれの目的があり、例えばE.Kさんはお腹を触ってもらって(大田さんにも!)、安産出来る方法まで教えて頂いていました。宮主は、柾至が自分から来ると言って来たことにも感心してくれていました。(前の日にも、彼の頭の上に手を置いて何やら入れてくれていたようです) 
 数日前の24日には、またきれいな夕日も見えました。この日は、前日来ていたS.NさんのHちゃんが、夢の中でこの日の夕日のことを知らされていたそうで、ちょうど見終わった頃に電話をかけてきて、その話を聞きました。どんな意味かなと思って考えていたら、7月24日は13の暦では最後の日。マヤンカレンダーの本には、こう書かれていました。「終わりは始まりの暗示。今日という日が、あなたの次の1年を予兆する・終わりよければすべてよし」 8月は危険な月と言われましたが、私はそのために何が起こるのだろうと恐れたり不安になる必要はなくて、この時期は今までの生き方を修正したり、心・身体・魂とあらゆるレベルで浄化させるたり、過去から引きずっていることがあったら、それらをクリアにさせる時。本来の自分の生き方へと進み、神と宇宙と一体になる、その繋がりを取り戻す時であること。そうすれば何も怖がる必要はなくて、むしろ楽しんで進むことが出来るから・・・そのための時期のように感じています。その証拠に、私はむしろワクワクしているのです。これから始まることは、何か自分を成長させてくれることで、それはまた楽しいことのような気がしています。天河にも行けそうだし・・・♪ この日、オマケにわかったことは、美内さんと安食宮主は魂の友達でもあり、「アマテラス」の取材に山形まで会いに来たこともあって、第4巻のお話のモデルにもなっているそうです。(ここだけの話とおっしゃっていましたが・・・^^;) やはり、このあとの天河にも何か関わって来るのでしょうか !? そういえば、前日の27日は神様の計画が成就した日であり、そのことはいずれ分かる時が来るともおっしゃっていました。何かしらねえ・・・♪

 30日は、長崎へ行ってきました。ライトボディを一緒に受けたIさんのところです。それまではどこかの会場を借りてしていたそうなのですが、この時はプライベートクラスで、Iさん親子と私の3人になっていたのです。Iさんは、お寺の住職さんで幼稚園や保育園も経営されている人でした。3回のクラスの間でいろいろお話をしていて、TRVを受ける最初のきっかけはIさんでもあり、名刺をもらって幼稚園の名前を見たときにはビビビッ! (そのときは蘇生水に出会っていて、感覚が鋭くなっていた頃でした)。Iさんも顔が広くて、この世界のいろいろな人も知っていたのに、まだミクロウエーブさんのことは知らなかったので、山田さんをぜひ紹介してあげたいと思ったのです。そのうちいつかは繋がるとは思っていましたが、結局私がその橋渡しになりました。Iさんもぜひ会ってみたいということで、セッティングすることにしました。せっかくだから、一泊してもらってゆっくりお話したいとのリクエストでした。それが、またタイミングよく柾至がキャンプに行ったこの日に、みんなの予定が合って行くことになったのです。この間にも、川又さんの勉強会や安食さんの講話会で、幼稚園の職員さんや奥様とお会いしていたので、準備は整っているって感じでした。保育園は足立育朗さんの設計というだけあって、気持ちの良いエネルギーの素敵な建物でした。前に大田さんのセミナーも職員研修として呼んだことがあるそうで、子供たちには例の帽子も被らせていました。職員さんたちも、みんな話の分かる人たちで良い人ばかり。さすがにお水にはこだわっていて、ボーリングで掘った水にしているとか・・・。だから、蘇生水にもすごく興味を持たれていました。山田さんは長崎出身でもあったのですが、思った通りに会ったときからすっかり意気投合して話が弾んでいました。「あんでるせん」を予約しているとのことで、Iさん御夫婦と4人で行きました。私は全く初めてでしたが、知る人ぞ知る・・と言うか大抵の人は知っているところで、山田さんもその評判は良く聞いて知っていたのに、今までも何度来ようとしても中まで入ることが出来なかったそうです。外から見ても中に入っても小さな古いタイプの喫茶店なのに、その中では凄いことが起こるのです!! 番号札をもらって入ると、壁には桐島洋子さん親子からフミヤ夫妻まで訪れた著名人のサインと写真がズラリ。始まるまでは約2時間ぐらいだったかな・・。小さなカウンターの周りに集まって、私たち4人はイスの上に立ち、何が始まるのかドキドキ。「私は一介のお店のマスターだから・・・」と自分でも言われているのですが、その一見普通のマスターがすることは、サイババよりも凄かった! エハンさん流に言うと、アゴはずれ状態(笑)。マジックなんて言うには、あまりにも凄すぎる!子供の頃だったら、魔法使いと思ったかも。お客さんから出してもらったお札やコインを自由自在に操っている。いきなりお札が宙に浮き、コインにペンがささって穴が開いたと思ったら、次の瞬間には戻っている。お札の中にコインが入って移動したり、大きさも自由自在に変えてしまう。昔で言うなら念力といった感じだけど、スプーン曲げどころか、スプーンもフォークに変わってしまう。トリックは全く使っていないのは、そこで見ている人ならはっきりわかるはず。マスター曰く、「全てはやる人の意識次第。固定観念を変えれば何でも出来る。」ダジャレを言って楽しませながら、よくよく耳を傾けると何とびっくり!宇宙の法則のお話をしているのです。それもマジックを見せながら、折々に・・・。そこで何気に言った一言を、私は聞き逃さなかった(^^)。「ほんとは、これが目的だけど、それだと退屈するから楽しませてあげないとね・・・」みたいなこと。最初は、それだけの凄いパワーを持っているなら、もっと他のことに役立てるのに・・・なんて思ったのです。それだけ常識では信じ難いことをしているから。でも気づきました。それが彼のメッセージの伝え方で、彼の役目なんだと。その気になって、信じれば何だって出来る。不可能なことなんて何もないってこと、人間の持っている力の素晴らしさを、また見せられました。その力は良いことにしか使えないことも、ちゃんとわかっていて、あくまでシンプルにごく普通の生活をしている姿も見え、私は感動してしまいました。安食宮主も、家事をちゃんと自分でこなして、普通の主婦の生活をしながら神事をしていると言われています。そのような凄い力を授かったからと言って、特別な選ばれた人のような生活をするのではなく、三次元の生活をちゃんとしながら、四次元・五次元のことをして行く。それが今の本当の生き方なのだと思いました。店を出て、そんな話をしながら車に乗っていると、目の前には迫力ある変わった形の雲が表れ、私にはそれが神様の横顔に見えたのです。そして、振り返るとバックにはきれいな夕焼け。左には、赤い模様の入ったうろこ雲。それらは、ほんの少しの間しか見えなくて、どんどん形を変えて行きました。最近の空は、ホログラムがはずれて空もクリアになって来ているからか、本当に凄いですね。それは、もう隠し事は出来ない(もう抑えたままではいられない)、全てが明らかになる、そのため本物だけが残り、道がはっきりと分かれる・・・と私たちのこれからの生き方を暗示しているかのように。
 そのあとは、みんなでIさんの行きつけのお店でお食事。そこでもお話が弾んで、楽しく時間を過ごしました。山田さんが蘇生水の話をしていて、新たな事実も発見! 半田先生は弘法大師と繋がりがあるのだそうです。だから、お顔を見たときに神々しさを感じたのでしょうね。そのため、その装置(正式には蘇生エネルギー情報水調整装置)には、弘法大師のエネルギーが入っているのだとか! 山田さんも、こんな話は分かる人にしかしないと言っていましたが・・。それと、何と江本さんの「水からの伝言」にも、この水の結晶が載っていたと知り、またまたびっくり!この水の結晶ってどんなのだろうと思っていたのです。本の中では、最初に水の文字の結晶が写っている水で、そこではー5度の水で出来る結晶として紹介されていますが、それと同じものが蘇生水(ハーモニーウオーター)の結晶なのだそうです。その形は、STSのマークのベースにもなっているそうでした。そして、それは足立さんが書いているシンボルと同じ形なのだそうです。Iさんと、このように繋がったのも自然なことだったのでしょう。おまけに、奥さんは魚座でお嬢さんは蟹座と水の星座。Iさんも早速取り付けることになりました。これから、この繋がりもどんどん広がっていきそうです。楽しみだな〜♪ 
 その日の夜は、嬉野温泉では一番のお湯質で、Iさんお薦めの旅館を取ってくれていました。源泉のみというだけあって、お湯がヌルヌルしていて肌が蕩けてしまいそうでした。私が入ったときは貸切状態だったので、水のボトルを持ちこんで、グビグビ飲みながらゆ〜っくり入りました。(幸せなひととき〜) 小さな旅館なので知らない人が多くて、たまたま来てお風呂に入った人はびっくりするそうです。 朝食は、その温泉水で作っているというお味噌汁が、またおいしくておいしくて・・・♪ 女将さんが、普通のお味噌を使っているけど水を変えるだけで全然味が変わると話していました。また穴場を見つけてしまいました(^^) これは、また長崎に来なさいってことですね。山田さんもこの旅館を気に入って、またみんなで来たいとのこと。楽しみがどんどん増えてきました。7月ももう終わりです。 一日一日を無駄にしないで、大切にして行きましょう。あの宇宙からのメッセージは、とても切実です・・・☆

 24日の夕日と参拝のときの写真の一部です。

7月 20日
 この数日間はまたまたいろいろなことが続きました。まず15日は、ガイアシンフォニーを1番から3番まで観てきました。その数日前に、M.Sさんと「A.I」の映画を観た後でガイアシンフォニーの話が出て、いつか観たいとの話をしていたところ、その夕方にミクロウエーブさんのところに行くと、そこに上映の広告があったのです。今までも観たいと思いながら、場所が遠かったり、タイミングが合わなかったりしてなかなかチャンスがありませんでした。おまけに、その日はちょうど予定を空けていたので、タイミングもベスト!そうして観た映画は、美しい映像と音楽と共に、どれも感動的で素晴らしい内容で、期待を裏切らないものでした。
 
 たった一粒の種から水栽培だけでトマトの巨木を作った野澤さんは、宇宙には無限の生命力があり、その生命力に触れる鍵は心にあると言われ、植物にもちゃんと心があることを見せてくれました。単独で世界で唯一8000M級の山を全て登り尽くした登山家のラインホルトは、自らの肉体の限界に挑戦し、人間の生命力は無限の可能性を持っていることを証明していました。また臨時体験をした中で、人間は2つの次元を生きていることを知り、「スピリット(霊性)・マインド(知性)・ボディ(肉体)の調和こそ人間本来の姿である」と語っています。密猟者のために親を殺されたアフリカ象を育てた動物保護活動家のダフニーのパートでは、死んだ仲間の象の象牙だけを取って隠している象の姿を見て、野生の動物の持つ愛と知恵の深さを見た思いがしました。「自然の全ての現象には、神が宿る」と信じているケルト民族は、「私たちの命は大きな宇宙の命の一部であり、それは永遠に続いている」と伝えています。元宇宙飛行士のラッセルは、人類で最初の宇宙遊泳を経験し、この地球は大部分が水であり、青い大気に覆われた水の惑星であったこと、私達は全てのものが一つに繋がっていて、自分自身の一部であることに気づいたそうです。そして、今がコスミックバース(宇宙的目覚め)のときであり、私達には価値観の転換が必要で、頭ではなく魂―心で理解することが必要だと伝えています。また、進歩した科学は残された自然を守るために使うべきであり、科学者が一般の人々みんなと一緒になって、一人一人が自分自身の場で自分自身のやり方で学ぶことが大切であると・・・。第二番での「グランブルー」のモデルにもなったジャック・マイヨールも、自然に学びながら自然と生きること、自然と調和したときに無限の可能性が生まれると語っています。時代が変わっても、水の記憶だけは変わらず、はっきりと残っていると、第一番と共にここでも水がテーマになっていました。先月、夢に出て来たダライラマ14世は、茶目っ気のある話し方で、やはり今こそが地球規模の気づきが必要なのだと言われます。また自分たちだけが幸せになれば良いというのは時代遅れで、それぞれの多様性を認めて、自然の命に手を加えながら、元の本来の良さを出すこと。自分に出来ることを精一杯やるだけ、そうやって無意識にやっていることが人の心を響かせる、それが本物であると伝えていました。佐藤初女さんのことは、いろいろな方から聞いていたので以前より興味を持っていました。弘前の雪景色を見ていると、真冬のカナダを思い出しました。1年の半分は寒い冬、でもそれがあるからこそ春の芽吹きの美しさと有難さを感じているところも同じでした。その雪のように純粋な心を持って、いつまでも童女のような雰囲気の初女さんは、他人のために働くのは天性で、相手の喜ぶのが自分の生きる力になっていること。大切なのは気づきで、そのために自然の全てに命があり、心がある。一人一人に神が宿っているから、どんな人に出会っても、それはその人との神との出会いだと思っていること。祈りとは生活そのものだとして、毎日の生活にその祈りを実践して生かしている姿には、心打たれます。それに、何といってもあのおいしそうな初女さんの手料理! ぜひ食べてみたいものです♪ 第三番では、撮影中に亡くなった星野道夫さんを中心に語られていました。彼は、人間と自然の営みとの調和が大切であることを理解していました。彼の友人たちが語ったことは・・・人が心に描いたことは必ず実現する、それが神が人間に与えた創造力。土地や自然に良いことをしても悪いことをしても、それは必ず返ってくる。自分の出来ることから始めると、それが結果として全てのもののためになる。最後にネイティブの友人が語ったことは、「良いことだけを考えなさい、他の人に悪いことを言ってはいけない。特に自分自身に対しては・・・」

 「地球の声が聞こえますか」の呼びかけで始まるこの映画が、公開されたのは1992年。自然と一体になり自然と共に生きている彼らの生き方を通して、宇宙は同じメッセージを送り続けています。科学の発達と共に起こった地球の環境問題も、私たち一人一人の心の在り方で変えて行くことが出来るのだと・・・。なぜなら、私たちは無限の可能性を秘めているのだから。大抵の方達がすでに観ている映画なのに、今まで観る機会を与えられなかったのも、ちゃんと意味があったようです。今年に入った頃から、山に登ったり、急にウオーキングに参加したりと、自然と接する機会が多くなっていました。それも、自然の中で過ごすことの楽しさを知り、自然の素晴らしさを直接感じるためでもあったのでしょう。今だからこそ、この映画のメッセージを心で理解出来たような気がしています。まずは、自分の周りから、私も出来ることから始めて行きたいと思います。誰かに任せるのではなく、一人一人が意識して行動に移して行くことが大切だと思うから。その具体的な方法として、蘇生水との出会いがすでに与えられていますから、それは本当に有難いことだと思いました。例え時間が充分に取れなくても、毎日の生活の中でごく自然に無理なく、かつ身体の中から進化させて行きながら、自然にも役立たせることが出来るのですから・・・。 この日のカードは、”inspiration”でしたが、気づきのメッセージはこれだけではありませんでした。

 この数日前に、ご無沙汰していた方から電話があり、お互いに近況を話している中で天河の話が出ました。そのときに、数日前に夢の中でお世話になった神官さんが出て来たことを思い出しました。ちょうどこの週末、天河では宮下さんがコンサートをしたり、17日には年に一度の大祭も行われます。そうして天河に思いを巡らせていた頃、14日には一緒に行ったM.Jさんがセッションに来ました。久しぶりにお顔を見て、あらびっくり! それもそのはず、念願叶って二日前に蘇生水を取り付けていたのでした。二日目のお風呂のときには、余分な角質層が自然とボロボロ取れてきたのだそうです。初めて来た時は、お肌も疲れていて肌荒れ気味でしたが、彼女もまたセッションを受ける度に、どんどん肌の調子が良くなり、家族や同僚から指摘されるぐらいになっていました。それにしても、たった二日間で一皮ツルンと向けたみたいにツヤツヤして素肌とは思えないくらいになっていて、私も思わず感激してしまいました。お顔だけでなく首や手足など、どこの肌を見てもピカピカ。これもギフトですね。この日は、セッションが終わって部屋を出て窓の外を見ると、突然激しい大雨が降り始めたのです。しかも空は晴れて陽が射しているのに・・・。その時にも何かありそうな予感はありました。そのあと、彼女が撮った天河の写真を見せてもらいましたが、その中にはきれいなたまゆらもあり、六角岩の川辺の写真には不思議な紋様がはっきりと写っていました。そして、彼女も数日前に行方不明だった天河のCDが突然出て来たとのこと。またいずれ行く時が来るとは思っていましたが、同じ時期にそれぞれに天河との関わりを持っていたことで、今からまた準備をするときだと感じ、来月再び一緒に天河に行くことを決めました。

その日の夕方のことです。急に部屋全体がオレンジ色に染まったのを見て、柾至と2人でダッシュしてベランダへ。すると、オレンジの空に紫がかった光りのカーテンのようなものが掛かっていて、その下には一際目立つ雲が見えました。まるで龍の頭の上に小さな天使が乗っているかのようにも見え、そのうちその龍が口を開けたような形になり、小さな天使は空へと帰って行きました。そのあとは、髪の長い美しい天使の姿が表れてきました。まるで何かのショーを見せられているみたい。すると、M.Jさんも帰りにその空を見ていたとのこと。しかも、虹のおまけつきで・・・。

さらに、次の日観たガイアシンフォニー第一番のケルトのシーンでは、突然神社の映像が映り、まさかと思ったら、やっぱり天河神社。それについては映画の中では何の解説もありませんでしたが、ケルトの象徴である渦巻き模様は、生命の永遠性を表しているとのメッセージが出て、その背景にはケルトの渦巻きを3つ合わせた形の映像が映し出されて、またまたびっくり! それは、まさしく五十鈴の形そのものでした。

そして、次は18日。この日は、TRV(リモートヴューイング)の勉強会をしていました。私はターゲットとして、天河神社を選びました。以前セミナーで幣立を出したときは、天の岩戸まで出てきたりして、私もすっかりコーフン状態でしたが、このときもヴューアー(情報を得る人)は、次々に来る渦巻状の強いエネルギーを感じたそうです。そして最後には、蛇と龍まで出てきて今回もバッチリ大成功!! 終わってそのセッションのことをみんなでシェアリングしていたとき、私の周りでキラキラ光りが舞い始めたのです。私はその光りを目で追いかけながら一人でエキサイト!「私にも見せて〜」と周りの人たち(笑)。前日の空といい、これは天河に行っても良いとのお許しなのかな・・・なんて思っています。何しろ、この次々に畳み掛けるような連続技は、私の天使たちの得意技なもので・・・(^^)。本当にいつも手が込んでいて感心しちゃいます(笑)。

 そうそう、メッセージはもう一つありました。M.Jさんのメールで、私の星座である蟹座が希望と正義・成長の星である木星に入ったのが13日だったとのこと。これは12年ぶりで、蟹座にとってはすごく良いことらしいのですが、それだけではなく、過去も希望の星が同情の星座に入ると世界的に啓蒙的な出来事が起こっているとのこと。それを聞いて自分の12年前を振り返ってみると・・・その年は、長年の念願であった一人暮らしを始めたときで、それも突然その機会をベストな状況で与えられ、それに乗っかった私は仕事も急に辞めることになり(自活し始めたばかりなのに!)、人間関係もすっかり変化し(本当に合う人達との出会いが続き)、その頃知り合った彼と数ヵ月後には結婚して東京に行きました。あのときも周りが驚く位に早かったけれど、今度はもしかしてそれ以上? またワクワクしてきちゃいました♪ 早速兄にも知らせてあげなくっちゃ!(兄とは1日違い) こうして、最近またいろいろなことが重なってきています。う〜ん、今度は何かしら? でもそれも、楽しいことなのは間違いないみたい。 これからも、それに応えられるように頑張ろう〜☆

・・・と、ここでアップさせるつもりでいたのですが、20日に勉強会のお誘いを受け、それが今のこの時期に関連した内容のようだったので、急遽予約を変更して頂き(ご協力ありがとうございました)、参加してきました。科学者で本も出版されている川又審一郎さんが、今の地球の宇宙的変化について、科学的な側面から説明してくれました。大田さんやエハンさんを始め、今は地球が最後の審判の時期に来ていて、ここで私たち人間は大きく2つの道に分かれると言われていました。川又さんも同じことを話され、2000年から2020年の間に自然と生存できる人とそうでない人に選別される。つまり、前者は何の苦痛も無く健全で楽に人生を送れるが、後者は苦しみを背負って生きて行かなければならないと・・・。それは、やはり今までの生き方に関わってくるみたいです。今まで一生懸命に生きて来た人達は、報われるときが来ると・・・。そのことは、私自身もセッションに来ている方達を見ていて自然と気づき、リーディングでもはっきりと出ているので良くわかります。
 川又さんのお話を簡単に要約してみると・・・1999年のグランドクロスの後、今年の6月までかけられていたホログラムがはずれる時が来ている。太陽が磁気あらしと呼ばれる大きな変化を表して、磁力線が歪を起こし、それによって地上でオーロラ体の10〜1000倍の高い粒子エネルギーが噴出されている。それは、科学でもちゃんと証明されているとのこと。その影響はすでに出ており、今のこの暑さは例年とは全く違い、熱中症が去年の50倍に増えているのは、そのためである。今まで守っていたプリズムがはずれて直接来ているために、粒子エネルギーに身体が適合出来ず、細胞の中で許容する限界を超えてしまっている。さらに、ほとんどの身体が汚染されているために、細胞の感受性が悪くなっている=細胞が鈍い。だから、気づかない。例えば、私はただ肩が凝って身体が冷えるだけ・・・という人が多いが、それは大変な病気であることに気づいていない。(これもリフレなどのセッションをしていて、良く感じることのひとつです。セッションを受けて、身体が反応して初めて自分の身体の状態に気づく人がほとんどです。)細胞が弱っているときに、いくらいい健康食品を摂っても何もならない。(細胞自体の吸収する力が衰えているからでしょう) 当然、免疫も衰えてくるので、このままでは適合出来ずに危険である。そのリズムに協調出来るような身体を作って行くことが必要である。私たちの身体は、エネルギーを受け取って活動している。そのエネルギーは神経から細胞に500〜600種フィラメント反応(細胞振動)を起こさせるので、全体重の9倍のエネルギーが必要。そのエネルギーは、通常呼吸によって体内に入る。でもほとんどの人はストレスを抱えており、それでは充分ではない。何かを使わなければ、適合させることは難しい。精神は肉体に依存しているために、精神力だけではもう通用しない。潜在意識は、生命の核であり、全細胞に90%影響を及ぼしていて、睡眠中に情報交換している。
 ・・・などなど、他にもたくさん説明して頂きましたが、私が理解出来た範囲で紹介してみました。それにしても6月の急速な流れは、そのためでもあったのですね。今年に入って細胞の転換が必要だと感じていたのも、これでまた納得。理由は、はっきりわからなくても自分の内に来る感覚を信じることも大切ですね。実は、川又さんはそのための優れた器具を発明していて、そこに来られていたのは持たれている方達がほとんどでした。事前にお話は聞いていたのですが、私には最初からあまりピンと来なくて、勉強会の間も付けて下さったのですが・・・。私には必要ないこともわかりました。どうも直接器械類を身につけるのは、私の身体が拒否するようです。まだ見えないものの感覚を信じにくい場合は、はっきりと物体として手にしたほうが受け入れやすく、そのような方達には、きっとサポートとして、その器具は役に立つのだと思います。ただ、私の場合は無限の可能性を得たい気持ちがあるので、逆に形あるもので制限されたくないとか、出来るだけ自然な形で取り入れたいと思ってしまいます。だから、REIKIの方法が私には合うのでしょう。それぞれに、その時々に必要なものがちゃんと宇宙から送られるようになっているみたいですね。それに、そのホログラムがはずれる前に、細胞を進化させるお手伝いをしてくれる蘇生水と出会ったことが、私には宇宙からのギフトのように思えて、またまた有難いと思ってしまうのです(笑)。おかげで、この猛暑でも、この毎日多忙な中でも元気一杯でいられますから。改めて、宇宙としっかり繋がりを持つことの大切さを知りました。この日に学んだような知識が一切なくても、ちゃんと必要なときに、必要なものに出会わせてくれるのですから、本当に感謝(しつこい?)です。先週牛島さんと会った時に、感じたことはすぐに表現したほうがいい、そうしないとすぐに頭で考えてしまって、止めよう抑えようとしてしまうから・・・とお話していました。私も、ひらめきや直感でピンと来たことは大切にして、すぐに行動に移す習慣をつけたほうが良いと思っています。レポートのコーナーにも書いていたように、これからは気づいたことは先に延ばさない。気づいたときに早めに修正して、本来の自分の進むところへ意識を向けて、行動することが必要でしょうね☆

14日の夕日の写真です。六角岩の写真も追加していますので、お見逃しなく♪