[Diary 115]



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                                                      VOL.116

 2006年11月ダイジェスト (Part 3)
 11月 6日
 今日は、父とお墓参りに里帰りすることになった。
早朝に家を出て、まずは新幹線で福山まで。山陽新幹線に乗るのなんて、何年振りかしら。(3年ぐらいかも) 本を読んでたら、あっというまに到着。

 福山からは、瀬戸内海大橋を渡る「しまなみライナー」へ。バス停に向かう途中で、格安チケットが売られているのを、偶然に見つけた。普通運賃よりも安かったのでラッキー! みんな当たり前のように、バス停横の切符売り場で買っている。あら〜知らないのかしら。(教えてあげたいくらい)

 福山を出る頃、川に白鷺が飛んでいるのが目に入り、続いて「メビウスの環」と書かれた看板も・・・。(お〜っと!) そうして、瀬戸内海大橋へと入った。

 私は、数年前に兄の車で渡ったことがあるけれど、父は初めて! 実は、里帰りも10数年振りになる。家族で今治を出てきたのは、今から20年以上前だった。・・・・

 父の始めた事業がうまく行かなくなって、一からやり直すために、家族で福岡へと向かった。住んでいた家も、過去の思い出のものも、何もかも手放して、身の回りのものだけを持って、車一台に乗って出てきた。
 成人式を目前としていた頃のこと。当時の心情は、記憶の中からは擦れているけれど、おそらく家族全員が、自分たちには将来の夢や希望、期待というものには縁がないと感じていたことでしょう。

 何とか住むところを見つけ、私たちはとりあえず、生計を立てるための仕事を探し出し、誰も知っている人がいない、未知の土地で、その日暮らしの生活をスタートさせた。

 (以下省略して。^^) その後2年ぐらいして、何とか食べて行けるようになった頃、兄が一人家を出て四国へと帰った。私もアルバイトから、正社員の仕事へと就職し、安定した数年後(博多に来て約6年後)に転機が訪れた。
 急に一人暮らしを始めることになり(全て用意されていた)、周りの環境も大きく変わり始めた。私の長い呪縛が、ようやく解き放たれたと感じた時。そして、1年以内には結婚することに・・・。(以下省略。^^)

 その時の経験があったから、8年前にカナダから柾至を連れて、ゼロから出発しようとした時に、あまり不安がなかったのです。それに、その時にはREIKIに出会い、宇宙との繋がりを自分でも感じられるようになり、導きを信じられるようになっていたから。むしろ、この時を待っていたという感じで、新しい旅立ちにワクワクしていたくらい。(^^)

 そして、二日市にある天拝山や太宰府に縁が出来て、道真公の存在を感じるようになった頃のこと。何気なく父と話していたら、初めて福岡に足を踏み入れた時、最初に泊まったのが、二日市の小さな温泉宿だったことがわかったのです。
 京都から左遷されて、太宰府へ来た道真公のように、全ては宇宙の導きで、完全な計画であり、それ以降もずっと見守って下さっていたのだと知り、感謝したのでした。

 そんなことがあったから、父は手続きの関係で一度帰っただけで、その後は二度と故郷へは帰らないつもりでいたようです。人一倍責任感があり、真面目一筋に生きてきた父だったから・・・。

 そうして、孤独に暮らした数年間を経ていた。それが私たちが帰ってきて、一緒に過ごす時間が出来るに従い、硬くなっていたものが少しずつ溶けていった。そして、父の意識も変化してきた。
 それが具体的な形となったのが、去年から今年にかけて。ようやく、20年余り住んでいた場所から離れる時が来て、新しい生活が始まった。もっと早く何とかしてあげたいと思ったこともあったけれど、父にとってはそれが最善の流れであったこともわかった。 それまで、見えないレベルでの準備がされていたのです。
 それからは加速的に、目に見えるように変化し、とうとう父の口から墓参りに一度帰りたいという言葉が出たのです。(!)
 もう待ってました〜!という感じ。すぐにでも連れて行きたいところでしたが、今度は兄の手術などもあり、私がセドナから帰って、少し落ち着いてからということで、この日になったのでした。

 父は、この数日前の2日(私が行った翌日)に、太宰府に一人でお参りに行っていたようです。そうして、父なりに準備をしたのでしょうね。
 瀬戸内海大橋が出来た時も、自分で渡ることはないだろうと思っていた父。そんな父と、こうして一緒に瀬戸内海を眺めながら、私の心にもいろいろな想いが湧き上がっていた。
 
 海の色は、深いエメラルドグリーン。ラファエルの色であり、ハートチャクラの色。今の私に繰り返し来ている色です。

 今治駅に着き、兄から教えてもらったお店で昼食。甘辛な天むすと鍋焼きうどん。お店の感じも良くて、少し甘めの出しがおいしかった。お店の前には、大輪の菊の花。天満宮からのメッセージを感じた。 菊の精霊さんも、ありがとう〜♪

 そこからタクシーで墓地へ。私の母校のすぐ近くなので、必ず正面を通るようになる。懐かしい・・・。 そのすぐ隣で、母校を見下ろすように鎮座しているのが姫坂神社。ご祭神は、アマテラスさまの御子である市杵島姫神。数年前に神事をした場所で、その時にいつも見守ってくれていたことを知ったのでした。車の中から、感謝を込めて光を送らせて頂いた。

 数十年前からあるお花屋さん。今治弁でのお話も楽しく、荷物まで預かってくれた。まずは、父方のお墓へお参り。
 これは前にも書いたことがあるけれど、今治から福岡に来て2年後ぐらいに、ある方たちを通して、御先祖さまとお話をしたことがあった。その時に現れた御先祖さまは、自分たちの犯した罪で、苦労させていることが申し訳ないと、私に何度も詫びていた。そうして、しばらくの間、そこに通いながら、また毎日家でも般若心経を挙げて、供養させてもらっていたことがあった。

 そうしてREIKIを受けて、遠隔で光を送れるようになってからも、しばらく続けて送っていた。 すると、ある時に挨拶に来てくれた。(^^) 
 そして帰国することになり、私の姓が変わることになった。日本に帰って、自分で仕事を始めるにあたり、日本の姓に戻したいと思ったことがきっかけ。それは、本当の自分に戻りたいという思いからだった。

 普通なら、旧姓に戻ることを考えるでしょう。 でも、どうしても私の旧姓を使う気にはなれなかった。何かが違うように感じて・・・。そんな時に、ある経緯があって、私の前に新しい姓が差し出されることになった。その名前を見た時に、何の疑いも迷いもなく、受け入れることにした。

 ただ日本では、一般人が通称名で使うと複雑になる。正式な手続きや登録関係は、全て戸籍の名前が原点だから。二つの名前を使うことは、中途半端に思えた。
 かといって、まだ離婚したわけでもないのに、戸籍名を変える、しかも全く違う姓に変えるなんてことは、まず難しい。でも、その新しい姓を授かってから、どうしても以前の姓を使うことに、強い抵抗を感じるようになっていた。それで、駄目もとで家庭裁判所で申請してみることにした。それが、帰国した三日後ぐらいのこと。(二日後には今の住むところを決めたので、その翌日のはず。)

 自分でもどうだろうと思いながら、改名する理由を書いていた。それも私だけではなく、柾至の姓も一緒にしたかったから、二枚の申請になる。裁判所の人からも、う〜んと首を捻られ、許可が降りるかどうか難しいと言われた。それでも出すだけは自由なので、受け取ってくれた。もし私が感じたように、本当に意味のあることならば通るかもしれない。どうなっても、後の結果は宇宙に任せることにした。

 そして・・・・何と受理されたのです!!(しかも一回で)  もちろん二人とも。裁判所の人も少し驚いていた様子。(余程の理由がない限り、改名は出来ないようになっているから) この時に、宇宙がもたらす奇跡というのを実感したのです。宇宙の法則に基づいていることなら、それが真の導きであるならば、どんなことでも可能なのだと。

 許可が降りるまでの期間も、すでに新しい姓を使っていた。口座を開くときも、まだ戸籍が変わってないにも関わらず、その名前で作ることが出来ていた。(それも普通は出来ないはずだけど。^^) 
 不思議なくらいに、最初から何の違和感もなかった。これが本当の自分を表す名前だったと感じていた。その時が来るのを待っていたかのように。だから、正式に戸籍が変わったことで、堂々と使えることがうれしかった。

 その数年後(2002年)、ある人から私の名前に示されている使命を聞かされることになり、その意味もわかったのでした。(高千穂編へ

 この字体で、この振り仮名で読む姓は、もしかしたら私たちだけかも!?(まだ今のところで、耳にしたことがないから) この姓は、必然的に柾至が引き継いでいくことになるのでしょうね。

 そして、もう一つ。RAINBOW AGE REIKI のサードで、アチューンメントしているシンボルの中に、「(必要のない)カルマを消滅させる」(・・・良いカルマというのもあるから)というのがある。その一つとして、姓が変わることで、御先祖さまから続いている家のカルマからも、完全に解放されたことを象徴していたようです。
 あの時・・・御先祖さまたちに光を送っている時に現れたのは、その意味があったことも、後でわかった。その時は驚いて、目も耳も思わず塞いでしまっていたけど、それが最初で最後だった。

 それにしても、こんな話までするなんて・・・書きながら自分が一番驚いています。(笑) 福岡に出てきた時の話も、名前のことも、あまりに個人的なことなので、これまで話したことがなかったのに。しばらく前からきていた、「真実を伝える。表現していく」というメッセージと繋がっているのでしょうね。あらあらって感じだけど、私の中では一つ大きく解き放たれて、オープンになれた気がしています。(^^)

 ・・・ということで、お墓参りの話に戻ります。(^^)
 名前が変わってしまっても、それまで繋がっていた御先祖さまたちのことは、大事にしたいと思っている。心を込めて手を合わせ、ご先祖様代々が光の世界で、心安らかに過ごせますようにと光を送った。

 続いて、母方のお墓へ。場所が反対側にあるので、お花屋さんに戻ってから行くことに。今日は、朝から曇りがちだったけれど、この時には明るく日が射していたので、二人とも傘の入った荷物は預かってもらっていた。

 すると、数分後に雨がポツポツ落ちてきた。 傘を取りに戻ることも出来たけど、父が「すぐに止むだろうから」ということで、そのまま歩いていると、次第に雨足が強くなってきた。ちょうどお寺の前だったので、雨宿りすることに。
 山門のところに、ちゃんと椅子もある。風も吹いてきた。そのタイミングで、兄から電話も入っていた。合流するまで時間があったので、ここでゆっくりするには丁度良くなった。 龍神さま、お心遣いありがとうございます。

 その雨も、10分ぐらいの通り雨だった。せっかくなのでお参りしていこうと、お堂の前に立つと「熊野権現堂」と書かれていた。そのお寺(観音禅寺)には、熊野の神々様もいらしたのです。古くからあるそうだけど、今までお墓参りに来ていても、お水とバケツを借りるだけで気付いていなかった。(すみませ〜ん^^;) そのための雨でもあったのですね。ありがとうございます。

 雨のおかげで、空気が澄んで気持ち良くなった。お墓参りが終わった頃には、太陽が顔を出していた。お花屋さんでタクシーを呼んでもらうと、「日の出」タクシーという名前だった。(!)
 祇園神社(小さい頃に良く遊んでいた神社で、今は兄たちを見守ってくれている。主祭神は須佐之男命さま)で、兄夫婦と待ち合わせ。去年はお互いに帰れなかったので、久し振りの再会。兄は、父の元気そうな姿に驚いていた。顔色も良くて、最後に会った時から、ずっと若返っていると。(そうでしょう! JEも使い始めたから、これからもっと若返りますよ〜。^^)

 兄の身体は、手術によって、かなりのダメージを受けたようだった。あれだけ鍛えていた筋肉も、落ちてしまっていた。傷跡を見ると、思っていた以上に、大手術だったことがわかる。内臓を切る手術は、出来るだけしないほうが良いと言っていた。その一言で、私にも伝わった。
 彼は、またしても自分の身体を使ったのだと・・・。それぞれに役割があるとはいえ、私も辛くなった。同時に、2年前の私の出来事も思い出した。

 身体だけでなく、大きな意識の変化が起こったという。精神力をとことん試され、全てをひっくり返されるぐらいのことが、この間にあったそうだ。
 夜中に電話が入って、私にすぐに飛んできて欲しいと言われたこともあった。でも今回は、彼の中にまだ眠っている力を目覚めさせるため、その力を信じるために、彼は一人になることを強いられていた。それがリーディングにもはっきりと出ていたから、私はただ信じて見守るしかなかった。
 ・・・その結果、兄たち家族の絆が、さらに強くなっていた。良かった〜。それが何より大事なこと。家族の有難さ、互いの存在の大切さを知ることが、これからのためにも必要なことだったから。
 
 良く考えたら、まだ手術して3ヶ月ぐらいだった。ドクター達も驚いていたけれど、ここまで回復したのは、やはり凄い。身体は、また元に戻れる。焦らずに、時間をかければ。
 もっと新しい身体ーライトボディを作るために、古い肉体を捨てる必要があったのですね。これまでのやり方とは、違う方法で。

 この日に、ジュエリーエッセンスを渡そうと持って来ていた。JEは、細胞作りのため、ライトボディを作るために、今まさに必要なものだった。今回のプロセスは、さらに純化された身体を作るためでもあったのだから。こうして、必要な時に必要なものが差し出されるようになっている。だから、先のこと、この後のことは、何も心配する必要がない。

 地元で有名なおいしいケーキのお店に入って、みんなで話しながら、良い時間を過ごしていた。(モンブランとピーチティーがおいしかった♪) 私の時と同様に、父には手術のことは話していない。子供として出来ることは、親には必要以上に心配をかけないことだと思っているし、今日は父のためでもあったから。だから、今回はお墓参りだけにして、帰ることにしたのです。来年の春に、お互いにさらに元気な姿で会う事を約束して・・・。
 早く帰ったので、姪っ子には会えなかったけれど、アリゾナで買ったパステルカラーのココペリちゃん(レインボーの文字入り)を持ってきていた。これから、兄たちファミリーを見守ってくれるでしょうね。(ココペリちゃん、よろしくね。^^)
 
 駅で兄たちと別れ、バスに乗ってすぐに、兄から電話が入った。別れた直後に、話していたことが目の前に示されたという。(パチパチ) それからすぐぐらいに、今度はレインボーのマーク入った車が、バスの横を通った。(保育園のバス。^^) 今日の目的は、完全に達成されたようです。v(^^)v

 福岡に入り、博多駅に近づいたところで、大きく「日之出」と書かれた電光看板が目に入った。(ホテルみたい) やはり、日の出なのですね。再生と新生の日の出が昇る時が来た。家族それぞれにとっても、この世の中全体にとっても。 そのための扉が開かれているのです。

 出発前までは、今回が今治に帰るのは最後と繰り返し言っていた父でしたが、この数日後に会ったときは、日帰りであれだけラクに行けるなら・・・と言い掛けていました。 やったね! (ふふふ)
 ・・・と、ここまで書いたところで、父が来ました。(^^)  これからも楽しみです。 ありがとうございます☆